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中世芸能の発生 456 国家神道 天皇


つづき


母方のご先祖様は、中世期、今住んでいる所に定着した。
中世頃の先祖の方々について話す時母は、
ちょっとケンカが強かったような人たちのようよ(小声)と言っていた。

はは~~ん。
中世、戦国期の人の移動を考え、また後の時代を考えると、
母方のその辺が察せられる。
野武士山伏系か。

義経弁慶たち一行が山伏姿に変装して頼朝の探索からのがれ
東北までたどり着いたのは、
中世期、勧進などする聖、山伏、僧のような人々が
当時日本中をたくさん歩いていて、山伏の変装が違和感がなかったから。

こうした人々の中には、各地の、
母の家のあたりのような地方の山あいに定着していった人も多い。
中世期には多かった。

こうして土地に定着した人々の中には、勢力をもつようになっていったりして、
戦国時代につながっていく。

山間に山伏系の神楽が残っているのは、
こうした人々が各地を歩き、時には定着していった名残だ。
・2009-09-26 中世芸能の発生 206 山伏の延年
・2009-04-16 中世芸能の発生 108 武士の狩猟民的性質について
うわー、あかんやないの


ともかく、そうした経緯で母方の家系は今の土地に定着し、
それから代々、土地のとある神社のある山を守(も)りをする役をしている。
神主さんではない。
こんときの消防車はその役のために用意された)


母たちの話によると、その神社のお祭りや行事にあたって、
江戸時代までは明治時代からのような特別なことはなかったそうだ。

明治より前は、ほったらかしじゃないけど、その、
なんと言ったらいいのか、
今の宮内省にあたるところから使者でいらっしゃる方も、
使者の方から渡される品々も、
質素簡素、というのじゃないけど、その後とくらべればそういうものでね、と。

母が曽祖父母や祖父母から聞いた話では、
大政奉還から明治になって、それまでとがらりと変ったそうだ。

急に、使者の方々の挨拶(装束も)や行事が大きくなり、
御即位など特別なおりに賜る記念のお品は、
飾りの付いた短剣とか豪華なものになって、
その家の人はびっくりしたそうだ。


ああそれは。
天皇の神聖の強化のための、国家神道の流れだったのだ。






法律で、天皇を君主と明記しようとすることには、やはり違和感がある。

名前のなかったもの、名前のつかなかったものに名前をつけた時、
意味は限定され、変質して固定するから。
あまねくあるものの象徴としての存在から離れたものになる気がして。

しかし世界に通じるものにするためには明文化することが必要なのかな。
むずかしいことでわからないけど。



私は、神道は、
古来広く行われてきた生活態度と一体だった民俗信仰、習俗が、
宗教として社会化され体系化されていったものと考えている。
それでも神道に文字による教義は基本的にはない。

神道につながっているものは、
古来の日本の自然風土と、
そこで暮らしてきた日本人に生活態度のようなもので、
あまねくありつづけてきたもののように思う。


天皇はある時代から存在されている方々だけれども。
排除などされることなくこの国で長くつづいてきた天皇という存在のありかたは
これまで続いてきた日本人と日本という国のありかたのあらわれ。
その表出。

だから天皇というありかたは、
日本の歴史、風土、精神性全てと結びついていると日本人には感じられるし、

天皇という存在と天皇のありかたの否定は、日本人にとっては、
日本の歴史、風土、精神性全ての否定と結びつくのだと思う。

そこを狙って抹殺しようとする中朝の意図はすごいと思うけど。

ともかく外国の人々にはそのあたりがわからないことが多いみたいだけど、
時の権力者の王とはちがうのだ。
王様は国そのものもでもないし、自分たちの一部でもない。

また、上下関係をつけることで物事を判断する人々にはどうしても理解されないようだが、
日本人にとって神聖なものとは、
上にあるものでなく、あまねくあるものなのだ。



日本に限らず、
他国の長く続いてきた王家や、
ある国に続いてきたその国の人々が尊重する象徴的なものを
否定したり貶めたりすることは、
その国のありようの全てを否定し、貶めるのと同じだ。
ものや人への自然な尊重の心がある人ならば慎むのでは。
国でなくどこかの土地でもものでも人でも。




たまに、国家神道時代の天皇への崇敬の形が、
大昔からの天皇への崇敬の形と同じだと考えられている意見をみかけるけれども、
やっぱりそれは少し違うのではないだろうか。

案外長い時代を日本の一般の人々は、
おてんとうさまが見てる、って感じで、
何事か知らないけどありがたいと感じられるようなものやおてんとうさまのようなものを心に置いて
生きてたと思う。




お釈迦様も像を作るなと言いのこしたように、
様々な宗教がその初期には、偶像を作ること、偶像を祈ることを禁じた。
しかし多くの宗教がや、がて偶像を作り偶像を通して祈るようになった。





ただ実感の中で生きて、
むしろ意味や存在を限定するような像や教義、そして名前も、
ほんとうは必要ないのだ。

(と思う私は日本の神道的な考え方をしているんだろうか。)






万葉集  石走(いはばし)る垂水(たるみ)  白木綿花(しらゆふはな)に落ち激(たぎ)つ
・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花
万葉集に、
白くさらしたふっさりした木綿(ゆふ ゆう)が、木綿花と言われて
滝の飛沫に例えられることには、心が躍る。

急流を駈ける水が
岩にあたって白い木綿(ゆふ ゆう)の花のように咲きつづけるうつくしさは、
自然のエネルギーそのもの。

万葉人の目に、ふっさりした白い木綿(ゆふ ゆう)が振るわれる姿は、
そのように映っていたのだなあ。

上記の歌は、詠み人の感慨であると同時に、ことほぎ。

言わなくてもことばの中に自然のイ(威)があり、
これまでも、これからも、くりかえし咲きつづけるイノチの祝福がある。

万葉人が見飽きないと歌に称えた泊瀬吉野の滝の木綿花(ゆふはな)。

今も山間を駈けくだる水を見れば、
その音に、細かくあたる水飛沫に、山と水の匂いに、木綿花のように咲きつづける水に、
心は躍って(激(たき たぎ))って息を吹き返す。

山に行きたい。





・2012-09-13 中世芸能の発生 447 一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬 滝 こぶ取りの翁




・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
白い水










母の通った幼稚園史  明治、大正、昭和の園児たち
・2012-12-22 幼稚園史

母方の人々  いざ江戸   忠義と消防車  桜の文化
・2013-08-20 消防車 忠義 桜

母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了

母方の家の言い伝え  母屋は無事だった・・・
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承

↑母方のエピソードあれこれ。
夫婦で浄瑠璃にくるった代のこととか、
学者のふりをした泥棒にだまされたはなしとか、
打ちたいけど、

あ、父方のはなしも打ちたい気がするけど、


でもそれより、早く松と鹿のこと、打たねば。

めちゃくちゃでもなんでも。

私はそれが打ちたい。ずっと。




つづく
by moriheiku | 2013-08-23 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 455 貨幣 勧進 大仏造営


つづき


幕藩体制の終了で、母方の当主さんが江戸から地元へ戻った時、
(今でいう)退職金の一部が牛だったという。生きている牛。
貨幣より前の、物がやり取りされていた時代を、少し身近に思った。



日本人にお金とお金の概念が知られはじめた初期には、
貨幣による物の流通は定着しなかった。
租税もお金で納めるのでなく物だったのだから。

物の交換になれていた人々は、
物とは違って、
それ自体の価値ではない価値で流通するお金というものによる流通の不思議さを、
お金にまつわる不思議な力と理解した。

そのため人々はお金を、不思議な力のあるものとして、
お金が手元に来てもお金として使わず、祀って大切にし、
実際には相変わらず物での流通がつづいた。
初期の貨幣は祭祀の場所から出土している。

奈良時代に富本銭が鋳造されたが、
経済活動の貨幣としては出回らなかったようだ。

中世になると、経済活動の中での貨幣として宋銭が流通している。
市で出回っていたようだ。
でもまだまだ経済全体では物での支払い物の交換の方がメジャー。


時代が下るにしたがって、
布教と寺社運営のための社寺の勧進活動が盛んになっていった。

奈良時代は作善として、労働力の提供が多かった。
その提供された労働力が集合し多くの土木工事が行われた。

人々は神仏に救いを求め、
滅罪や亡者の鎮魂のため、また徳を積み往生を願い、勧進作善に参加した。

一人一人の小さな作善を集めて大きなものをなすということにも、
宗教的に重要な意味があったのもその理由だ。

行基のような優婆塞(私度僧)達が、勧進で人々をいざなって盛んに行った
橋を架ける、道を作るなどの大規模工事は、
宗教的思想の実践でもある会福祉事業。

井戸を掘り、池を作り、道を作り、橋を作る。福祉施設を作り運営する。
後の時代までも勧進の僧、聖たちの多くが、
土木工事のプロデューサーでもあったゆえんだ。

自然居士 勧進の優婆塞 プロモーター ヒーロー 芸能
・2008/09/25 中世芸能の発生 29 勧進聖 自然居士
・2008/07/21 中世 07 芸能の独立
お能の設定にはこうした立場の人々への共感があるようだ


貴族は布施として物や写経を喜捨して後生を祈ることができたけれども、
民衆はささやかな物と、あとは自分の労働力を喜捨、作善とし、後生を願った。



聖武天皇は大仏を建立するにあたって詔(みことのり)を出し、
全ての人々に大仏造営の参加を呼び掛けた。
一枝の草、一把の土を持ってと。

全ての人が参加し一つの何事かを作り上げることは、
当時の仏教の実践でもあり、
古来の信仰を映した国のありかたの理想でもあった。

聖武天皇は官の認めた正式な僧でない私度僧の行基に、
大仏造営の協力を依頼している。

行基は、仏教を説き各地で福祉と大規模土木工事等を行い、
民衆の支持を広く集めていた。

聖武天皇が、朝廷が取り締まる対象ともなる私度僧の行基に
大仏建立への協力を依頼したのは、
単に行基のもとに集まる大勢の労働力だけをあてにしただけのものではなかった。

聖武天皇にとって、行基とそこに参加する人々のようなありようが、
華厳の教えや、古来の民俗信仰にある
無数の個あるいは森羅万象が結び合い一つの世界を成しているという理想の世界に
かなうものだったから。

行基
・2010-05-10 中世芸能の発生 305 勧進と芸能
作善 芸能の芸術化




行基とそこに参加する人々のありようは、
聖武天皇の願った国のありかたの理想に近かった。

聖武天皇にとっては、
どんな方法でもいいから大仏を完成させるのではなく、
人々が広く大仏の建立に参加することに意味があるった。
そのための詔の一文だ。

大仏の造営に皆自発的に関わった人々が実際どのくらいいたかはわからないが。


こうした大仏建立の例に見られるように、
奈良時代には労働力を喜捨とすることはめずらしいことではなかった。




古来の信仰の体系をベースにして渡来の制度をあてはめた律令制度は、
社会・思想の変化にともなって、奈良時代後期には崩壊しつつあった。

神祇信仰と租税の徴収
・2008/09/05 中世芸能の発生 05 神祇信仰と租税徴収
律令制度の崩壊 芸能者の立場の変化
・2010-02-05 中世芸能の発生 269 「神聖」の観念の変化


律令制度の崩壊により寺社は、それまで受けていた国による庇護を失った。
寺社は寺社維持のため、自身での経済活動が必要となった。

大きな寺社は貴族同様各地に大規模荘園を所有しそこから利益を受けるようになるが、
平安時後半には荘園制度も崩壊。
不安定な時代、戦乱も続き、社寺が焼かれたり壊されたりもした。

そのため、もとは仏の教えを知らせ、
人々を仏教にいざなう布教のための勧進活動は、
寺社の維持のため喜捨を募ることにより重きが置かれるようになった。

布施や喜捨の内容も、
仏教の慈悲の実践としての
(今でいうところの)社会福祉活動)への作善、労働力の提供よりも、物へ、
物よりもお金、へと変化していった。
※融通念仏 リンク



僧や聖、比丘尼他、彼らのような宗教性を帯びた人々が
各地を巡って行った勧進の活動は、
より人々を招くことが必要。

経典の教えを知らせ、霊験を説き、
人々の信心と同時に喜捨を募るため行われた勧進の芸能、歌や語りなどは、
より耳目を集めやすく共感(と喜捨)を得やすいものへと工夫され、
勧進の芸能化、興業化が進んだ。

中世芸能の担い手 説経 唱導 勧進 
・2009-05-25 中世芸能の発生 133 俗の土壌
・2009-05-28 中世芸能の発生 136 優しい誤解

後生を願い救いを得たいと勧進の場に集う人々を信仰に招くため、
勧進をする側は、難解な経典の内容を、
人々にとって身近な話題に置き換え物語化したり、
派手になったり、涙を誘ったり、
訴えかける抑揚や動作をつけたり、洗練されたりして、
芸能がさまざまに展開していった。



天岩戸の神話のアメノウズメノミコトのあそびや神楽に象徴されているるように、
古くは芸能は、
あらゆるものを活気づけ、命を活発化、再生させることが期待された
タマフリの実感的習俗だった。

古い時代の対象に直接働きかけ効果を期待された呪術的性質のもの。
・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽

霊や神仏の概念ができてからは、
イノチを活発化させる芸能は霊や神仏をよろこばせなぐさめるものにもなった
(結果として荒ぶる霊や神仏は鎮まるという考え方 鎮め、鎮魂)。

イノチを活気づけるたまふりや神仏や霊にささげる呪術性宗教性を帯びた芸能は、
人々の生活や願いとともに、広く一般化していった。


平安時代に京で猿楽が、それまで一対で行われてきた法会と離れ、
猿楽だけで単独に上演された記録などある。
芸能は、布教のための俗化をしながら、
同時に宗教から離れていくことになった。

宗教と芸能が未分化だった時代は過ぎて、芸能は、
人々へ宗教の周知の役割を持ちながら 同時に宗教と芸能の分離を内包している。
それは、芸能から芸術への分岐にも見える。
・2010-12-01 中世芸能の発生 368 今様

芸能のはじまりの性質上、
完全に宗教と芸能が離れるのはまだうんと後だけど。



信仰や宗教と分離していった芸能。
喜捨されるお布施も、
信仰の意味での作善や喜捨でなく、
芸能への対価になっていく過程。


勧進の僧や聖の行う土木工事も、
民衆の自発的な小口の作善を集め皆で行うことに意味があるという段階から、

徐々に、物やお金による大口の喜捨を募って、
それを労働者に支払うものに変化していった。




経済活動が、
労働力や物の交換と流通の段階から、
貨幣の流通の段階に進み貨幣経済が定着するでには、
結構時間がかかってる。

宗教にかかわる経済は、
経済全体の変化のうちの一例にすぎないことだけれども、
ともかく貨幣経済が浸透には、
社会と意識の変化両方が必要だったんだ。




・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01
「田楽法師は、高足や刀玉見事に出来さいすりや、仏さまへの御奉公は十分に出来てるんぢや、と師匠が言はしつたぞ。」
田楽法師。護法童子の名を持つ人。
宗教者の末に連なる芸能の人たち。
遍歴し勧進する芸能する人たちを描いた描写。




静御前 白拍子
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
祝福芸。ことほぎ。
呪術的芸能から世俗的芸能へ。
それにともなう芸能する人々の立場の変遷。





全然歴史を知らない私。てさぐり勉強しはじめた頃。
あー成長しない。未だ終わらず。

遍歴する芸能者と商売 傀儡子と櫛 櫛宋銭と唐人(宋の商人)
・2009-01-30 中世芸能の発生 57 遍歴する人々と外国
中世の市には宋銭が流通していた。
宋銭は、日本列島の北から東南アジアまで広く流通していたそうだ。へー。 

勧進 経済の多様化 宋銭
・2008-09-25 中世芸能の発生 28 勧進

供御人 遍歴する人々の経済活動 宋銭
・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人


こうしてみると、
貨幣が流通するようになった時期と理由が、少しだけわかった気がした。
2013年の今頃。




もー、一気に書いてめっちゃくちゃ。

あとでゆっくり打ちなおそ。



つづく
by moriheiku | 2013-08-22 08:00 | 歴史と旅

牛と退職金 幕藩体制の終了


こちらで母方の家の、明治時代の手動消防車(?)のこと打ったけど。
母方の家のこといくつか打とうと思う。

会話の途中、たまたまあるゴルフ場の名前が出た。
母が、あそこのコースの半分は、昔おじいちゃんの牧場だった、と
さらっと言った。

ええっ。牧場してたことあるの?

びっくり。
母んちは、昭和の途中まで牧場を持ってた。
牧場を持つにいたった経緯は、
時代が江戸から明治に移ったことに端を発する。

幕藩体制が終了し、明治政府になった頃、
母方の当時の当主さんは、江戸からこの地方、もともとの地元に戻った。

世の中が大きく変化する時代で、
幕府、諸藩の財政はどこもずいぶん大変だったようだ。

幕府や藩がなくなることは、
幕府、藩から給与(禄)ていた人々にとっては、
現代なら勤めしてきた会社自体なくなってしまうことでもあり、
(体制が変わる意味はそれだけじゃないけど)、
当時の当主さんもいったん失職ということになった。

その時お上から皆に、今で言う退職金のようなものが出たんだけど。

財政難のため、
ご当主さんに支払われた当時の退職金うち、
一部が 牛 だったという。

牛?

現物支給?! いきもの支給?

当時の退職金って何で支払われてたか知らないけど、
牛ってあるの? びっくり。

わりと最近(といっても江戸明治)まで
生き物も立派に行き来する財産の一部だったんだー。それともたまたま?

物々交換の原始時代の価値観まで想像しちゃった。
金銀でできた大判小判の類ならともかく、
素材自体はさほど価値の高くないものが価値のあるお金による経済活動って、
思えば変わってる。


さて牛を受け取ったご当主さんは、
この時は消防車(?)を押して往復した)○○街道を、
自身で江戸から牛を引いて地元まで帰ったという・・・。

「えーー、アハハハハハ!大変そう。」

「そりゃ大変でしょう。人が一人で歩いても大変なんだから。」

江戸は遠いの。
牛を連れてあの峠を越え、牛と一緒にあの大川を船で渡りして。
人が歩くのと違って、牛には餌もやらなきゃならないし。

「牛は何頭?」

「退職金の全部じゃないから、一頭だったと思うけど。」


地元に帰った当主さんは、その一頭を育て牛を増やした。
牧場ができるほどに・・・。

で牧場を始めた、と。

各代の方々の本業は別として、牧場の所有はあとの代の人たちに引き継がれた。
戦時中は、牧場で牛さんの出してくれるミルクが、
食糧不足で栄養不足の母や周囲の人々にずいぶん助けになったそうだ。
遠いところから子供のために牛乳を頼みに来る人もいたそうだ。

はー。知らなかった。
宮沢賢治も、結核の妹トシのために、玉子や牛乳をなんとか手に入れて、
アイスクリームを作って看病したんだった。

生きるための牧場。
生きるための牛乳。

「牛乳の牧場だったの?」

「そう」


母がある程度成長する頃まで、その牧場はあり、
母たち兄弟も、牧場を手伝ったそうだ。

昭和の途中お祖父ちゃん(母の父)が、
牧場を市と、ゴルフ場、他に売却することにした。

牧場が好きだった母は、牧場を売ることを聞いた時、
祖父に、自分にゆずって、自分にやらせて、と頼んだそうだが、

祖父は「女が仕事をするものじゃない」(外の仕事、男の仕事という意味)
とかなんとかで、やらせてもらえなかったと言っていた。


私の初めての犬体験は、母の実家のコリー犬。
子供だった私は、コリー犬におんぶしてもらって遊んでもらった。
母の家がコリー犬を飼っていたのは、牧場の名残か。



母の夫(私の父)は、牧場のあとにできたゴルフ場の会員だけど。
これはたまたま。そこが良いコースだから。






けがに味噌を塗った話
・2011-08-21 立ち話

母の通った幼稚園史  明治、大正、昭和の園児たち
・2012-12-22 幼稚園史

母の家の言い伝え  母屋は無事だった・・・
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承

母方の人々  いざ鎌倉江戸   忠義と消防  桜の文化
・2013-08-20 消防車 忠義 桜
by moriheiku | 2013-08-21 08:00 | 歴史と旅

消防車 忠義 桜



母方の建物は古く、今も広い土間がある。
その土間の一角に、大型の古びた箱型に車のついたのものがもうずっと置いてある。
あれは何と聞いたら、
母が子供の頃にはもうそこにあったそうだ。
それは昔の消防車のようなもの。
大きな箱型の中に水を入れ、手押しの柄で水が出るしくみ。

母によると
あれが前回動かされたのは、江戸から明治に移ってそうたたない頃。
幕藩体制がなくなり新政府がはじまって、当主はここ地元に戻ってきていた。

ある日江戸(東京)で大きな火事がおきていると聞いた当主は、
江戸が、お上(かみ)が大変だと、
すぐに消火のためこの手動消防車?を押して江戸(東京)に向かったそうだ。

「行くまでに、火、消えてるって!」(私)

当主は○○街道を江戸へ向かった。

「舗装してない道を、この車輪(木製)で!」(私)

「そうそう。○○峠も越えてね。そのあと○○も越えなきゃいけない」(母)

ここから東京は遠いの。
箱型の中に水が入っていない状態でも、押すにはかなり重いだろうこの昔の消防の車を。
何日かかかるだろうに。何人で行ったの。一人?

けれど街道の途中○○あたりで、江戸(東京)の火が鎮火したことを聞きおよび、
当主はそこから引き返してきたそうだ。
また消防の車を押して(あるいは引いて)。

屋敷に戻った時、消防の車は土間のその位置に置かれた。
以来ずっとそこに置かれたままだって。長っ。


もとはこの周囲に火事がおきた時、消火に使うため用意された。
以降動かす必要のなかったことは幸い。

今となっては笑い話のようなかなしいような顛末を聞きながら
「アハハハハハ」と笑ったけれど、

それは現代の私ののほほんとした感覚だからってことも、同時に感じてる。


当時の忠義の心のせつなさ、まっすぐさを思う。
結果的に長く戦がなかった江戸時代、
歴史の本や情報で当時の断片を見ると、
お城勤めばかりでなく日頃は畑を耕したり内職をしたりして日常を過ごしていた武士たちでも、
心身と技を鍛えることをやめておらず、
武士とその家族も、いざ何かが起きた時には、
身を捨てる覚悟があったことを思う。



桜の花は、

春の農耕の開始と、良い実りへの期待と結びつき、
満開のめでたさであり、
流れる時の一瞬を生きて死ぬ、くりかえし流転する、人やものの命と重ねられ、
武士においては、表に出さない覚悟の花でもあり。

桜は時代を生きた人々の思いと結んで、多くのモチーフになってきた。

桜の原産地はどの国かで桜の文化の起源や優劣を競い言い募るなど、
文化とは何かの実感のまるでない、ピントの外れた行為だ。




江戸や明治の人たちは、
中でも年配の方々の口から聞けば、ほんの数代前。
昔のおとぎ話の登場人物でなく、隣で息をして、
笑ったり食べたり悲しんだり、日常を共にした人たちの話は、
今生きている人のことを話すのと変わらない、生きた人々の息吹きがある。




年上の人のお話 

やけどに味噌を塗った話
・2011-08-21 立ち話

母の通った幼稚園史  明治、大正、昭和の園児たち
・2012-12-22 幼稚園史

母の家の言い伝え  母屋は無事だった・・・
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承

母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了
by moriheiku | 2013-08-20 08:00 | 歴史と旅

海岸



短いトンネルを出て、
海岸沿いの道を走る車としばらく並走。

斜め向こうになじみの山容と、あのビル、スポーツクラブの屋根が見えてきて、
電車はなめらかに駅にすべりこむ。

ホームから見える、海に向かう道の交差点の信号はいつも赤。
by moriheiku | 2013-08-19 08:00 | つれづれ

海 電車



日本中にあるなんでもない家やお店の続く街中をしばらく走ると、
街に海の気配がしてくる。

車窓から海は見えなくても、海が近いとわかる。

数分ぼんやり乗っていると、家々が減り緑が増え、時々南に一瞬光るのは海。

ふたつ目の駅を過ぎて、
駅近くにせめぐ家並を過ぎたら一気に松と海。

遠い岬にかすむタンカー、マリーナのヨットのセールの林、黒い松のシルエット。

線路脇の雑草に風をおこして走る海沿いの電車の、
いつもは山側の緑を私は見ているんだけど、

今日は海を見たよ。
by moriheiku | 2013-08-18 08:00 | つれづれ

水の印



空気はカラカラ。
昨夜、夜の内に弱雨があるかもの予報を見たが、
朝起きて玄関を開け外を見ても、地面に濡れたあとはなかった。
乾いたのかも。


青い空に長く飛行機雲を引いて、飛行機が飛んで行く。
上空の湿度の高い印。

あんなに上の秋色の空は、今日は水気が多い。
by moriheiku | 2013-08-17 08:00 | つれづれ

ハンサム



骨格がきれい。

太い骨。顔と同じ幅の首。

女性にはないもの。

軽く走る姿もよく、

枯れてきた姿もまた良い。

あなたのような人をハンサムと言う。
by moriheiku | 2013-08-16 08:00 | つれづれ

山 瞳が洗われる




乾いた瞳に、山の空気の水が流れて、瞳が洗われる。
by moriheiku | 2013-08-15 08:00 | つれづれ

ヒグラシ



ヒグラシの響く山と谷が、遠くないことは幸い。

姿の見えないウグイスが響いて、ヒグラシが響いて、
腕は山の空気の水をかきまぜながら、
緑の山を下る。
by moriheiku | 2013-08-14 08:01 | つれづれ