物語の共有



ヘッドホンでアイズレー(ブラザーズ)を聞いていた。
甥のりょがこ(年中組)が隣に来た。
隣でりょがこは、電源オフのマイクを手に持ち、ビートルズの歌を歌った。

ひとしきり歌い終えたりょがこに
「ジョン(レノン)は昔の人なの?」
と聞かれ
「そうよ。」
と答えた。

「このお歌は古い?」
と聞かれたので、
「うん。古いけど良いお歌だから、
 今もずーっとみんなが好きで色んな人が歌うの。」
と答えたら
とてもうれしそうにしていた。

古いより新しいほうがいいと思っていたのかな。
必ず新しいほうがいいわけでもない。


別の部屋に居た時、りょがこに、
「ジョン・レノンは昔の人だからもう死んじゃったの?」
と聞かれ
「そうよ。」
と答えてしまった。

死ぬって知っているんだと思って。

「死んだあとどうなったの。」
と聞かれた。
私は、

「人は、目に見えないくらい小さな粒々がいっぱい集まってできてるの。
(分子とか原子とか素粒子とかそういうののこと)。

お砂場の砂で、車も作れるし、お家も作れるし、
動物や色んな形ができるでしょ。
ああ風にね。

小さい粒々が集まったら、人になったり、木になったり、
この机になったりするの。

死んだらね、また小さい粒々になって、
例えばこのへん(腕)の粒々は木になったり、
このへん(腿)の粒は水になったり、
このへん(頭)の粒は土になったり、
なんにでもなるの、いろーーーんなものになるの。」

「土ってなんのこと?」

「地面。」

と言ったら非常に暗い目になった。
しまったと思った。

「人にもなる?」

「なるよ。なんにでもなるのよ。」

「ジョンはまたジョンになる?」

「うーん。ジョンになるかもしれないし、
 木になるかもしれないし、別の人の一部かもしれないし、
 もしかしてりょがこくんが会ってる何かや、
 粒々のひとつは、もう別の人になって音楽を作ってるかもしれない。」

「わーい。ジョンはまたジョンになるんだもんねー。」

「うーん。
 まあ今、りょがこくんやもももちゃんがいる所では、
 わりとそういうふうに考えられてるの。

 でもね、昔の人は別のふうに考えてたし。
 違うとこに住んでいる人は、違うふうに思ってる。
 みんなそれぞれ、わかりやすいように思ってるの。」


私は、いけないことを言った、と思った。
傷つけた。

死についてはデリケートな問題だ。

死んだら粒々に分解し、色んな物になる。
私の答えは、ドライすぎるのだ。


りょがこの両親(兄夫婦)は同じ部屋に居た。

親たちには親たちの教育があり、
それぞれが、お星様になるとか、天国に行くとか、
子供に色んな物語をする。

私はそういう社会と物語を共有していない。
悪影響があると思われても仕方がない。


私が覚えていなければならなかったのは、
はぐらかさなければならない時と、
そして答えのはぐらかし方だ。

彼等や、人それぞれの方法を尊重したいと願っているのに、
肝心なところでそうした勝手をしてしまう。
後悔してもしきれない。
なるべく接点を持たないよう気をつけよう。
by moriheiku | 2008-12-06 08:00 | つれづれ
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