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幼稚園史



ぱお(実家)に寄った。
母が子供の頃通っていた幼稚園の幼稚園史がテーブルの上にあった。
「結構面白い」(by母)とのことで私も見てみた。

昭和の終りに近い頃までが一冊の本にまとめられている。
日本では幼稚園は明治時代からあったそうだ。
幼稚園史には、年毎の集合写真と、園児と先生方の名前、
それからイベントやコメントなどその年書かれたものの抜粋が
少しづつ掲載されている。

私は昔の子供というと、
女の子はおかっぱか三つ編み、
男の子は坊主頭のようなイメージがあった。

けれどそのイメージは間違ってた。

戦前の子供たちは、
男の子も女の子も様々の髪型をしていた。
分け目もさまざま、髪のまとめ方もさまざま。

服装もきれいで、例えば大正時代の制服(園服)?のエプロン?の下には、
美しい柄の着物や洋服を着ていた。
男の子も女の子もエプロンにはきれいなリボンが縫いとめられていた。


古い時代から新しい時代へ、ページを追っていった。

年毎の幼稚園の発行物から抜粋したイベントやコメントが面白い。
ある年のコメント、
「お約束。帰り道に桃を買って帰る人がいます。買って帰らないようにしましょう。」
という内容の寄り道注意のコメントが、当時のことばづかいで書かれている。
園児が寄り道?!園児が桃を買って帰る!って。桃って!
と楽しい。

「大相撲の巡業を見に行って、欠席多数」のことが度々書かれてる。
みんなそんなにお相撲を見に行ったのね!幼稚園を欠席して!
当時人気の力士の名前も見える。お相撲って大人気だったのねー。

おっとりした風情の、
かわいらしい子供時代だ。

しかし戦争が近づくと、
コメントの記述に、教科書に出てきたような事件の名が多く混ざってくる。

やわらかくあたたかだった子供たちの服装は、
ほんの数年で、みるみる地味になり、
女の子の髪型はおかっぱ、男の子たちは坊主頭になった。

足を包んでいたブーツやきれいな草履にかわって、
下駄のような履物が増えた。

白いスーツに蝶タイ、ハット姿の先生も消えた。

写真全体から香り立つ、やわらかく暖かな雰囲気はなくなってしまった。

これはほんとに戦争前の子供たちと年頃の子供たちだろうか。
子供たちの顔もきびしい。

背景の庭の木々もやせている。


水のような染み変色のある集合写真がある。
戦争で焼けずに残った集合写真。なんとか探したそうだ。
集合写真が見つからないままの年もあった。

また、集合写真の中に、
名前の欄が空欄の、名前のわからなくなった子供たちがいる。
子供たちの名前は、生き残った人たちの記憶をたどったそうだけど。


戦争が終わると、どんどん現代に近づいた。
現代の私たちにとっても違和感のない幼稚園児の姿。
高度成長の時代を過ぎて、豊かな時代に入る。


あの戦前の、写真からただようわらかいあたたかみのある子供たちは、
戦後はいなくなった。

豊かな時代になったはずなのにどうしてだろう。

昔は軍需景気などあっただろうか。
年を召された方々が、大正は一番良い時代だった、とおっしゃるのを
何度か聞いたことがある。

幼稚園史の中の戦前の子供たちを見て、
それはこのことなのね、と思った。


園児たちの集合写真と名前が載っている本。

かわいらしく、かわいらしく、また重い、時代の推移が見える。






母方の人々  いざ鎌倉江戸   忠義と消防  桜の文化
・2013-08-20 消防車 忠義 桜


母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了
by moriheiku | 2012-12-22 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 195 『神の嫁』折口信夫



つづき

“啞(おし)になった姫の部屋から、父卿の処へ、童女が、手紙の様なものを持って参りましたのは、ちょうど、俄かに飛鳥行幸のある、という一刻前で、横佩朝臣の名もお供の数に這入っていましたので、あわてて衣装をつけていた時でした。開けて見ますと、美しい蹟(て)の真名(まな)書きです。その美しい蹟、男でも書ける人の、そうそうあろうとも思われぬ文章を、澱みなく書いてあるのを見ると、更に新しく涙を誘われる様な気がしました。「二豎入于帝郷。蓬壺亦不安。……」読んでいくと、居ても居なくてもおなじ様なからだになった私の身一つを、その疫(えやみ)の神に捧げて、世の中の人を救う積りになった。平生は何の役にも立たぬ女の物の用をしおおせる時が来た。今を外しては、こんな時は来ない。どうぞ、私を大路の中へ棄てて下され。世間中の人の罪業(ざいごう)を背負うて、疫病の神に随うて行く。”(折口信夫『神の嫁』)


折口信夫の小説『神の嫁』は、
『死者の書』に先だって書かれた。未完。

横佩大納言(藤原豊成)の姫が行方知れずになった事件から発想されたもの。
後の『死者の書』同様、
横佩大納言の娘で後の人に中将姫と呼ばれた
藤原南家郎女(ふじわらなんけいらつめ)を中心に物語は進む。
そこには民俗が浮かび上がる。

中将姫の物語と、
奈良葛城の二上山の當麻寺(当麻寺)の
伝説に姫が蓮糸で織ったといわれる曼荼羅(当麻曼荼羅)は、
広く庶民の信仰を集め、唱導説経となり、
浄瑠璃や能など多く芸能になった。

折口の『国文学の発生(第二稿)』などの中の神の嫁は、
民俗学、学問としての著述で小説『神の嫁』とは別のアプローチのものである。



『神の嫁』藤原南家郎女の父、
横佩大納言とも呼ばれ実在した藤原豊成は、
藤原武智麻呂の長子、藤原仲麻呂の兄。
橘奈良麻呂の乱に関係し大宰員外帥に任じられ左遷されたが、
病を理由に実際には大宰府へ赴かず難波にこもった。


『神の嫁』で、横佩朝臣(藤原豊成)は、
疫病を逃れて飛鳥へ行く天皇に随って
平城京から飛鳥へ行こうとしていたところであったから、
この時豊成はまだ難波に蟄居していない。


とすれば、先にあげた文章の、疫病の流行は、
第12次遣唐使船の帰国とともにもたらされた時のものか。

第12次遣唐使は、天平勝宝6年(754年)に帰国。
計4船であったが、 帰国の途で、
藤原清河(大使)と阿倍仲麻呂の乗った第1船は難破し日本へ戻らず、
吉備真備(副使)大伴古麻呂(副使)の乗った船以下3船が帰朝した。

鑑真和上は、それまで5度来日を試みられたが、難破漂流によってならず。
鑑真の才を尊び身体を気遣う人々から来日を反対されていたが、
この時の遣唐使船にひそかに同乗し、6度目で来日を果たす。
すでに失明されていた。



大伴家持は、越中の国守の任を終え帰京しており、
この第12次遣唐使帰国の天平勝宝6年(754年)兵部少輔になった。


この時代の、天平の時代感に、
いつも私の心臓は持っていかれる。

海のかなた、大陸から
きらきらとした大波がやってくるのが見えるようだ。

国内の緊張。
濃厚だった古代の面影から、急速に新しい時代に入る過渡期。

そう間もたたず、断続的ではあるが長く京(みやこ)の置かれた奈良盆地から、
京(みやこ)が移る。

その境まで生きて、家持は死ぬ。








阿倍仲麻呂 遣唐使
・2009-01-11 遣唐使のこどもたち
・2009-01-10 粟田真人 「日本」の名のり
・2009-01-12 山上憶良 早く日本へ大伴の御津
・2009-01-13 粟田真人と雅楽 波の端の光
・2009-06-28 中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』
・2009-06-05 中世芸能の発生 140 聖典



死者の書 当麻寺
・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 02
・2008-12-03 地形を旅した 當麻寺(当麻寺)
・2008-12-03 地形を旅した 折口信夫の『死者の書』
・2008-06-12 『死者の書』 折口信夫



大伴家持
・2009-09-10 時の花
・2009-09-09 清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
・2009-03-17 「奈良の世の果ての独り」
・2009-09-08 言語美
・2009-09-07 珠洲の海
・2009-09-06 辟田川




女人救済
・2009-09-03 中世芸能の発生 196 かたがわり
・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 02





女性に求められた宗教性とその変遷  巫女としての側面
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・2009-07-28 中世芸能の発生 180 古代の女性の宗教的側面


巫女
・2009-07-26 中世芸能の発生 178 放浪する女性宗教者
・2009-07-27 中世芸能の発生 179 遊部
・2009-07-29 中世芸能の発生 181 巫女

・2009-09-30 中世芸能の発生 207 里神楽
・2009-08-01 中世芸能の発生 182 芸能の始め



白拍子 遊女
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし



采女
・2008-09-03 中世芸能の発生 04 采女



遊行婦女 遊女
・2009-02-09 中世芸能の発生 65 万葉の遊行婦女
・2009-02-10 中世芸能の発生 66 遊女の転落



宣旨 女房
・2009-03-10 中世芸能の発生 86 歌合の女房名
・2009-02-13 中世芸能の発生 69 遊女と女房文学



読経と芸能  遊女
・2009-02-12 中世芸能の発生 68 読経と芸能
・2009-09-13 中世芸能の発生 201 陀羅尼 三昧




左夫流児(さぶるこ)の名  遊女
・2009-11-08 中世芸能の発生 239 さぶるこころさまねし
・2009-11-24 中世芸能の発生 248 「さ」 「い」 「ゆ」



比丘尼 歌比丘尼
・2009-03-03 中世芸能の発生 80 比丘尼と椿



女性の宗教的側面と、その変遷

・2009-08-02 中世芸能の発生 183 女系 妻帯

・2009-02-07 中世芸能の発生 63 桂女

・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
静御前





傀儡女・遊女と今様  
・2010-12-01 中世芸能の発生 368 今様
・2010-06-22 中世芸能の発生 331 罪業感 今様
遊女の罪業感



あそび たまふり 
・2010-12-12 中世芸能の発生 376 遊びをせんとや生まれけむ

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つづく
by moriheiku | 2009-09-02 08:00 | 歴史と旅

五来重を読むこと



五来重さんの著作に惹かれる。

そこにある原始性に惹かれるのだと思う。

五来重の著作を読み始めて間もないが、
ともかく身体感をともなって、腑に落ちる。


考え方を固めたくないので、
ひとつのことについて、できるだけ複数の視座から
本や資料を読んだり見たり聞いたりするが、

なるほどと理解はするが納得できていないものは、
身体感が伴わない。


正論のようで納得できていないものに感じる、
どことも言えないかすかなひっかかりは、
本質につながる鍵になる。

そのため身体感の伴わない経験も
楽しいことではある。




ただやみくもに、手当たり次第にあれこれたどってみると、
ぼんやりとしていたことが目の前にかたちになって、
どうしてもそのようにたどられること、

その場所に、五来氏があるように思う。
私にとっては。



五来氏の著作を読むことは、

たとえば音、たとえば歌、
たとえば絵や物語の中にみえるかつての女性たちや、

たとえば自然や山岳の土地の感覚などで感じる、
古代の遊行(修行)者たちのありようの
示唆と裏付けであって、


同時にそれ以前の、
原始感を身体に起こすこと。






・2008-06-22 オリジン
・2008-07-12 コード
・2008-07-11 神仏習合思想と天台本覚論 04
・2008-08-24 弓と自然
・2008-09-04 身体
・2008-08-02 表現の根

時代が進み、宗教が生まれ、社会が変わり、仏教などで論理化されても。
最もベースにあるものは、
身体感に深く結びついた、
自然だ。

感覚を揺り動かすのはそれだ。
どうしてもそこに根がある。


身体感覚を通して精神を再発見する。
身体と精神が結びついているもの。
そういうものは、バランスがとれている気がする。






・2009-11-19 中世芸能の発生 246 翁 神さびる
・2009-11-08 中世芸能の発生 239 さぶるこころさまねし





・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
by moriheiku | 2009-07-22 08:00 | 言葉と本のまわり

併読派




電車はホームを出たばかり。
次の電車まで二十分待つ。


私は本は併読派(なんてあるかしら)で、
常に五冊くらい本を平行して読んでる。

電車の中と電車の待ち時間は読書タイム。

電車がちょうど来て、すぐに乗れてしまうと、
本の時間が減るから、
電車を待つのは楽しみ。



あと二十分。
混んでいるホームで、次の電車までとバッグから本を出し
読みはじめてまもなく、

「ああ、あっつい、あっつい」とおっしゃりながら、
ホームを年配の女性が、一人で歩いていらっしゃるみたい。


私は本に目を落として、文字を追っていたけれど、

私の前をとおりすぎる時、女性の歩調が少し落ちたかな、と思ったら、
女性が立ち止まって「あっつい、あっつい」とおっしゃっている。

あら?
と思って、目を文字から足元の少し前に移すと、
女性の足がこちらを向いて立っている。

わたしにお話されている?
目を上げると女性がこちらを見て立っていらした。

「暑いですね^^」と挨拶して、本のつづきを読もうとした。


すると女性はそこから、
女性は朝早くは肌寒いような気がして、
カーディガンを着るが、日中は暑くなってしまうこと、
年をとってそういう加減がうまくできなくなったということ、

その時、女性の着ていらしたアンサンブルは、
二十五年くらい前に買ったもので、
二十五歳くらいの時のものであることなどお話されて、

私は
「そうですか」
「二十五年!大切に着られるのも素敵なことですね」
など相槌を。
まあ、女性は相槌はぜんぜん聞いてはいらっしゃらないのだけど。

でも女性は七十歳近いようだったけれど、
二十五年前の二十五の時って、、って、それもまた楽しかった。

物持ちの良さより、年齢の若さを選ばれるのですね、と思ったりして。




電車は、ホームの両側に次々入っては、発車していく。

十五分くらいお話をうかがって、
その時女性はまさにお話されている途中だったが、
遠くからある電車が来るのが目に入ったら、
まるで目と電車が糸でつながっているように、
電車のほうを見たまま、
何もおっしゃらずに電車のほうへ歩いていかれた。


たまたま会話の途中からやってきて、私たちの隣で電車を待って、
女性と私の話を聞くともなしに聞かれていた男性のほうが
びっくりされて、わたしを見た。

目が合って、同時に一笑して。

男性も事情が飲み込めたみたいだった。


年配の方って、自在だ。




手あたり次第に読む本も発見がいっぱい。
読みたい本に時間は追いつかないけれど、
五来重と折口信夫の著作集はみんな読みたい。


著者や内容も違ういくつかの本を併読すると、
その内容は神経がつながってくように互いにつながりあって、
単体で読むよりもずっと深く読むことができるのが楽しい。
by moriheiku | 2009-07-17 08:00 | 言葉と本のまわり

中世芸能の発生 105 『殺生と信仰 武士を探る』




つづき


『殺生と信仰 武士を探る』五味文彦著 は、
とても参考になった。

『今昔物語集』『沙石集』『吾妻鏡』他、
資料として説話や絵巻が豊富に取り上げられているので、

プロレスや、戦争ものやバイオレンス映画を見られない私も、
バイオレンスな面を持つ武士について
興味を持って読めた。



著者は、
律令国家における武官に着目しつつ、

武士は、
狩猟民から始まり、農耕民へと転身、さらに都市民へと変化したと
考えられている。

また、その直線的なルートのみでなく、
山路海路をねじろとする山賊、海賊、
供御人、悪党、芸能者、神人、僧兵等から、
多様な武士の姿が考察されている。


つづく
by moriheiku | 2009-04-14 08:01 | 歴史と旅

中世芸能の発生 85 現代の歩き巫女



つづき


司馬遼太郎の『街道をゆく』第1巻をつらつら立ち読み。
竹内街道が掲載されてると知ったから。

司馬さんが、ケルト系日本語研究者のロジャ・メイチン君と
三輪を訪れるところで、

司馬さんたちが三輪山の中で
磐座イワクラなど見ながら歩いていると、

“素足の老女がむこうから歩いてきた。なにやら白っぽい着物を着て、ヒモで腰のあたりをむすんでいる。かごの中に小鍋が入っていて、鍋に豆腐が一丁入っていた。”

“お詣りですか、というと、いつもこの山に居まンねええ、と吉野の山のあたりの古雅ななまりで答えてくれた。
「参籠ですか」
「そうですねえ」
「お滝?」
「いろいろですわいなあ」
と、ゆっくり、節まわしのついた言葉でいう。これは巫女ではないかと内心驚きつつ、さらにたずねてみると、吉野の奥のうまれで、二十三年この三輪山の中で暮らしているという。”

“「むかしからおばさんのような人がいましたか」
「ええ、ええ」
と微笑するだけで、言葉数がすくない。”

司馬さんは、このかたの暮らしについて、
たぶん物事の吉凶を占って得たお金が、
この豆腐になっているのだろうと推測されている。
推察、というのは、
なにぶん“古代人と話をしているようで、うまく会話が運ばない。”そうなので。

“別れて、メイチン君にささやいた。
「やはり居るんだな」
古代や沖縄だけではなく三輪山にも居るという意味である。”


ええーーー。まじでーーー。
あ、すっかりガラが悪くなっちゃった(地が出たともいう)。
丸善(書店)の片隅で一人唖然。

これって、『街道をゆく』シリーズの第1巻よね。
3、40年くらい前に書かれたものよね?
びっくり。

司馬さん、かつての記者魂でもう一押し、
そのかたの生活や巫女となった経緯をひとつ、
と、つい思ったけど。

そのかたは話さなくてもいいことだし、
私が知らなくてもいいことだろう。


歩き巫女。
静かに長い歴史の終焉をむかえる(た)のだろうか。

こうした巫女が現代(40年前も現代よね?)にもねえ、
なんとなーく満足して本を戻して帰った。



つづく
by moriheiku | 2009-03-08 08:00 | 歴史と旅

遁世者の僧形



つづき


兼好法師。吉田兼好。
俗名、卜部兼好。

吉田神社の神職の家の出身。
後の人に吉田兼好と言われた。
歌人でもあった。


宮に出仕し後二条天皇の蔵人など勤めた後、
後宇多院の北面の武士となり、院崩御後に出家した。
鎌倉時代後期のこと。
出家の理由はわからない。

平安時代に、
やはり北面の武士から出家遁世した西行の出家の訳と同様、
理由は一つということはないだろう。

徒然草の内容、
いかにも「この時代の」隠者(遁世者)…。

っていうか、
兼好法師が「この時代の」隠者イメージ、代表選手の一人。

隠者文学ジャンルのイメージ代表。



鴨長明の『方丈記』が書かれたのは、『徒然草』のおよそ百年前。

鴨長明は平安時代から鎌倉時代にかけて生きた人。
こちらは下鴨神社(賀茂御祖神社)神主家の出身。
遁世後『方丈記』を記す。



吉田兼好と鴨長明はどちらも社家出身の隠者(遁世者)で、
ともに雅楽に親しく、
出家後も楽とは離れなかった。


『徒然草』に雅楽について書かれた段がいくつかある。
(のちほど。 そもそも私は兼好法師と雅楽について書きたかった。)

『徒然草』に、平家物語の始まりについて書かれた段がある。
(のちほど。 私はそもそも徒然草と平曲・平家物語のことを打ちたかった。)




『徒然草』第一段、
兼好法師が人の欲の中ではじめに出世欲をあげる。
卜部兼好自身がそうだったのかもしれない。

兼好法師が出家前に勤めた院の近衛隊である北面の武士は、
家が豊かで、教養があり、弓馬に優れ、姿のよい者がなる。
それぞれが部隊を率いる大将だ。
華やかで人気の人々だけど。
卜部兼好はどんなにもてはやされても従五位あたり。
上級貴族にはなることのない立場だ。


宮廷に出仕し、
宮廷の華やかで美しいものへのあこがれと同時に、
欲や繰り返される戦乱を身近にしてきたことは、
出家につながっているのだろう。
また表面上のそれよりももっと深い理由もあるんだろう。

西行をはじめ、多くの北面の武士が出家遁世してきた。

北面の武士って、葛藤を持ちやすい。
無常を覚えやすい立場だと思う。


しかし、徒然草を綴るとき、兼好法師が選んでいる文体は、
和漢混交文と仮名文。

武士的候文とはおのずと調子が違う。

兼好の宮廷好みを反映している。

欲のうち、食欲なんかをまずあげないあたり、
食うや食わずのぎりぎりには生きてこなかった人なのだ。


兼好法師のように、己を捨てきらず、
世間とほどよく関わりを持ちつつ、
己を語りながら、
己にとっての真実を見出そうとする徒然草の内容は意図しない部分で正直で、
多くの人にとって共感しやすい。

それでどうも俗さが鼻に付くけど読めてしまう。
(それは兼好が出家であるからで、出家でなく隠者と思えばいいのだろうけど・・)


西行、鴨長明、兼好法師、後の芭蕉、
ひとくくりにすることには抵抗あるけれど、
遁世した僧とはいえ、
隠者文学を生んだ人々は、
利他を実践して生きた遁世の僧とは違う感じ。


ある時から僧形は、
こうした隠者のしるしにもなった。



利他
・2008-12-29 中世芸能の発生 45 忍性 利他

西行
・2008-12-16 本来空
・2008-12-15 地形を旅した 西行の妻




・2009-01-18 『徒然草』 文の調子
・2009-04-09 中世芸能の発生 103 芸能としての武芸 西行
by moriheiku | 2009-01-19 08:00 | 歴史と旅

『絵巻物に見る日本庶民生活誌』 宮本常一



今日も、みのさんが、テレビの中で、
台紙にはりつけた紙をペラッ、ペラッとはがしながら、
事件?のことなどを説明してる。
紙芝居のように。


チャンネルをパパパパと変えながら目に入る。
朝から見たくないなー、って思う。なんとなく。

音のボリュームをゼロにしていて音声は聞こえないけれど、
一瞬画面に映った絵づらから、
独特の調子が聞こてくるようで。

避けていてもいつのまにか耳に馴染んでいた、
あの芸。



アタシはアレを見ると、
これって、絵解き?なんて思ったり。


みのさんを見て、
このみのさんの芸も、
昔、子供たちの娯楽だったという
ゲゲゲの鬼太郎原作者水木しげるさんも描いていらしたという戦後の紙芝居も、

かつて熊野比丘尼などがして盛んだった日本の絵解きの流れの、先っぽ?
なんてぼーっと思ったりして。


大辞林 goo 辞書 
・絵解き

芸を持って漂泊する比丘尼 のちの遊女の流れのひとつ
・絵解き比丘尼
・歌比丘尼
・勧進比丘尼



昨秋から、絵巻や図像から歴史を見た本をいくつか読んだ。

『絵巻物に見る日本庶民生活誌』 宮本常一(著)
『梁塵秘抄のうたと絵』 五味文彦(著)
『絵画資料で歴史を読む』 黒田日出男(著)
『王の身体 王の肖像』 黒田日出男(著)
他。

個人的に特に面白かったのは、
『絵巻物に見る日本庶民生活誌』 と 『梁塵秘抄のうたと絵』。

私は興味深い場所はページの片端を三角に折るんだけど、
折らないページより、折ったページが多い。
この二冊は全編くまなく折った。
本さん、痛くしてごめんなさい。。



● 『絵巻物に見る日本庶民生活誌』 宮本常一(著)

庶民生活誌というタイトルだが、
内容は貴族や武家の生活も含まれる。
中世絵画から見える人々全般の生活を考察されたもの。

絵画資料の中に、
当時の人が当時の人々に向けてした絵解きに使った絵巻などがあるけど、
その絵解き絵巻から、現代人の著者が、
絵解きをされてた当時の人々の生活を解くものだから、
読む側の私にとって、まるで二重に面白い紙芝居。


履物、高床式住居、弓、船、酒盛り、唐紙、動物、子供、立ち方、座り方、、、
絵巻に描かれているもの、描かれていないものからわかる当時の人々の感覚。

現代人とは異なる目線。
その目線でものを見ることは新鮮。


例えばひとつ、貴族の行事を描いた「年中行事絵巻」。
行事の中に民衆が紛れ込んでる。

牛車の脇で主人を待つ従者は、
民衆の子供がその牛車の柄にぶら下がっていても、
気に留める風でもなく、ほったらかしで怒りもしない。

別の場面では、
貴族の庭にまで入り込み館の中を眺める民がいるが、
そこまで入ってこれちゃうのね、と
さほど追い払われもせず。

それはなんだか、
牛がたまに尻尾でハエを払うくらいな感じに見える。

当時の民衆は物見高く、
わくわくして貴族の行事を見物していたけど、
貴族にとって民衆はさほど目には入らなかったもよう。

この本を見ると、
どうも貴族にとって庶民は、別の生き物だったみたい、って思う。

今私たちが何かをしているところに、猫が横切っても、
虫がとまっても、鳥が鳴いても、
私たちは特に気にしないように。

同じ地面に立ちながら、住み分けてたのだ。


現代の感覚をあてはめてそれを云々することは無益で、
そうなっていたのには思想的な土台がある。

住み分けていたものが、
互いの世界が混ざる下克上なんてことが
おきる世になった衝撃は大きかっただろう。


そうした感覚の一端が、この本の絵と解説を通してわかる。

これはほんの一例。内容は多岐。

それら目線を知ることは
芸能や政治、信仰、様々な理解へ広がる。





住み分けって、面白い感覚だけど。
良し悪しとはまた別ね。

人類皆平等っていう考え方のない世界って、どんな感じ?
今の、人類皆平等、っていう考え方もやっぱりいいものよ。





・2009-02-02 中世芸能の発生 60 芸能者の童形
by moriheiku | 2009-01-14 08:00 | 言葉と本のまわり

『徒然草』 第百四十一段 悲田院の尭蓮上人は…


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悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、双なき武者なり。故郷の人の来りて、物語すとて、「吾妻人こそ、言ひつる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし」と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔かに、情ある故に、人の言ふほどの事、けやけく否び難くて、万え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。偽りせんとは思はねど、乏しく、叶はぬ人のみあれば、自ら、本意通らぬ事多かるべし。吾妻人は、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより否と言ひて止みぬ。賑はひ、豊かなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかなる理いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくゝ成りて、多かる中に寺をも住持せらるゝは、かく柔ぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。
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(訳 ちゃんとした訳じゃない訳 だいたいこんな感じかなって)
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悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかで、並ぶところのない武者だった。上人の処へ故郷の人が来て語り合っていた時、その人が、「関東の人が言ったことは信用できる。京の人は、返答のみ良くて真実がない。」と言うのを、聖(尭蓮上人)は「それはそのように思いがちだけど。私は京に長く住み、馴れて見てみると、京の人の心が劣っているようには思わない。京の人はおしなべて心が柔らかで情があるから、人の言ってくることを簡単に拒みづらくて、思っていることを全部言えず、心弱く事を了承してしまう。偽りをしようとは思わないけれど、貧しくてそのとおりにできないから、おのずから、了承したとおりにならなくなってしまうことが多いのだろうう。関東の人は、関東は私の出身地だけれど、そのようには優しくなく、情が少なく、まっすぐ一辺倒なので、はじめからNOと言って、お終いとなる。しかし関東の人は豊かに生活しているから、人には頼りになるのでしょう。」と理をおっしゃった。この聖(尭蓮上人)は、声に訛りがあり、口調が荒っぽく聞こえて、経典の細やかな内容をほとんどわかっていないのではと思ったけれど、この一言を聞いた後は、奥ゆかしい人と思われて、多く僧がいる中で、一寺を持つ住職となっていらっしゃるのは、こうした優しいところがあって、それがあらわれているからだと感じられた。
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悲田院の僧となっていらっしゃるから、
やっぱり尭蓮上人という方は人徳のあった人と思う。


僧忍性が関東へ下って、
藤沢(鎌倉)を中心に、行いに行った社会福祉活動には、
関東の北条氏など武家の喜捨による支援があった。

戦が多く殺生や生死の際にいた武家も、
思うところは深かっただろう。


忍性は、
癩者(らい病患者)や非人、窮者の救済施設である悲田院となる寺院を作り、
衆生救済に力を尽くした。

尭蓮上人が、関東から来た人というのは、
こうした流れだったかと思う。





・2008-12-29 中世芸能の発生 45 忍性 利他

・2009-01-03 中世芸能の発生 50 悲田院
by moriheiku | 2009-01-09 08:00 | 言葉と本のまわり

『笛師』 新田次郎



笛師の家に笛師は一人。

他の者は、笛師の兄弟でも、笛作りに優れていても、
笛が好きでも、
生涯、笛師の下働きだけをする。

笛師の家は、笛師以外は、笛を吹いてはならない。
吹いて律を確かめるられるのは笛師ただ一人だ。



この小説の笛師の家は、雅楽の笛を作る家。

笛師の新之助の跡取りの隆雄は、笛が好きだった。
笛を吹くことが好きだった。
自分の満足できない笛は笛でなく、自分が作る笛を熱心に調律した。

笛の音は高く遠く聞こえる。
近隣から苦情が出た。

知恩院の裏山の山腹に、先祖代々の墓がある。
そこ登って吹いたが、足の悪い隆雄には山の上り下りを続けることはむずかしく、
愛宕まで行って吹くようになった。

「愛宕山の麓を清滝川が流れている。その上流に古い寺があった。荒れ果てた寺で、住職が一人いたが耳が遠かった。」

「吹いているうちに、自分を忘れた。音の中に踏みこんでいく自分だけがあった。」

「「おれは粟田真人を見た」
隆雄は、われに返ったときそうつぶやいた。
「「あなたの笛が聞こえたよ、この耳に、長いことなんの音も聞こえなかったこの耳に笛の音が聞こえたよ」
隣室に居た老僧が来て隆雄に言った。」

「隆雄はその喜びを父に告げたかった。新之助は既に六十八歳で、笛を作る身体ではなくなっていた。その父に、隆雄は一刻もはやく、このことを知らせてやりたかった。」


隆雄が寺を出たとき小降りだった雨が、はげしくなった。
が、絶頂に居る彼は、激流に道が崩れることにも恐怖を感じなかった。

濁流に呑まれる時、隆雄は、雅楽の釣太鼓の音を聞いた。続いて篳篥の音を聞いた。
それに反射して、
油紙に包んで大切に胸に持っていた竜笛を
包みごと口のところまで持ち上げた瞬間、
彼の身体は濁流に消えた。


そんなに笛が好きか。


『笛師』は、つづく笛師の家の近代から現代、数代分の物語。


『笛師』を読むと、絶対笛を吹きたくなる。

竜笛(龍笛)を吹いてみたい。

私は雅楽器なら笙、と思っていた。

お能の笛の練習だけでもいっぱいいっぱいだけど。




江戸、明治、昭和、京都、名古屋、ヨーロッパ、科学、伝統、
笛師をめぐって軸が立体的に交差する。


つづけてきた“かたち”、その芯にあるのは、
古代からの音と笛。







・2008-11-04  楽と祭祀 01 雅楽寮

・2009-01-10 粟田真人 01 「日本」

・2009-01-13 粟田真人と雅楽 波の端の光



・2009-09-18 高山寺
by moriheiku | 2009-01-08 08:00 | 言葉と本のまわり