つづき 昨年BSで全作品放映されて録画した黒澤映画を見るチャレンジは続いてる。 (すでに現代物はあきらめて歴史物だけ)。 ちょっと苦手。。。 その黒澤映画の『影武者』なんかで、 馬をパカパカ駆って、 戦の陣でも主の側近に侍っている人たちがいる。 ああ、あの人たちって、馬廻衆なのねー。 あるいはそういう立場の人たち。 高校で社会科の授業が選択になってからは 日本史をとってすらいなかった私は、 日本史初心者。 (といって選択してたはずの世界史も、授業を受けた記憶もないほど知らない。) 武士の世になると、こう、しゅるしゅると一層気力が萎えちゃう。 『武士はなぜ歌を詠むか』を読んで、 馬廻衆を知った。 『武士はなぜ歌を詠むか』に、 足利尊氏の馬廻衆の和歌がとりあげられていた。 これが芸能をたどっている私には、 非常に興味深く感じられた。 “馬廻衆とは将軍直属の御家人で、戦時には常に将軍近くに侍り、全軍の中核となる武士であった。これが後には複数の部隊に編成されて、五番組の室町幕府奉公衆へと発展する。” 本によると、 直義との合戦が続く中、 尊氏は近江醍醐寺の陣中で霊夢を見、 尊氏らは「神祇」題で和歌を詠んでいる。 勝利した尊氏は、帰京後 懐紙を継いで一巻とし、京都の松尾社に奉納。 この松尾社奉納神祇和歌に、 尊氏の寵童、命鶴丸ら馬廻衆が見えている。 さらに尊氏は、やはり霊夢によって 諏訪社法楽の笠懸を行った。 そこで射手となったのは七名の馬廻衆で、そこにも命鶴丸他がいる。 “神前で武藝を演ずることと和歌を詠進することが全く同じ地平にあった。” 松尾社へ神祇和歌を奉納する前に、 「足利尊氏近習馬廻衆一揆契状」が作成されている。 これは馬廻衆同士の横のつながりを結んだ契約。 和歌や武藝の奉納による法楽、 和歌は、横の結束と、主従の縦の結束を 強める役割もしていたようだ。 命鶴丸は、大人になっても尊氏に元服を許されず 長く童形、童名のままだったそう。 足利尊氏のこれらのエピソードは、夢といい童形といい、中世真っ只中。 まるで御伽草子の世界みたい。 それはともかく、 “神前で武藝を演ずることと和歌を詠進することが全く同じ地平にあった” このことは中世から近世、 武家政権にとって和歌がどのような役割をしたかを考えさせられる。 と同時に、 芸能とは何であったかをここでもまた振り返った。 参考:『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著) 童形 童子形 ・2009-02-02 中世芸能の発生 60 芸能者の童形 ・2008-07-21 中世 07 芸能の独立 中世の人々と夢 ・2009-03-30 中世芸能の発生 94 『夢語り・夢解きの中世』 ・2009-03-30 中世芸能の発生 95 夢の共有 ・2009-03-31 中世芸能の発生 96 夢解き ・2009-03-31 中世芸能の発生 97 夢幻能 つづく
by moriheiku
| 2009-04-24 08:00
| 歴史と旅
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