つづき 各地の熊野神社と 土地の神社に合祀されている熊野社の数を合わせると、 数千になるようなことを前に本で読んだ。 (どの本だったか今はっきりしないから、 思い出したら書き直そ。) 時代の中で消えた多くの社を入れれば、 その数はもっとあった。 紀伊半島の自然信仰だった熊野の信仰が、各地へ、 民間まで広がったのは平安時代あたりからだろうか、 熊野の信仰に仏教色が濃くなってから。 熊野街道は、熊野への参詣の道。 説経「小栗判官」の小栗は土車に乗せられて熊野街道をたどった。 一部は熊野古道と言われ 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」になっている。 熊野信仰の広がりは、熊野比丘尼や高野聖の働きが大きかった。 この熊野比丘尼も、遍歴する女性たちだった。 熊野は他界と考えられ、 今も一帯の山は険しい信仰の場でもある。 熊野比丘尼は、 その熊野の信仰を各地に広げた遍歴する女性たち。 曼荼羅や絵巻など持ち、 熊野の神仏の霊験を、歌や語りで絵解きなどしながら、 各地に勧進の旅をした。 ▽和歌山県ホームページ 和歌山歴史人物列伝 参考 五来重 『山の宗教』 遍歴する女性 ・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人 ・2009-02-07 中世芸能の発生 63 桂女 ・2009-02-09 中世芸能の発生 65 万葉の遊行婦女 ・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人 つづく
by moriheiku
| 2009-03-02 08:00
| 歴史と旅
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