中世芸能の発生 99 武門の舞「久米舞」 空海 大伴氏 佐伯氏




つづき  


剣を持ち神武東征の様を舞う久米舞。雅楽。

久米舞は、久米氏、佐伯氏、大伴氏が舞ったもので、
各家は武門であり近い関係だった。


高野山を開いた真言宗(密教)の空海は、讃岐の豪族佐伯氏の出身。
佐伯氏は大伴氏と同族と言われている。


家持が氏の長となった大伴氏はヤマト王権の武門。
古代からヤマトの王に伴し武で道を切り開いてきた氏族。


以前読んだ宮坂宥勝『空海 生涯と思想』によると、
“空海の時代には、大伴と佐伯は同祖であると信じられていたようだ。”

ただし、
“空海の出身の佐伯直は佐伯部に属している。讃岐の国造の家柄であるが、佐伯部は本来、六、七世紀ころ蝦夷の虜囚をさしていったのであり、かれらを管理していた国造もいつしか佐伯部とよばれるようになったものである。中央にあって地方の佐伯部を支配していた佐伯連は大伴氏を出自とするのであって、したがって佐伯直と佐伯連はおのずから家系を異にしていた。”



空海の出身の佐伯直は、讃岐の国造家だった。
昔の土地の首長のような家系だった。

讃岐の佐伯部は、
当時の蝦夷の国、東国の虜囚を管理するために
播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5ヶ国に置かれた佐伯部のひとつで、
土地の佐伯直によって管理された。
佐伯直は中央の佐伯連に束ねられていた。

佐伯直の家系は、
蝦夷の言語を扱うことができたと思われる。


土地の豪族である佐伯直は、
中央の、武門の大伴氏を出自とする佐伯連の伴造であって、
中央と武門を通じたパイプも太かった。

そのため朝廷の武門に、
各地の佐伯部から人員が集められていただろう。



つづく
by moriheiku | 2009-04-05 08:00 | 歴史と旅
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