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「ETV特集 吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」を見て


昨夜(1/4)のNHK ETV特集 吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~ は
面白かった。

言論界の在野の雄は今も明晰。

放送は吉本さんの3時間に及んだ公演をメインとし、
その後、司会の糸井重里さんが吉本家を訪ね、
さらに話を聞いた部分が加わってる。


公演中吉本さんの言葉がききとりずらいことがある。
聞き漏らさないよう聞く。

吉本さんが芸術について語られる言葉の中で、
哲学の講義を受ける楽しさよろこびを今再び味わって、
まだその気持ちはつづいてる。


人生をかけてたどり着く思想の終着点は、
聞く心にはなびらを降らせるんだ。

それを聞き、読み、それを知る心に降りつづけるはなびらは、
桜の淡くうすいはなびらのようだ。

その思想に賛成か納得できないかはまた別のこと。
終着点に行く途中の思想だっていい。



公演全体のほんの数分だけど、
芸術について語られる中で
万葉人と歌について触れたところがあった。

現代は語彙も多く、表現の方法も多く、
ことばを使うことに優れていると考えられている人が多い。
しかしその分、現代は意識が分散してしまっている。

万葉の時代は、それしかなかったんだから。
沢山の表現方法の中でそれにしよう、とかじゃなくて、
表現は歌になっちゃうんだから。
ことば、音律も、意味も、なにも、なにもかも歌にこもっちゃうんだから。

ということを吉本さんはおっしゃっていた。


芸術の価値は、
芸術の本質は、表現より前の、
まだ沈黙のうち(自己表出)にある。

表現方法(指示表出)に意味はあるけれども、
それは芸術の枝葉であって、

芸術の本質(言語の幹や根)は、表現より前の、
まだ沈黙のうち(自己表出)にある。


時代が進むと芸術も進むと考えられていることが多いが、
心から真っ直ぐに放ったものが何もかもこもった歌に、
現代の人の歌はかなわない。

とのこと。



録画していないから正しく打てないけれど、

万葉時代の命の強いことば(歌)について話されている時の吉本さんの高揚は、
素朴な原始的な歌のように身体に響いた。

講演は時間の制約があり、急いで語らなければならないから、
丁寧に練られたことばではないけれど、

その時話されていることばこそ、
吉本さんがその時語られていた歌のようになっていた。


そこで語らなければ。その時、
魂のようなものがことばに集中して放たれている感じだ。

語彙の数や流暢さではない。

ことばや音は魂を持つと信じられていた感性が、息を吹く。



番組全体のうち万葉の歌についてはごく短い部分で、
公演は文芸評論について芸術について、
これまでの吉本さんの考えてこられた思想が語られる。
胸を打たれるところがいっぱい。
けどそういうのは吉本さんの著作を読めばいいのだ。

ボンクラなアタシは
吉本さんとは違う意見を持っているかもしれないけど、

その人の思想に反対か賛成かじゃない、
吉本さんの思想のことだけじゃない、

世界中の人生をかけてたどられた様々な優れた思想は、
思想家の全人格的なもので、
その人個人をこえるその人の居る(居た)世界の表出だ。

哲学は美しい。






・2012-03-24 中世芸能の発生 432 言語芸術論 芸術と芸能





・2009-12-13 中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ
・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば



・2008-12-16 本来空



・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感

・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々



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・2010-04-02 中世芸能の発生 299 ことばの発生と本質
by moriheiku | 2008-12-25 08:00 | 言葉と本のまわり

グールドの雲雀



五月は、テレビ番組『知るを楽しむ』で、
宮澤淳一さんの案内によるグレン・グールドがとりあげられた。
毎週全4回放送。

アタシはグールドが好き。
グールド本を書かれた宮澤淳一さんが案内役をされるそうで
番組を楽しみにしていた。




ピアニスト、グレン・グールドのアルバムデビューは1956年
バッハのゴールドベルク変奏曲(ゴルトベルク変奏曲)。

間もなくコンサートでの演奏活動を否定し、
良い録音をして、人気者だったが、人に会わず、
ほとんどの時間を自分のアパートと自然の中で一人で過ごし音楽に没頭した。

前のゴールドベルク変奏曲のアルバムから25年ほど後、
再びゴールドベルク変奏曲を録音した翌年に脳卒中で急死した。
ゴールドベルクのアルバムが発売されて数日後だった。


すでに次作の録音もされていたようだ。




惹きこまれる。

録音の中に聞こえる鼻歌にも。





番組では吉田秀和さんがグールドを語られる映像も部分部分にあって、
心に深く沁みた。



グールドは長年夏目漱石の『草枕』を愛読していた。
亡くなるベッドの枕元にも聖書と『草枕』のペーパーバックが置かれていたそうだ。

生前グールドが、カナダのラジオで『草枕』を紹介した。
その時彼が朗読した英語の草『草枕』の一節が流れた。

雲雀(ヒバリ)のところ。
幾度も読み返され書き込みされた本の、
きっとここにも付箋が付けられていたんだろう。 



(※下記改行は都合上)

”あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。

のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、

また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。

その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。

雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。

登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、

漂うているうちに形は消えてなくなって、

ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。”





漱石の『草枕』は、このあとシェレーの詩が書かれ、漱石自身の文章に続く。
そちらも胸を打つ。

芸術家の心と思って。








・2008-06-09 夏目漱石 『草枕』




・2008-07-04 音楽になっていた

・2007-11-11 音楽のフラクタル

・2008-02-06 バック・トゥ・バッハ
by moriheiku | 2008-06-04 08:00 | 音と笛のまわり

『羅生門』 黒澤明特集 ミフネ



NHK BS2 で 没後10年 黒澤明特集 が始まった。

年末までに黒澤明映画全30作品を放送予定。

無事過ごせたら全部観るぞー♪おーー。




初回放送、1950年製作映画『羅生門』の中の三船敏郎は、

今テレビの中で見る娘の三船美佳さんにそっくりだった。


鼻の穴の形まで。




美佳さんって、ハンサムなんだ。



『羅生門』の頃、三船敏郎30歳。





次に放送された作品、1961年製作『用心棒』では

もう美佳さんに似て見えなかった。










肉の若さが輝いていた。

羅生門 三船敏郎の盗賊 多襄丸、なんといいキャスティングか!











原作小説に持ちえない

映像と演技の面白さ。

シンプルな構成、だが見飽きない。

映画であることの面白さ。



初回がこれでよかった。






─── <夕食> ────







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by moriheiku | 2008-04-22 08:00 | 言葉と本のまわり

墓場鬼太郎



深夜に放送してる『墓場鬼太郎』のオープニングテーマ、
電気グルーヴの『モノノケダンス』はビジュアルも面白くって、
うかうか唄ってしまうこの頃。

このあいだ放送された寝子ちゃんの話も、
やりきれなさにストーリーを納得できる。


寝子ちゃん、不条理なものですね。


で、寝子ちゃんの曲を唄ってしまう。


早く忘れたい。
寝子ちゃんのことと、寝子ちゃんの曲を。



墓場鬼太郎 ハカバキタロウ 公式サイト
http://www.toei-anim.co.jp/tv/hakaba/index.html




─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2008-02-09 08:00 | 音と笛のまわり

青いガンジス川 02




つづき




こどもたちが、青い川に飛びこんで、

ぴちぴち笑いながら、魚のように遊んでいた。



何千年前もこどもたちは同じように遊んでいただろう。

ずっとそうなんだ。


ガンジス川に生まれて、死んだらガンジス川に帰るんだ。

そういうことなんだ。







この映像を撮るカメラマンさんはどなた。

アングル、コントラスト。
映像の一瞬一瞬が、美しいスチールとしても成立する。




一瞬一瞬、胸を打たれる。
1秒の、建物の屋根の映像にまで
心がかたむけられているから。

心をこめて撮られている。
番組全体がそのように作られてる。


映像を心の中でキャプチャーし、
厚い写真集ができた。
by moriheiku | 2007-08-15 00:00 | 言葉と本のまわり

ヤンヤン 夏の想い出 (ネタバレなし)




現代台湾富裕層のある一家の、夏の物語。映画。



家族それぞれにおきる夏の出来事。

人間的な面を描きつつ、

俗なそれらは美しく、愛おしい。




アジアの監督の作品に、

たまにこういう空気のものがある。



からまる人間関係や悲しみの後ろにも、

背景に、あたたかく豊かな、空気が流れている。



人生に持ちあがる真剣な出来事は、

きっと、大河の表面の、小さな水しぶきのようだ。


映画で、全然そんなことは言ってないけど。



一人一人の人間の後ろにある厚み。

監督の持っている厚みか。



瑞々しい画。


人生はほんとうはシンプル。






観終わると、水晶の珠のように澄んだ世界が心に残った。


エドワード・ヤン監督が、早く亡くなられて残念。







─── <夕食> ────







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by moriheiku | 2007-08-01 08:02 | 言葉と本のまわり

写真家 木村伊兵衛



先週と今週一週間、
いろんな方から、お菓子をいっぱいいただいた。
にわかお菓子長者は、よろこびあふれ、朝起きてから夜寝るまで、食べる、食べる。


ETV特集 『木村伊兵衛の13万コマ ~よみがえる昭和の記憶~』(録画)を観た。

▽NHK ETV特集 木村伊兵衛の13万コマ ~よみがえる昭和の記憶~
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2006/0318.html



昭和40年代末に亡くなった写真家 木村伊兵衛のコンタクトから、写真と時代を読む。

コンタクトとは、フィルム丸ごと一本分を、一枚のプリントに現像したものだ。
これだ、という一枚を取り出したものではない。

世に出すこの一枚、のみを見ることとは違う。
コンタクトの連続したコマからは、時代や技術や、写真家の視点の流れがわかる。

日常を風景を切り取ったスナップ写真は、現代では一般的だ。
だが昭和の初め頃には、ほとんどない表現手法だった。

当時のカメラは重く、そのカメラで撮る写真は、
写真のために特別に整えられ、じっとすました様子を撮影するものだった。

その後、ライカをはじめとする、コンパクトで一瞬を切り取ることのできるカメラが登場する。
木村は、写真を撮るため作りこんだものでなく、、
日常の中から、あるワンシーンを見出し切り取る、写真の世界を開いていった。

スナップ写真と報道写真は、ある意味、同列だ。
作られたセットでないものを撮るという点で。



写真家自身を知る上で、コンタクトは、とても興味深い。

番組では、写真家のアラーキーさんと、評論家の川本三郎さん、それぞれが、
木村のコンタクトをスライドショー形式で追い、感想を述べていた。

コンタクトをとおして、レンズをのぞく木村の視点に、自らの視線を重ねるアラーキーさん。
木村の、被写体から、遠く離れてもいないが、近づきすぎることはない、
その視点を「もどかしい」と言った。
木村と同じ江戸っ子下町っ子アラーキーさん、だが、より被写体に入り込むのだろう。

同コンタクトを追った評論家の川本さんは、
その視点、その距離感が、木村伊兵衛のスタイル、“粋”と述べた。



昭和49年4月。亡くなるひと月前。
木村は、女のお孫さんとその友人と、自宅近くの上野・寛永寺へ出かけた。

境内には、昭和30年台の写真群のように、元気に遊ぶ子供たちの姿はない。
コンタクトに、ひと気の少ない、桜咲く境内の様子がだたしばらく続く。
いい写真を撮ってやろうという構えはない。
木村の視点を追う。

最後の数枚に、お孫さんとその友人が一人づつ写っている。

彼女らは、どこか遊具の上で遊んでいるのだろう。

レンズは、お孫さん、友人を、下から見上げている。
背景は桜だけ。背景は彼女らの頭上に咲く満開の桜の花だけだ。

その桜と少女の写真が、木村の最後の写真だ。
生涯に撮りつづけた13万コマに及ぶ膨大な写真群の最後の写真になった。



アラーキーは泣いていた。
「人間の本質の中のなんかが写ってるんだよ。一番人間にとって大切なもの。時代じゃなくて。
 懐かしさ、懐かしい部分、ノスタルジーが。
 人間のだよ。人間としての。一生とか、生涯とか、人生においての。

 やっぱりなんかね。時代っていうことだけじゃなくて。
 一番人間にとって大切で、懐かしむもの、つーのがね。もしかしたら写ってんだよね。

 懐かしさを感じさせない写真はダメだね。私に言わせると。うん。
 写真になってない。人間をやってこなかった。その写真家はね。」



世阿弥のいう幽玄は、華やかな美しさ。童形=幽玄。子供は幽玄そのものって。

長く生きた画家たちが、晩年に近づくほど、作為のない子供の線を求めた。


もう意図もない静かな境内の様子のあと、少女たちが写り、どこかで命が輝いたように見えた。

もう、いらなくなっちゃったんだ。それでもう、幽玄に行っちゃったんだ。
木村伊兵衛も。

そう思った。
by moriheiku | 2006-03-25 08:00 | 言葉と本のまわり

『功名が辻』 修羅とオープニング


NHK 大河ドラマ『功名が辻』第11回。まだ見続けてます。


山内一豊等は、織田勢として比叡山の焼き討ちに加わる。
通常の戦とは違う。仏に罪はない。叡山の僧の全てが破戒の僧ではない。
疑問や恐れ、わだかまりを抱きつつも、上官の命令に従って、
僧や女子供を殺し叡山を焼かねばならない。

一豊が叡山へ赴いた後、妻の千代は一豊の母法秀尼に会いに行く。
そこで法秀尼が千代に

「一豊が戻った時は明るく迎え、
 戦場で夫が背負った修羅を、静かになぐさめてやってほしいのです。
 そして、一豊の業を、共に背負ってやってほしいのです。」

と言うセリフがあった。

こんな一言、この一言だけでも作品中で言えたら、
作家さんは本望だろうなあ。

“修羅を背負う”


千代は
「心得ました。母上のお言葉、胸にきざみました。」
と答えた。

焼き討ちから戻った一豊は
焼き討ちの有様を「地獄絵図じゃ。」と言った。千代は

「殿、殿が地獄にまいるなら、千代も一緒にまいります。
 殿が罪をおかされたのなら、その罪も、千代が背負いまする。」

乱世の夫婦は、修羅も、罪も、業も共に背負うのか。
共に背負う覚悟でいるのか。




クレジットの出るオープニング映像を繰り返し見る。

音楽にのってイメージが形を変化させながら、
立体絵巻の中を抜けていくよう。

次のイメージから次のイメージへ、絵が現れては変化する。

一つのイメージが別のイメージに展開しながら流れる表現手法は
新しいものではない。
四季が移り変わる屏風図、絵巻物の時代から。
手法の新しさが全てに勝るものじゃない。

動画としては、構図、一本の線が流れるライン、変化のタイミング等々、
隅々にまで配慮があるのがわかる。

丁寧に作りぎりぎりまで美しく仕上げられてる。
ほんの数分、数秒でも。

注文を受けて、
注文主の意向に沿いつつ、
こういうものを作ることができたら、
どんなに充実するだろう。
by moriheiku | 2006-03-19 07:52 | 言葉と本のまわり

和賀山塊 森の命



NHKスペシャル『巨樹 生命の不思議 ~緑の魔境・和賀山塊~』(録画)を観た。

▽NHK秋田放送局内 NHKスペシャル「巨樹 生命の不思議 ~緑の魔境・和賀山塊~」
http://www.nhk.or.jp/akita/nhk-special.html


大羽山脈深く、秋田岩手にまたがる場所に、和賀山塊はある。
樹齢100年以上の大木が密生する原生林が、1万6千ヘクタールにわたり広がる。
ブナの森、白神山地と違い樹木の種類が豊かなことも特徴だ。

道のない原生林を、雪中3日歩いてたどり着く、日本一とされている大きなブナは、
幹周りが8メートル60センチ。

滑らかな木肌を持つブナだが、
樹齢300年とも600年とも言われるその木の幹は、
堅い大きなこぶに覆われ、岩のよう。
樹皮は裂けめくれ、胴は、人が入れるほどの、向こう側が見える大穴もあいている。

このブナは、20万枚の葉をつける。
春は20万枚の葉全てを4、5日で一気に開く。
光を取りこぼさないよう、樹木が密生する森の中、ぎりぎりいっぱいまで
枝を伸ばし、葉を広げる。

夏は、その広げた20万枚の葉、一枚一枚から水分が蒸発する。
葉から蒸発する水分は1日に1トンにもなる。
葉に水を送らなければ葉の表面は50度にもなり、葉は枯れ、樹は死ぬ。
葉に送る水分を地中から吸い上げ、葉に送る。

雨が降ると、広げた葉それぞれが雨粒を受ける。
一つ一つの葉が集めた雨粒は、葉脈を伝い、枝に移り、
枝を伝って幹へと流れる。幹の表面は、集められた雨水が川のようになって流れ落ちる。
この水の流れを樹幹流というそうだ。
樹全体が一つの漏斗となり、雨水を集め、幹伝いに、水が根元に蓄えられる。

秋が深まると、冬に向けて葉を落とす。
葉を落とすのも体力の要ることで、傷つき年老いた巨樹には負担のかかることなのだそうだ。
葉を落とすためには、葉と枝の間に水分や養分の行き来をさえぎる膜を作らなければならない。
それを20万枚分作るのだ。
落としきる前にもし雪が降れば、5ヶ月間続く雪の重みに耐えられず、枝が折れてしまう。
日本一のブナの老木は、葉を落とし始めるのに周囲の樹木より10日余計にかかった。
その年は例年より雪が早く、落としきれずに残った葉に雪が降り積もった。


長い年月を、光や水をとりあい、病気と戦い、風雪に耐えて生きてきた。
樹木のひしめく中、生存競争をしてきた。

こぶはケガや病気とたたかってきた証拠。
風雪で枝が折れると、傷口に細菌が入り腐り始める。
木はその傷口を固めるため、成長ホルモンをだし、
長い時間をかけ、傷口に、かさぶたのようなこぶをつくっていった。

そうして自らを養ってきたのだ。

森はそうした命の集まりだ。


和賀山塊の仙人とも呼ばれる佐藤隆(さとうりゅう)さんという方が森を案内されていた。
62歳だそうだ。
隆さんは、子供の頃、またぎに連れられてはじめて和賀山塊に入った。
それから毎日、和賀山塊の森の中を歩いている。
道もなく人も近づかない和賀山塊奥深くでも、今まで一度も道に迷ったことはないそうだ。

森の恵みを受け取り生活されているのだろうか。
天然の見たこともない立派な舞茸を採り、
「ちゃんと片付けていかねば、山の神様さ悪いな」と採った後をきれいにしてらした。
この人は森に守られている。


日本一のブナの巨樹の、大きく空いた胴の内部は、腐り、すでに腐葉土にかわった。
ブナは、この腐った自分自身に、自らの新しい根を刺し、養分を吸収していた。


隆さんはそのさまを見、
「すごい。こういう木だ。こういうふうに生きている。」
と言った。


最後まで生きる。朽ちながら戦って生きる。ついに朽ち果て、土にもどる。


森に近く暮らしていた頃は、樹の命、森の命のことがわかっていただろう。



─── <夕食> ────

・カボチャの煮物カレー風味(豚、カボチャ、インゲン、ショウガ、ネギ、豆板醤、他)
・うどと菜花の酢味噌和え(ウド、ナバナ、西京味噌、米酢、他)
・蓮のきんぴら風あえもの(レンコン、水菜、他)
・味噌汁(豆腐、ナメコ、キヌサヤ、ワカメ、薄揚げ、他)
・寒天(寒天、黒蜜)

─────────────

連続ウド。春。
by moriheiku | 2006-03-18 07:50 | 言葉と本のまわり

角田光代さんのステキな脳



タモリ倶楽部を録画したものを見た。
今回は電球を作っていた。
作りたい、電球。入りたい。タモリ倶楽部。



先日テレビに角田光代さんが出ていらした。

角田さんは、話す文章が、整形された文章のように整っている。
自由な部分と整った部分が共にあって、ステキな脳。
by moriheiku | 2005-10-20 08:00 | 言葉と本のまわり