つづき 當麻寺(当麻寺たいまでら)は、 もとは万宝蔵院だったのか、別の寺院だったのか。 この土地だったのか、別の地から當麻の土地に移されたのか、 明らかではない。 創建当時のままという東塔、西塔の建築は 奈良から平安時代にかけてのものであるし 寺には、奈良時代前期の遺物が残っているそうで、 奈良時代にはこの地にあった。 當麻寺(当麻寺たいまでら)は、 大阪と奈良を分ける南北にはしる青垣の真ん中あたりにある。 生駒山系と金剛葛城山系の間で、 山並みがいったん途切れる。 そこに二上山がある。 この二上山麓を通り、水、人、物が出入りした。 奈良盆地の西の入り口だった。 當麻寺は、その二上山麓、奈良盆地を見る側に建つ。 高低差が少ない一列に続く山並みの中の、 印象的な二つのコブ。 奈良盆地から見て、 二上山の雄岳、雌岳の間に太陽が沈む。 盆地を挟んで、二上山のまっすぐ東にあるのは三輪山。 三輪山は日の出ずる山だ。 謀反の疑いありと処刑された大津皇子は、 二上山上に埋葬された。 大和の西の口に葬られた。 つづく
by moriheiku
| 2008-12-03 08:01
| 歴史と旅
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