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中世芸能の発生 57 遍歴する人々と外国


つづき


中世の市には宋銭が流通していた。
宋銭は、日本列島の北から東南アジアまで広く流通していた。

国内を遍歴する供御人
(販売の権利を与えられている職能民、芸能民を含む)が、
宋銭の国内流通に大きく関係していた。


網野善彦『中世的世界とは何だろうか』より。

例えば、御櫛(くしづくり)。
御櫛
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櫛を作り天皇家に櫛を献納した木器生産者で、
内蔵寮に属した「造御櫛造」の流れをくみ、平安末期には「御櫛生」と言われた。
供御人となり、諸国の自由往来と販売の権利を認められ、自ら作った櫛を広く売買した。
-----------------------------------------------

鎌倉後期、御櫛生供御人が蔵人所に対して訴訟を提起、
蔵人所が採決を下したときの文書(香取田所文書)によると。

“櫛造たちは、このごろ唐人や傀儡子たちが、櫛をはじめとするいろいろなものを猥(みだり)に売買するようになったため、櫛売りの営業が妨害されると訴えており、蔵人所はその主張を認め、唐人・傀儡子による櫛の売買を停止しているのである。”

“傀儡子が自らの芸能を演ずるだけでなく、櫛などの売買に携わっていたことは、まことに興味深い。櫛造の本拠和泉の近木には、大歌所に属する遍歴の楽人、十生供御人も居住しているが、この人々もまた琴や笛を奏するとともに、なにかの品物を売買していたに相違なかろう。”



平安後期以降、宋の商人─唐人たちは、九州、北陸などに唐人町を形成、
鎌倉後期になると集団で日本列島内部を遍歴し、様々な物品を売買したが、
唐人の本業は薬売りだったと考えられる。

“薬売りの流れは、平安時代以降、典薬寮に属し、地黄御園供御人といわれた地黄煎売り、施薬院に統括され、室町時代には所薬商売千駄櫃といわれた人々、同じころ「薬並びに唐物」を商っていた左右衛府駕輿丁など、さまざまであった。”

“薬売りが「唐物」「唐商」と不可分だったことはこれによっても明らかで、事実、陳外郎(ちんういろう)とその子孫は唐人の医者・薬屋として有名であり、越前北荘の橘屋は唐人座を統括し、薬を扱っていたのである。これらはいずれも室町・戦国期のことであるが、それを鎌倉時代の唐人と結びつけるのは、決して無理な推測ではあるまい。”

“戦前、東北地方では薬売りを「トウジン」「トウジンサマ」といっていたところがあり、”



日本列島の文化が、海の向こうと近く結ばれており、
国内外の人や文物は、
国内を遍歴する人々によって広く流通していた。




折口信夫の実家は、
古代の海の玄関の一つ、灘波にあって、
薬商を営む医者の家だった。

折口の学問は、
折口のような生まれにある人の運命としかとしか思えない。
くらくらする。
運命など信じていないのに。




・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人





貨幣の流通  勧進と芸能  芸能の世俗化  芸能から芸術へ
・2013-08-22 中世芸能の発生 455 貨幣 勧進 大仏造営



つづく
by moriheiku | 2009-01-30 08:00 | 歴史と旅

地形を旅した 折口信夫の『死者の書』



つづき


折口信夫の『死者の書』は、
二上山麓の當麻寺(当麻寺たいまでら)が舞台になった。


太刀を横に佩いた横佩の大納言こと藤原豊成の娘、藤原南家の郎女と、
かつて非業の死を遂げ
二上山に埋(い)けられた大津皇子(滋賀津彦)の接点。


物語は、古代の沼のよう。
隅々までその中に浸かる。



この當麻寺に立って見る景色と、
『死者の書』の中の描写が同じことに驚いてしまう。
建物の配置などでなく、空気が同じ。
そういうものをことばを使って復元できる人がいる。


『死者の書』のストーリーはともかく。

持統天皇の時代に、
大津皇子は、天武帝の次の帝位を巡り謀反の疑いをかけられ、
処刑されて二上山上へ葬られたのだが。

非業の死を遂げた、完成しない魂は、荒ぶるものであるから、
奈良の京への西の出入り口に埋けられた。

京へ恐ろしいものが入ってこないように。

ここに葬られたことには、そんな意味もあった。
仏教以前。かなり古い考え方だ。




『死者の書』で、
当麻の語部の姥が藤原南家の郎女に天若日子を語る。

『死者の書』の中で
折口信夫が、天若日子と大津皇子(滋賀津彦)を重ねた。

すごいことだ。
ただそのひとつでも。



中世の人々もお伽噺に同情を寄せた天若日子。

美しい天若日子(天稚彦)は、
ヤマト王権の王子でありながらそれに背き、
出雲の大国主神の娘に恋をして、戻らなかったため殺された。

この出雲の国譲り神話の中の天若日子の神話は、
死と再生の神話でもある。


原始的な信仰。古い神話。
国々の変遷の暗示。
大和盆地から見る二上山は、太陽の沈む西の山そして
仏教の教えが伝わった後は、
西方浄土に通じる道に重なる。


『死者の書』は、どのことばの後ろにも、
手の届かない層が幾重にも重なっている。
そしてそのどの層も同時にある。


幾度でも、幾重にも巡ってきた、民俗の記憶なのか。
それが折口の口にのぼったのか。


藤原南家郎女は蓮の糸で曼荼羅を織った。
『死者の書』は、折口のことばで織りあげられた民俗の記憶の曼荼羅のようだ。

折口の作品は、口述で書き取られたものが多い。
こういうは、まさに語り部。



・2008-06-12  『死者の書』 折口信夫


お能に「当麻」ってある。
當麻寺(当麻寺)。また来る日まで。




・2009-09-02 中世芸能の発生 195 『神の嫁』折口信夫

・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 02

・2008/06/10 弱法師

・2009-09-05 中世芸能の発生 198 山越阿弥陀図

・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01




つづく
by moriheiku | 2008-12-03 08:02 | 歴史と旅

中世芸能の発生 44 だんじり 山車


つづき

小栗が乗せられて、
行く先々の人々に引かれた車は、
地車と書かれる。


地車は「じぐるま(ぢぐるま)」と読む。
大阪周辺では「だんじり」と読まれることが多いみたい。

大阪岸和田のだんじり祭は有名だが、
地車は「だんじり」のあて字のひとつだそう。


だんじり祭の地車(だんじり)は、
祭礼に使われる「山車(だし)」「山(やま)」のこと。

餓鬼阿弥陀仏と名付けられた小栗の乗せられた車は、
一枚の板に輪をつけただけのような粗末な車だが、
祭礼の「だんじり」も、もとはシンプルなものだった。


古い時代の祭礼で、
地車に神々の依り代となるものを乗せて曳いた。

それがだんだん装飾され、
たとえば祇園祭の曳山(ひきやま)のように、
たいそうきらびやかなものにもなった。

祭礼の山車(だし)、山(やま)、曳山(ひきやま)の「やま」は、
盛り上がった様から言う。

古代に神は山や木や岩などに依ると考えられていた。
その神の依る形にした。


山車のてっぺんにとりつけられた
一般的に日の光の象徴であると言われている髯籠(ひげご)の髯と網は、
笠(傘)との共通が考えられる。

後に、花飾りで覆いつくされた傘や髯籠があるように、
本来の意味がほとんど忘れられて、
意味と形が変容していったものも多い。

山車にとりつけられた髯籠や花傘や矛などは、
ある時代からは神祇信仰の、神の依り代であり、
神や仏以前の民俗の痕跡である。



説経節『小栗判官』の小栗は、地獄からかえった。

この世へかえってきたものの目は見えず口はきけず耳は聞こえず、
歩けず皮膚は傷み、姿は人でない地獄の餓鬼のようだった。

小栗を見つけた藤沢の上人(僧)はこの小栗に
「餓鬼阿弥陀仏」「餓鬼阿弥」の名を付けた。

熊野の湯に入れればもとの人に戻る。
上人は小栗を地車に乗せた。

「この者を一引き引いたは千僧供養 二引き引いたは万僧供養」

関東の上野が原から紀州熊野へはるばると。
人々が誰かの供養のためにと小栗の車を引いて小栗はすこしづつ熊野へと進み、
ついに熊野の湯につかって復活する。



地獄は仏教の概念だ。



地車(山車)だけを見ても、
原始的な民俗信仰、神仙思想、神の概念や仏教の融合など、
思想と民俗と変遷がうかがえる。



中世の人々は肥大した浄穢観念の中に生き、
その意味でのケガレを恐れた。しかし、

穢は聖でもある。
それは乞食を助けるとそれは仏であったという昔話にもあらわれる。

仏教では、人を助けることは仏の慈悲の実践で、
誰かの供養となり自分のために徳を積むことになる。

小栗の熊野への道も「道行」の一つだにはいるだろうが、
「道行(みちゆき)」の人を助けることは仏道にかなう。

同時に、道行をする人は俗でない人であり、
聖に属する人への畏怖とその神聖にふれることあやかることにも考えられた。
神聖、霊威の伝染が期待された。

かつてのお遍路さんへの接待にもつながる感覚だろうと思う。



歌舞伎や浄瑠璃、文楽などの心中物によく出てくる「道行」については、
ずいぶん思うところがある。

でもそれはしばらくあとに。


だって、今から旅行に行くんだも~ん。
予定より半月遅れた。行けないかとも思った。
最終日のお宿の予約もさっき取れた。ラッキー。




・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす


・2009-02-20 中世芸能の発生 76 聖と穢をまとった輝手 小栗判官
・2009-02-27 中世芸能の発生 78 物詣 道行き






・2008-09-15 中世芸能の発生 13 浄穢観念
・2008-09-17 中世芸能の発生 15 慈悲の実践


つづき
by moriheiku | 2008-10-18 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 42 よろぼし 弱法師 妖霊星 しんとくまる



つづき


「しんとくまる」の物語は、説経節や浄瑠璃になっている。

お能では「しんとくまる」は「弱法師」という曲(演目)だ。
「弱法師」は「よろぼし」と読む。

お能(謡曲)の中で「よろぼし」は、
盲目で足も弱ってよろめいている姿から呼ばれた名とされる。

“又われらに名を付けて。皆弱法師と仰あるぞや。げにも此身は盲目の。足弱車の片輪ながら。よろめきありけば弱法師と。名づけ給ふはことわりなり。”
参照:半魚文庫 UTAHI.半魚文庫



マンガ『妖霊星』近藤ようこ(作)は、
“説経節「しんとく丸」を借りて描いた死と再生の物語。”
(単行本の帯の言葉から) 

しんとくまるの伝説とは違う内容だけれども、
伝説の設定をベースにして描かれている。
主人公は陰山長者の娘。
当時の風俗が絵で見える。田楽法師らも。

出てくる場面は少ないけど、
肢体が不自由な者のアジールとしての四天王寺、
それがよく描かれている。


このマンガのタイトル『妖霊星』にあてられた字は、古く、意味の深いものだ。

『太平記』の高時の田楽の条にあるそうだ。
(すぐ『太平記』で確認したらいいのに、見ないまま打ってる 汗)

『信太妻の話』折口信夫
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併し故吉田東伍博士は、弱法師(ヨロボフシ)と言ふ語と、太平記の高時の田楽の条に見えた「天王寺の妖霊星を見ずや」と言ふ唄の妖霊星とは、関係があらうと言はれた事がある。其考へをひろげると、霊はらうとも発音する字だから、「えうれいぼし」でなく、「えう(ヨウ)らうぼし」である。当時の人が、凶兆らしく感じた為に、不思議な字面を択んだものと見える。唄の意は「今日天王寺に行はれるよろばうしの舞を見ようぢやないか」「天王寺の名高いよろばうしの舞を見た事がないのか。話せない」など、言ふ事であらう。「ぼし」は疑ひなく拍子(バウシ)である。白拍子の、拍子と一つである。舞を伴ふ謡ひ物の名であつたに違ひない。此も亦白拍子に伝統のあつた天王寺に「よろ拍子」の一曲として伝つた一つの語り物で、天王寺の霊験譚であつたのが、いつの程にか、主人公の名となり、而もよろ/\として弱げに見える法師と言ふ風にも、直観せられる様になつたのである。
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『太平記』の北条高時の田楽の条にある「天王寺の妖霊星を見ずや」。

鎌倉幕府の執権 北条高時は、
政務をおろそかにして田楽と闘犬に興じたと知られている。
天王寺は四天王寺のこと。

“白拍子に伝統のあつた天王寺に「よろ拍子」の一曲として伝つた一つの語り物で、天王寺の霊験譚であつたのが、いつの程にか、主人公の名となり、而もよろ/\として弱げに見える法師と言ふ風にも”

よろぼうし。「ぼし」は拍子(バウシ)。

語の転化は、他の説経節にも見られるもので、
ああそうかと思われる。



日本の密教は雑密の上にあり、
陰陽道道教の影響が濃く、星を祀る。
※北辰信仰…北極星、北斗七星を祀る。妙見信仰。

平安時代、密教は国家鎮護の役目を得て、王権と密接であった。
有験の天台の僧など、
帝の病平癒、皇子の誕生など盛んに祈祷していたもので、

やはり貴族も、肥大した浄穢観念の影響もあり、
吉凶だ物忌みだ何だとまあ盛んに星まわりを気にしていた。


白拍子の伝統のあった天王寺(四天王寺)の語り物「よろぼうし」に、
太平記で「妖霊星」の字があてられたのも、
密教的、中世的、その時代らしく思われる。


・2008-06-10 弱法師
・2008-06-10 俊徳丸伝説
・2008-09-26 中世芸能の発生 32 能『弱法師』



白拍子
・2009-02-13 中世芸能の発生 69 遊女と女房文学
・2009-02-10 中世芸能の発生 66 遊女の転落
・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
・2009-02-12 中世芸能の発生 68 読経と芸能




つづく
by moriheiku | 2008-10-15 08:00 | 歴史と旅


DVD『学問と情熱 折口信夫 人間を深く愛する神ありて』を見た。 感想
短い時間の制約の中で、丁寧にまとめられていた。
西田幾多郎版も見てみたくなった。


サブタイトル、人間を深く愛する神ありて、は、
釋超空(折口信夫)の歌、

人間を深く愛する神ありてもしもの言はゞ、われの如けむ。

からつけられた。



ただ、一部、
付け足しのようなナレーション部分に異議あり。

ナレーション。

「折口は古代の心象世界を現代に伝える語り部となることで、
まれびとの末裔に名を連ねることを望んだのである。」

アホくさ。


この歌と、折口の思想から、
どこをどうしてそう理解できるのか理解不能。

DVDをコマーシャルに彩るため、ただの用語の利用だ。浅はか。


きたない。



丁寧に作られた部分と、
浅はかな想像から、安いドラマ的に、
安易に仕立てようとした部分の対比がくっきり、
馴染まない。

内容の監修と、それらを一本にまとめる監修の間に、齟齬が在る。



また途中のナレーション

「折口の究極のまれびとは翁なのか。
あるいは翁をこえて神そのものになろうとしたのか。」

ばかばかしい。


そんな発想は、ゼロだ。



章と章をつなぐセンセーショナルなナレーションをつくるため、
ただ折口学に出てくる単語を利用した。


内容が無い。

意味が無い。

折口と関連が無い。


あまりにとんちんかんだが、
とりあげられている人物のことも、
DVDを観る視聴者のこともバカにしている。



こういう者が身震いするほどきらいだ。




あー・・・・  はっきり言った・・ わたしが罪・・。



─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2008-08-28 08:00 | 言葉と本のまわり

『学問と情熱 折口信夫』 03



つづき

折口信夫と同居していた弟子の折口春洋は
出兵し戦死した。


折口は血のつながりによる連続を拒否しており、
墓も持たないつもりでいたが、

春洋の魂の鎮魂のため、
出征後養子にした春洋の故郷に春洋と自分の墓を立てた。



古代から、祭りの中で生活の中で、
形を変えながらも連綿と繰り返されてきた鎮魂の儀式。
それらはなぜ続いてきたか。

鎮魂の切実な気持ちを、
折口がそのような形(春洋の死)で持たなければならなかったことに、
胸が痛む。



現代はわからないが、
古代からの長い時を、日本人は、
非業の死をとげた者のたましいは未完成で鎮まらないとみて、
その鎮魂を行ってきた。

折口信夫の『死者の書』は、
その民族の記憶が、ある時代に起き上がって再現された物語。

死者の書は、民族の鎮魂の物語ともいえる。



折口信夫は66才で亡くなった。

DVD『学問と情熱 折口信夫』の中で、
弟子の岡野弘彦さんがこう語られていた。

「死者の書っていうのは、ある意味、続くという意味じゃなくて、
時代をかえて、そしてああいうテーマを、
つまり、民族神事の中の
繰り返し繰り返し伝承していく伝承神事ですね、
心のルーツ、心の遺伝子、魂の遺伝子を書こうと思ったんだ。

第三、第四の死者の書を、
あの人はそれぞれの時代で書いただろうと思う。

で最後はあの、あの硫黄島で戦死した折口春洋を
あの洞窟の中にたずねて行って、そのたましいと会話する。

そしてその未完成のたましい(折口著作中では「未完成霊」)を
浄化させるところまで書いただろうと思うんです。
100歳も生きたら。
僕はそういう風に考えるんです。」


切実な鎮魂の想いとは、そういうものなのか。

春洋のたましい、
戦争で心ならずも散った人々の未完成のたましいの鎮魂。


時代をこえて、日本人にそうせずにはいられなかった心があって、
その感情はどこからやってくるのか。


深くたどられた言葉。
岡野さんがおっしゃることは岡野さんのお考えだが。

ただ。

はるか遠くに根を持つ民族の伝承の中に
時間の経過に関係ない生のなにかが生きていて、
我々はそれを繰り返す。



─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2008-08-27 08:01 | 言葉と本のまわり

『学問と情熱 折口信夫』 02



つづき

折口は生涯歌人だったが、
折口論で、歌人の側面に相応の比重を置かれるものが少ない。


折口信夫の学問は、資料だけでは成り立たない。

歌人、詩人の魂を持った折口が、
古代のイメージを身体に呼び、
それを外に出しているわけで、

折口の膨大な民俗学古代学は、詩人の側面なしにはありえなかった。



詩人を論ずるには、
論ずる人間に詩人の魂がなければ語れない。

折口が、学者であり詩人だったように、
折口を語る側も学者であり、文学者である側面が必要になる。

そのため学者の語る折口論で、歌人の側面は取り残されがち。


折口は自身を、

“学者仲間に立ちまじると文学者肌が目立った。
文学者の群れに行くと、あまり著しく自在を失しのうた学究くささがかえりみられた”

と、自ら立ち位置に孤独感のようなものを感じていた。




これからまっさらな心で折口の学問に始めて接する人がいて。
このDVDが一冊の本だとして。
これで折口の学問について何か感想文でも書こうとすれば、
その感想文は、
ただの陳腐なインデックスにしかならない。


でもそのうちの幾人かは、
今は見えていないにもかかわらず、
その後ろに広大な時間と思想が広がっている予感に、
心をふるわせる。

つづく


─── <夕食> ────





─────────────
by moriheiku | 2008-08-27 08:00 | 言葉と本のまわり

芸能の発生 古代~中世 03 和歌とよごと



つづき


現代では 呪 という文字は、
多くの場合悪縁を生む方向に印象されるけれども、
古くは 呪言 を よごと (吉事 吉言 寿詞 穀言 齡言)と言った。



万葉集の末尾の歌。

大伴家持の歌。


新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事

あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと


新しい年のはじめの 新春の今日の 降りしきる雪が積もるように
 いっそう重なれ 吉き事よ
 

新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 ・・・

                 参考:『万葉集(四)』 中西進 著 




天平宝字三年(759)。

古い氏の長であった家持が、
新春正月一日、国守として赴任先の因幡の国で、
饗(あえ)を国郡の司等に賜へる国庁の行事で詠んだ。賀歌。

国守として、よごとを述べた。

祝ぐ。
その歌に呪がある。


言霊の発動と威力、それに物事が従うことが信じられた上の呪。



大伴氏の全盛時は過ぎ、
氏を支える家持は政治の中枢から遠い一国司として地方へ下り
正月を迎えた。
時代は次の時代に移ろうとしていた。


この歌は、
新春の、最初の歌で、
万葉集の末尾の歌。
数多くのこされた家持の歌の、記録に残る最後の歌だ。


歌が呪の末にあった時代から、
歌は「あめつちをうごか」す記憶は残りながらも
「人の心を種と」し、より個人の感情を重視する時代へ変わっていく。 
※古今和歌集 仮名序 紀貫之



家持は古い時代の言霊の力、よごとの、
歌の力を信じていただろうか。


私は、折にふれ、
大伴家持に心が寄せられる。







私は、私も、和歌が古い歌謡から生まれたと思えない。



和歌は古代の歌謡から進んだ形と言われることも多いけれども。
やっぱり、私も、和歌は祝詞のようなものから生まれたのではないかと思う。


古い歌には、かならず祈があるから。


直接願いをうたったものではなくても。






・2009-12-13 中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ

・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば



・2008/07/28 芸能の発生 古代~中世 02 ことわざと歌

・2008-08-13 「ほ」を見る。
・2008/03/23 春の黄の花木 マンサク



・2009-03-17 「奈良の世の果ての独り」


家持
・2009-09-10 時の花
・2009-09-09 清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
・2009-09-06 毎年に鮎し走らば
・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取
・2009-09-07 珠洲の海
・2009-09-08 言語美

・2009-12-12 中世芸能の発生 264 いや重(し)け吉事(よごと)





イノルことの強制性と原始性
・2010-06-04 中世芸能の発生 319 宜(ノル) 祝詞(ノリト) 法(ノリ) 呪(ノロフ)
・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り
・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み




・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能




直接願いをうたったものではなくても、
古い歌に、祈のようなものが感じられる訳 
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-05-18 中世芸能の発生 313 やまとことば
・2010-05-19 中世芸能の発生 314 仏教が和歌を退けた理由
・2010-05-20 中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教



つづく
by moriheiku | 2008-07-28 08:02 | 言葉と本のまわり

芸能の発生 古代~中世 02 ことわざと歌


つづき

連歌と和歌の性質は違う。
和歌について。

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元来、民間伝承は、言葉の外は、何も伝へるものが無かつた訣であるから、言語伝承は伝へるものゝ総てだ、と考へてよい筈である。而も、言語といふものは、直ぐに消えて了うて、そこには、たゞ信仰的なものゝみが残る。それで、呪詞・唱詞系統のものが、永遠の生命を保つ事になるのである。そして、記録が出来ると、伝承の為事は、それに任されるやうになる。

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一体文体が、口頭伝承と言語とに、分化したのは、どういふ訣かといふと、畢竟は、口頭伝承を尊敬する考への出て来る所に、原因してゐると思ふ。今私は、文語は、口の上に記録し、頭に記憶する責任を感じてゐる文章だ、と云うて置きたい。文語には、尊敬に伴うて、固定がある。此に反して、言語は段々、発達して行く。こゝに、分化が生じるのであつて、其が愈、紙の上の記録にうつると、そこに截然と、区別が立つて来る。

---------------------------------------
尚、文語に関しては、もつと立ち入つた考へを述べねばならないが、其に一番適切なのは、呪詞・唱詞である。此は、永遠に繰り返さねばならぬものと信じられて居たが、段々脱落変化して、其うち、最大切なものだけが、最後に残つて、歌と諺とになつた。諺は、私の考へでは、神の言葉の中にあつた命令だと思ふ。即、神の言葉にも、次第に、会話と地との部分が出来て、其中の端的な命令の言葉が、諺であつたと思ふ。此に対して、神から命令をうける者――すぴりつとのやうなもの――の応へる言葉があつて、その一番大事な部分が、歌であつた。それ故、歌には、衷情を訴へるものがある訣である。
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折口信夫『古代に於ける言語伝承の推移』 から抜粋。



柳田國男においては、
諺(ことわざ)のルーツは、国と国との戦いで生まれた、
戦うための言葉のツールのように考えられたようだ。



折口信夫は、
歌と諺(ことわざ)は、
同じところに発したと述べる。


祝詞など唱える言葉の中で、
要点、もっとも大切な部分が、
諺と歌になったと見た。



唱える言葉には、
その言葉を唱えることで、
それにかぶれる、かぶれさせるという役割があった。


感染する、感染させる。

唱えた言葉を現実にする。



諺は、 こと + わざ。

原因と結果である。



それで、原因と起きることをあらかじめ唱えることで、
そのようになることを期待した。


おきてほしいことを実現する。

祝 と 呪 は、
願いを現実にする 祈 において同じものだ。 




例えば、将来をほめる、将来をあらかじめ言祝ぐことで、
将来そのような状態になることを祈る。


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萬歳の春の初めの祝言は、柱を褒め、庭を讚へ、井戸を讚美する。其讚美の語に、屋敷内の神たちをあやからせ、かまけさせようと言ふ信仰から出てゐる。單に現状の讚美でない。ほむ・ほぐと言ふ語は豫祝する意味の語で、未來に對する賞讚である。其語にかぶれて、精靈たちがよい結果を表すものと言ふ考へに立つて居る。言語によつて、精靈を感染させようとする呪術である。其上に言語其物にも精靈の存在して居るものと信じて居た。「言靈(コトダマ)さきはふ」と言ふ語は、言語精靈が能動的に靈力を發揮することを言ふ。言語精靈は、意義どほりの結果を齎すものではあるが、他の精靈を征服するのではない。傳來正しき「神言」の威力と、其詞句の精靈の活動とに信頼すると言ふ二樣の考へが重なつて來て居る樣である。
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折口信夫『呪言と敍事詩と』 から抜粋。



・2008-08-13 「ほ」を見る。

・2008/03/23 春の黄の花木 マンサク

・2008/07/28 芸能の発生 古代~中世 03 和歌とよごと




・2010-06-04 中世芸能の発生 319 宜(ノル) 祝詞(ノリト) 法(ノリ) 呪(ノロフ)
・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り
・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み




和歌 やまとことば 神を含むことば
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-05-18 中世芸能の発生 313 やまとことば
・2010-05-19 中世芸能の発生 314 仏教が和歌を退けた理由
・2010-05-20 中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教



つづく
by moriheiku | 2008-07-28 08:00 | 言葉と本のまわり

折口信夫の世界




折口信夫の著作は、幾度でも読める。


あることに興味がある時。

例えば、私が青いボタンを押すと、


広大な折口の世界から、
青のネットワークが、
浮かび上がる。



身体の隅々までいきわたる青い血管網のように、
青いネットワークは
生きている。


果てなく広がる夜景のように、
青のネットワークが眼前に現れ、広がる。




黄色に興味を持ち、黄のボタンを押すと、
黄のネットワーク。


果てを見とおすことのできない、はりめぐらされた黄のネットワークが、
折口の大地から浮かび上がる。



赤に興味を持つと、
同じ大地に、
今度は、赤のネットワークが
浮かんで現れる。





他の著者の本を読み、再度折口を読むと、
その時になって、
他の本に記されている内容はすでに折口に含まれていたことに気付く。



折口の残した知の蓄積は、
時の層のように重なっている。


どこからでもその大地を掘ることができる。



自分がなにかを知るほど、
折口の世界は広がる。




個々の知識を得ようとするよりも、
層に身体をとかすように読んでいる。

折口の世界をただ身体に映すように読んでいる。

それで理解される。





─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2008-07-27 08:00 | 言葉と本のまわり