中世芸能の発生 78 物詣 道行き



つづき


「家を出てから家に帰るまでが遠足です!」
ではないけれど。

昔の物詣(ものもうで・参詣)は、家を出る時から始まっていた。



物詣で出かける神仏の寺社は公界
世俗が切れ、
俗の力の及ばない場と考えられた。

また道、辻、山、川も誰のものでもない公界。
そこを往来遍歴する人々は、公界の住人と考えられていた。


道や川などを往来する者であった昔の遊女の地位は、
やがて転落し、
彼女らにとって、公界は苦界と意味を変えた。




中世の絵でなじみのある、
薄い布(虫垂衣)などぐるりととりつけた市女笠の壺装束は、
輿に乗らずに徒歩で行く
中流くらいの公家や上流の武家の女の物詣の旅姿。

▽公家女房 壺装束姿(市女笠)  小林豊子きもの学院
http://www.kimono-japan.co.jp/jidaiisyo/14.html


▽つぼ装束にむしの垂れぎぬの旅姿  風俗博物館
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000080



壺装束の懸帯(掛帯)をつけるのは、
襟元がはだけない実用があった。
後ろのリボン結びがかわいい。

胸に下げているのは懸守(掛守)。お守り。

この物詣の道中の装束は、
その人が身を謹む物忌み中であることをあらわしている。


しかし手を出すことを憚られるお守りを身に付けた物忌姿にも関わらず、
女捕(女取 めとり めどり 辻捕 辻取 つじとり つじどり)など
あったものだが。


『御伽草子』の
ものくさたろう(ものぐさたろう、物くさ太郎、物臭太郎)は
宿の主人のアドバイスを参考に、清水寺の前で、
清水に詣でる女性を女捕る(辻取る)ことにした。

物詣の女性の方は、いやがった。
しかし、結局ものくさたろうの妻となる。


公界の場、物詣の女性に対する女捕は、
居合わせた人も知らぬ顔するのが暗黙の了解で、
誰も割って入らない。



「公界」の道の上でおきた、
物忌の者である姿をしていてもおきた、

これはもう、
神仏の導きと思っただろうか。


説経『小栗判官』  輝手の道行き
・2009-02-20 中世芸能の発生 76 聖と穢をまとった輝手 小栗判官



物詣の道中、神仏の験に出会う中世の物語の多いこと。



旅は、今だって、目的地に居る間だけが旅でなく、道中の経験全てが旅。

小学校の先生が遠足の日生徒に言う
「家を出てから家に帰るまでが遠足です」ではないけれど。

中世の物詣(参詣)は、
お寺や神社の中に居る間だけでなく、
家を出て帰るまで、全ての道中が物詣の道行きなのだ。


浄瑠璃や歌舞伎にある道行きは、
それを見る(聞く)側にとっては
道行の途中語られる名所の物見の楽しさもあるけれど、

例えば心中する二人の
どこにたどり着くのでもない道行きがえがかれた下には、きっと
遍歴する公界の人々と、
すでに俗世と離れた道の感覚があったと思う。



参考:
釈迢空(折口信夫) 北原白秋 対談 「緑ヶ丘夜話」(『折口信夫全集別巻3』) 
折口信夫 「盆踊りの話」 
網野善彦 『無縁・公界・楽』




遊女
・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人
・2009-02-09 中世芸能の発生 65 万葉の遊行婦女
・2009-02-10 中世芸能の発生 66 遊女の転落
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
・2009-02-13 中世芸能の発生 69 遊女と女房文学
・2009-02-14 中世芸能の発生 70 世阿弥と紀貫之


女捕(女取 辻捕 辻取)
・2009-02-17 中世芸能の発生 73 女捕


公界
・2009-02-18 中世芸能の発生 74 公界
・2009-02-19 中世芸能の発生 75 居杭


御伽草子 ものくさたろうの物語
・2009-04-13 和歌の徳 ものくさたろうの物語


つづく
by moriheiku | 2009-02-27 08:00 | 歴史と旅
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