つづき 「ごろつきの話」ほか折口信夫の著作にもあるように、 宮廷や豪族(公・国・家)に仕えることのできなかった人々は、 寺社に仕えていった。 これは、芸能の人々も、武勇の人々も、同じ。 重なっているのだ。 たしか『殺生と信仰』に紹介されていた物語かと思うのだけど、 はっきりしないのでおおざっぱに書くと、 例えばこんな物語がある 国司の家に書きものが得意で雇われている武士がいた。 ある日国司の館に傀儡子が訪れ、芸を披露した。 すると雇われていた武士はがまんできずに傀儡子と一緒に踊りだし、 その者は前は傀儡子であったことがばれてしまいました。 ここでは傀儡子であったことは不利になっていない。 この物語にも、漂泊する人々が、 公に雇われ、国に雇われ、家に雇われ、 寺社に雇われ、山賊となり、山伏となりした様子がうかがえる。 芸能者、職人、宗教者、(折口の言う)ごろつきの境界はあいまいだった。 私はこれまで、 武装した神人や僧兵、悪僧とは、どういう存在かと思っていた。 殺生を日常とすることと宗教性は矛盾しないかと。 しかし武士の源流に、古代の狩猟民的性格を見れば、矛盾はない。 武装し殺生を業とした神人や僧兵があらわれたいきさつは、 荘園、領地開拓、戦乱などの時代背景と合わせて、理解できる。 武士が公(朝廷)や国、家に仕えるように、 僧兵や神人は、神仏に仕えるのだった。 “悪僧や悪党、海山賊などは武士と区別される一方で、また武士とも一体化しており、基本的には武士の一類型であった”『殺生と信仰 武士を探る』 時代が進み、 原始的な狩猟民的思考が薄れるにつれ、 殺生と信仰のはざま軋みがおこる。 私はこの軋みが、 武士の出家遁世につながっていると思う。 中世の神話の大改編は、どうしても 起きざるをえなかった。 参考: 五味文彦『殺生と信仰 武士を探る』 折口信夫「ごろつきの話」ほか つづく
by moriheiku
| 2009-04-16 08:01
| 歴史と旅
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