中世芸能の発生 79 熊野比丘尼



つづき


各地の熊野神社と
土地の神社に合祀されている熊野社の数を合わせると、
数千になるようなことを前に本で読んだ。
(どの本だったか今はっきりしないから、
思い出したら書き直そ。)
時代の中で消えた多くの社を入れれば、
その数はもっとあった。

紀伊半島の自然信仰だった熊野の信仰が、各地へ、
民間まで広がったのは平安時代あたりからだろうか、
熊野の信仰に仏教色が濃くなってから。


熊野街道は、熊野への参詣の道。
説経「小栗判官」の小栗は土車に乗せられて熊野街道をたどった。
一部は熊野古道と言われ
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」になっている。


熊野信仰の広がりは、熊野比丘尼や高野聖の働きが大きかった。

この熊野比丘尼も、遍歴する女性たちだった。


熊野は他界と考えられ、
今も一帯の山は険しい信仰の場でもある。

熊野比丘尼は、
その熊野の信仰を各地に広げた遍歴する女性たち。

曼荼羅や絵巻など持ち、
熊野の神仏の霊験を、歌や語りで絵解きなどしながら、
各地に勧進の旅をした。

▽和歌山県ホームページ 和歌山歴史人物列伝


参考
五来重 『山の宗教』





遍歴する女性
・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人
・2009-02-07 中世芸能の発生 63 桂女
・2009-02-09 中世芸能の発生 65 万葉の遊行婦女
・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人


つづく
by moriheiku | 2009-03-02 08:00 | 歴史と旅
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