<  2012年 02月   >
  • イエロー
    [ 2012-02-29 08:02 ]
  • 希望
    [ 2012-02-29 08:01 ]
  • 中世芸能の発生 430 他力本願 救い
    [ 2012-02-28 08:00 ]
  • 他力本願
    [ 2012-02-27 08:00 ]
  • 中世芸能の発生 429 樹幹流 他力を本願とすること
    [ 2012-02-26 08:00 ]
  • 中世芸能の発生 428 「ホ」 穂(ほ) 寿(ほ)ぐ 誉(ほ)む 言祝ぎ(ことほぎ)
    [ 2012-02-16 08:00 ]
  • 日焼け
    [ 2012-02-15 08:01 ]
  • 中世芸能の発生 427 厄除けのおまんじゅうの分配
    [ 2012-02-15 08:00 ]
  • 中世芸能の発生 426 道(ミチ)のチ
    [ 2012-02-14 08:00 ]
  • 中世芸能の発生 425 市(イチ)のイ
    [ 2012-02-13 08:00 ]
イエロー


寒くて、梅の花の咲くのがひと月近くも遅れてる。

いつもの白梅の木の、つぼみを見上げて通る。


春らしさにひかれて、
シルク混の薄手でなめらかな、淡いイエローの、
Vネックのニットとカーディガンを買った。


黄色。

暖かくなったらもうすぐにイエローは色が暑い気がして、
この服は着ないかも。




by moriheiku | 2012-02-29 08:02 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
希望


とっても好みのバッグを見て、
セレクトショップに最後の一個があるかもしれなかったから、
ばーんと買ってくる!って(なぜか)宣言して、買おうとしたけど、
もうなかったーーーーーーーー。

定番ではないしインポートものだし、
あんなに好みのって数年に一度くらいしかない。えーん。


それでなんだかやけになって、
ボトムスを2枚と、靴を3足買った。

余裕でバッグの代金をこえてしまった。けど、
なんだか満足になんない。



だって、好みのきれいなものがひとつあることは、
女にとって明日への希望なんだもん。






by moriheiku | 2012-02-29 08:01 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 430 他力本願 救い


つづき


万葉集では「神“に”祈る」ことを「神“を”祈る」という。

万葉集に神を祈る歌は数多くあるが、
現代の表現のように「神“に”祈る」を書かれたものは一首もない。



私はある人の命が助かってほしいと強く願ったことがある。

もうだめだ、と思った時、

私は、私の中のすべてを放棄して、自分の外「に」祈った。
たすけて、と。


その時、私は、
近視眼的な自分の判断のみに目を向けて、

自分の判断などはるかにこえる森羅万象の関わりの中で生きている、
自分もその一粒であるという共生の感覚を、
切り捨てた。その瞬間だったと思う。


あとに残る苦みは、
全体の命の中にあることを拒否し、切り離した、
独善的な自分への苦みだ。

・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願



この、自力をすべて投げ出すほどの絶望、というのを見て、
自分の力の限界を知って謙虚になったのだと解釈する人がいるけれども、
それはちがう。


自力をすべて投げ出すほど絶望することは、
独善的な自分の判断のみに目を向けて、
(独善的な自分の判断のみ信じて、)
自分の判断などはるかにこえた森羅万象の
大きな関わりの中にあることを否定し拒否すること。


自分のみに目を向けて、

自分の判断などはるかにこえる森羅万象の関わりの中で生きている、
自分もその一粒であるという共生の感覚を、切り捨てた。


私には、私の中のすべてを放棄して、自分の外「に」祈った時が、
その時だった。




私が何か強い願いを持つ時の感覚は「“を”祈る」で、
どうしても「“に”祈る」と言えない。

私にとってはだけど、

どこかにある何か「に」(「へ」)祈ることは、

自分の卑近な判断をこえてはるかに関係し合っている
森羅万象の働きの中にあるということの否定。

無数に関係しあう森羅万象の働きを忘れ切り捨てて、
近視眼的な一見の利を求めることだ。



他力を本願とすることは、
誰かの力をあてにして生きるということでない。


一見自分にとって都合が良く感じられること、
都合の悪く感じられることはあるけれども。

他力を本願とするということは、
そうした人の卑近な判断や把握をこえた
近目には見えない森羅万象の大きな働きの中にいることを自覚すること。


良い悪いなどの判断の範疇にない交錯する無数のイノチ(動植物という意味でなく)の
関わりの中で生きて死ぬという自覚と覚悟が、

他力を本願とするということではないかと私には思える。




他力を本願とする(他力にゆだねて生きる)とは、
誰かの力をあてにして生きることでなく、
自分を生きることの否定でもない。

自分の独善的な判断をはるかにこえる、
森羅万象の関わりの中に自分もあるのだという自覚と覚悟だと思う。



それは、独善的な判断の中で苦しむ者の、救いでもあるのだ。




かつて日本の仏教では、そのような感覚を、
如来の他力を本願とすると解釈したのではないかしらと私には思われる。




うーん。やっぱりうまく言えなかった。







だってだって、
「“に”祈る」 と 「“を”祈る」 は、全然、感覚が違うー。

こうした感覚の共感を、私は本の中の数行に見、万葉集の中に見る。





─── 万葉集における 「神“に”祈る」 と 「神“を”祈る」 ───


“現代のことばでは「神“に”祈る」というが、『万葉集』では「神“を”祈る」と表現しているのである。”(土橋寛『日本語に探る古代信仰』)
この小さな「神“を”いのる」の項目を読んだ時、胸がふるえた。
なぜなら私はどうしても「神“に”祈る」と言えないから。
・2010-08-25 中世芸能の発生 348 神「を」祈る 融通念仏


“我々が「神に祈る」のは、神が祭礼の時以外は縁遠い存在だからであり、万葉人が「神を祈る」というのは、神を身近な存在として、日常的にも祈ったり祭ったりしていたからであろう。そしてそのような意識の源流を辿ってゆくと、「祈り」からさきに述べた「イ罵り」に近づいてゆくのではあるまいか。”(土橋寛『日本語に探る古代信仰』)
さらにいうなら、私は、
その近さは、距離の近さというよりは、
神と人との未分化の状態だったと思う。
・2010-08-26 中世芸能の発生 349 神「を」祈る イ罵(の)り


「天地(あめつち)の神「を」祈りて」の表現に、
あまねくある神々の印象がある。

万葉の人々は、例えば天上などどこか「に」いる神に向かって祈るのでなく、
すべてにいきわたっている神「を」祈る感覚があったと思う。
そういうのは歌に響いてる。

万葉集中の神「を」祈るの表現からも、
万葉時代の人々にとって神は
自分から分離した客観的な「対象」になっておらず、
天地にあまねくあって自分にもある、
万葉の人々の、自と他が未分化の感覚を見ることができると思う。

このことは、相対化され個別化していく霊や神の概念以前の、
自他の境のない、
ものごとが融通している世界観(身体感)の名残と思う。
・2010-08-27 中世芸能の発生 350 神「を」祈る 神「を」祈(の)む


私はある人の命が助かってほしいと強く願ったことがある。
もうだめだ、と思った時、
私は、私の中のすべてを放棄して、自分の外「に」祈った。
たすけて、と。

神「を」祈ると言った万葉の時代から、
神「に」祈ると言う時代へ移った。

自然風土と密な呪術的な民俗信仰の社会から脱し、新しい社会へ移行した。

その間には、自分の中の神「を」捨てるほどの多くの絶望があって、
人は自分の外「に」救済を求めたんだろう。
と思った。
・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願






・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰

・2008-06-03 自然と我 06

・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型




・2010-07-01 ぜんぜん論理的じゃないこと
・2009-08-30 地続き
・2008-08-24 弓と自然





自然と他力本願
・2012-02-26 中世芸能の発生 429 樹幹流 他力を本願とすること
・2012-02-27 他力本願





・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。





つづく









by moriheiku | 2012-02-28 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
他力本願


たった、木の幹を流れる雨水という樹幹流ひとつも、様々なものとの関係している。
めくるめくような大きな範囲で森羅万象は影響しあってる。


ひとつのことを自分の想像の範囲で判断すること、
ひとつのことに意味を付けすぎることはあまり意味のないことのように思う。



近視眼的な一見の利を求めすぎること。
また都合の良い因果、あるいは都合の悪い因果を語ることは、

無数に関係しあっている森羅万象の働きの中にあることを
切り捨てていると思う。



森羅万象が影響しあっている中に生きて死ぬという自覚は、

時間や季節や、地震や津波ももちろん、
自分は人の及ばない無数に影響しあっている自然の中の一部であるという自覚であり、
覚悟だと思う。




仏教で言う他力本願を、人の力をあてにして頼る、と理解して、
批判的に言うのを目にすることがあるけれど。どうして。


他力本願は、
人の力をあてにした近視眼的な自己の達成願望でない、
自分の人生を生きることの否定でもない。

自分の運命は、自分に見える判断の範疇をはるかにこえた
めくるめくような相互の関わりの中にあり動いているのだという
強い自覚と、覚悟だと思う。


仏教で、人智の及ばない森羅万象の無数のはたらきを、
如来の他力と表わされたもので、


他力を本願とすることは、
無数のはたらきの中にあることを信じる(意識する)ことではないかと思う。


他力を本願とすることは、
人智の及ばない無数のはたらきの中にあることの自覚と、覚悟だと思う。




それは、独善的な判断の中で苦しむ者の、救いでもある。






・2012-02-28 中世芸能の発生 430 他力本願 救い
・2012-02-26 中世芸能の発生 429 樹幹流 他力を本願とすること

・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願






・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。





by moriheiku | 2012-02-27 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 429 樹幹流 他力を本願とすること

つづき


雨降り。木の幹に、雲から落ちてきた水が伝って流れている。

森に降る雨水が木の幹の表面を伝って根元に流れる水のことを樹幹流という。


雨が、空気中の物質を含みながら空から落ちてくる。
それが森の木の幹を伝う短い間に、
水は木の表面についた色んな物質も含んで地面に注がれる。


木の表面についた苔や微生物やカビ、細菌、
森の環境から出るチリなどが含まれた樹幹流の成分は、
木の種類や環境によって異なっている。

様々な成分が含まれる樹幹流が地面に注いで、
そこに生きる様々なものや生物、生物以前のものも生きる。

土地に適した樹木を流れる雨水は、
土地に適した成分を含む樹幹流になるので、

森にとって樹幹流の水は、水道水を注ぐのとは違うそうだ。

数えきれないものが無数に互いに関係しあって自然の森は構成している。


もとの自然の状態だと、樹幹流もその森に合って森を構成するけれども、

例えば針葉樹ばかりの植林の木の樹幹流は、
ph等変わって本来の土地や生物に合いづらく、
森や土壌を弱らせる原因のひとつになっている。

また樹木が土地本来の土地に適したものでも、
空気中の排気ガスなど化学物質を含んだ雨水が樹幹流になることで、
環境を変化させ弱らせたりする。

最近では原発事故で排出された放射性物質も、その要因のひとつになった。


たった、木の幹を流れる雨水という樹幹流ひとつも、様々なものとの関係しあう。
めくるめくような大きな範囲で森羅万象は影響しあってる。



もう自然は本来の自然でないから、
人によるコントロールなしには自然は維持できないという意見が
最近大きくなってきて、

そして人の介入なしには維持できない自然になったのだから、
今後はより積極的に、天候気象の人為的な操作を含めて、
人が地球の自然環境をコントロールしていこうという方向性が強くなっていることは、
容易に同意する気持ちになれない。


人が快適に生きることは、自然のバランスを壊すこと。そうなんだけど。

人間に自然環境を思うように動かすだけの知恵が蓄えられているのなら、
いかに人が手の入らない本来の自然を保ちつつ、人は共存するかという方向で、
なんとかしてその知恵を働かせられないものか、
と、どうしても思ってしまう。

私はあまりものを知らなくて自分の意見は自分で見ても幼稚だし、
こういうのは都合のよい理想論と言われてしまうものだと思うけど。




ごく小さな範囲内のたった一本の木を切っただけで、バランスが崩れて、
あっという間に地面は乾き、苔はなくなり、
土は荒れて、生き物がうんと減ってしまったのを見た。


樹幹流というひとつの要素の中にも無数に感じられる、
複雑に影響しあっているバランスを、
近い利益を得るため人間がする行為がうまく操作できると思わない。

自然のさまざまを壊すことは、結局人も壊すことでもあると思う。


人は生きなければならない。
寒い時にはあたたかいお風呂があったらいいし、
お風呂の暖かいお湯は、膝までよりも、肩まであったらすごく幸せ。
私にだってすっごくわかる。

良いお薬と手術で痛みを免れたのならそれは幸い。


それでも、自分も共生の運命の中で生きて死ぬのだという自覚を、
持つのがいいと思う。

自分は共生の運命の中にあるという自覚。覚悟。




人の経験も、森羅万象の関わりと似ていて、
目先のスパンで見るものでなく遠く関係しあう。

様々な経験は結びついて、いくつかの経験にむすんでいく。
ひとつの経験を自分の想像の範囲で判断すること、
ひとつの経験に意味を付けすぎることはあまり意味のないことのように思う。



近視眼的な一見の利を求めすぎること。
また都合の良い因果、あるいは都合の悪い因果を語ることは、

無数に関係しあっている森羅万象の働きの中にあることを
切り捨てていると思う。



森羅万象が影響しあっている中に生きて死ぬという自覚は、

時間や季節も、地震や津波ももちろん、
自分は人の及ばない無数に影響しあっている自然の中の一部であるという自覚であり、
覚悟だと思う。




仏教で言う他力本願を、人の力をあてにして頼る、と理解して、
批判的に言うのを目にすることがあるけれど。どうして。


他力本願は、
人の力をあてにした近視眼的な自己の達成願望でない、
自分の人生を生きることの否定でもない。

自分の運命は、自分に見える判断の範疇をはるかにこえた
めくるめくような相互の関わりの中にあり動いているのだという
強い自覚と、覚悟だと思う。


仏教で、人智の及ばない森羅万象の無数のはたらきを、
如来の他力と表されたもので、


他力を本願とすることは、
無数のはたらきの中にあることを信じる(意識する)こと。


他力を本願とすることは、
人智の及ばない無数のはたらきの中にあることの自覚と、覚悟だと思う。




うーん。どうして?ことばにしようとするとうまくできないんだろう。

今度、も一度チャレンジ。





日本の古い芸能は、祝福の系譜。ことほぎの伝統。
おまじないのような祈りの習俗の流れ。

ことほぎは、自然に寄せてイノチが盛んで栄えることを祈る。
横溢する自然の命の祝福がイノチに反映するように願われた。


ことほぎの特長は、
周囲と無関係に個人を祈るものではないということ。

人は自然の中の一部として、
つながりあっている森羅万象、国土草木(山川草木)、全てのイノチが、
共に盛んであればこそのもので、
共に盛んで長く栄えることを祈る共栄の思想に基づく。


自然の一部としての人の、
自然の共栄の思想が、芸能の底の方にも残ってる。



仏教で仏性とは何をさすのか知らないけれど。
自然の中で、観念的でない具体的なイノチを実感する。
・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 01
・2010-08-12 森のイノチ
・2011-03-27 祝福





・2010-08-13 自然と生きること
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承
・2011-03-17 森林と国土






・2012-02-28 中世芸能の発生 430 他力本願 救い
・2012-02-27 他力本願





・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々




つづき




by moriheiku | 2012-02-26 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 428 「ホ」 穂(ほ) 寿(ほ)ぐ 誉(ほ)む 言祝ぎ(ことほぎ)

つづき


「ほ」は、あらわれ。

「ほ」は、さきがけ。

のような。


冬の明けきらない頃、
枝ばかりの木々の先に咲く花に
「ほ」を見る。

それをしるしのように感じ、
あらわれた「ほ」に、
先の幸いを重ねる。


生物として、背後に来ている季節の予兆を、
身体に感じていると思う。

春のはじまりに、
いくつも「ほ」を見つける。
・2008-08-13 「ほ」を見る。
・2008-03-23 春の黄の花木 マンサク



「ホ」の音に感じるイメージは、さきがけのような。

頭を出した氷山の小さな一角のような。

はっきりと目には見えないもののあらわれのような感じ。

「ホ」という性質。


「ホ」はこれを語根として
「ほぐ(祝ぐ 寿ぐ)」「ほむ(誉める)」「秀(ほ)」「穂(ほ)」等々
祝福のことばに展開している。けれども、

「ホ」のただ一音の印象は、予兆に小さく胸がふるえるもので、
それ自体善でも悪でもない。
意味でない「ホ」は「ホ」という性質だ。


さきがけの「ホ」に、私達は予兆を見る。

まだはっきりと目に見えていないものの姿を「ホ」に感じる。

そしてそれが瑞兆であることを願う。

だから古来「ホ」は、卜(占い)と親しかった。



精霊や神の概念ができてからは、「ホ」は、
精霊や神の真意のあらわれと観念されるようになった。


万葉集にも歌が残る「ほかひびと」(ほがいびと 食乞者)は、
「ことほぎ(言祝ぎ 言寿ぎ)」をして家々から物を乞い歩く芸能者たち。

ほぐ芸能者である彼らのする「ことほぎ」は、
良いことや命令を言うことで、
物事や精霊をその良い状態へ導こうとする予祝(呪術、ままじない的)の芸能をしていた。


それは当時の人々が祝福を求めた願いから、
(あるいは「ほかひ」「ことほぎ」によって「ほ」をあらわすという
一種卜(占)的な面も含まれただろうか、)
あらわれた「ほ」を良い状態へ、積極的に導こうとするような行為だったと、
「ほかい(ほがい)」の名からも思われる。
いうことをきかせようというもの。
同じ呪的行為でも「たまふり」とは少し性質の違うものだ。


古い詞章や歌など見れば、
「ほ」の意味も、予祝の呪術芸能も、
万葉の時代にはすでにこんなに複雑化していたんだけど。


たとえば平安時代、源氏物語 宿木の、
穂(ほ)にいでぬ物思ふらししのすすき招く袂(たもと)の露しげくして、
のように、

外に現れて人目につくようになることを、
「穂(ほ)に出ず」、と人々が言っていた。

やはりそこには、稲の穂、漢字の穂よりずっと前の、
ただ見えていなかったものが表に現れる、
なつかしい「ホ」の響き(印象)がある。


他「ホ」
・2008-08-13 「ほ」を見る。
・2008-03-23 春の黄の花木 マンサク




「イ」
・2012-02-13 中世芸能の発生 425 市(イチ)のイ
・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り
日本の「イノリ」(祈り)とは、
抽象的な神に敬虔な願いを捧げるような新しい祈りでなく、
「イ」を宣(ノ)る強い行為であったこと。



「ヨ」
世 代 夜 黄泉(よみ) 常世(とこよ) 詠む(よむ) 寿詞(よごと) 暦(こよみ)
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能



「チ」
血(ち) 乳(ちち) 道(みち) 市(いち) ヲロチ(おろち)
・2012-02-14 中世芸能の発生 426 道(ミチ)のチ
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花




「ヒ」
日 火 檜 ヒレ(鰭) ヒロメク ヒラメク ヒレ〈領巾・肩巾〉
・2010-02-17 中世芸能の発生 284 ハタ ヒレ
・2010-02-18 中世芸能の発生 285 ヒ ヒル ヒヒル 蝶
・2010-02-19 中世芸能の発生 286 ヒレ ヒラ ヒレ有る骨柄
・2010-02-20 中世芸能の発生 287 ヒロメク 蛇 剣
・2010-10-03 中世芸能の発生 357 檜扇(ひおうぎ)の民俗




「キ」
木(き) 毛(け) 気(き・け) 気枯れ 穢れ(けがれ)
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)




「ユ」
斎(ゆ) 湯(ゆ) ユ槻(ゆつき) ユ笹(ゆささ) ユツ真椿(ゆつまつばき) 
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-04-08 中世芸能の発生 303 日本料理 湯屋 湯聖(ひじり)
・2009-10-19 中世芸能の発生 224 ゆささ 湯




「ニ」
匂う(ニホフ) 丹(ニ) ニフブ(和ぶ 柔和) ニコニコ
・2010-02-13 中世芸能の発生 280 ニフ 土地
・2010-02-13 中世芸能の発生 278 ニコニコ ニフブ 笑む
・2010-02-13 中世芸能の発生 277 住吉のハニフ(黄土)




他「イ」の性質を含む行為の例  斎(い)む 忌(い)む 祝う 呪(いは)う
・2010-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ
・2010-02-07 中世芸能の発生 271 イハフ言葉 イハフ行動
・2010-02-08 中世芸能の発生 272 マツル
・2010-02-09 中世芸能の発生 273 イム




<性質をあらわす一音節について>

「チ」「二」「ヒ」  一音節  固有名詞にならないもの  土橋寛 
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの





・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音

・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視

・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷



つづく





by moriheiku | 2012-02-16 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
日焼け

毎日ように電車に乗る。
二月のはじめのある日から、車窓の南側の窓から差す光がピッカリと変わった。
いつも笑えちゃうほどある日ぴっかりと、光の種類が変わる。

このあいだ、街道の市(いち)を歩いたのは二時間にも満たないのに。
帰って来てから顔がイタくてイタくて。
どんどん痛くなってきて。

お風呂に入るのは、ちょっとやけどをした指をお湯につけるのとおんなじで、
もうイタイ、イタイ、イタイ。

何をしていてもずっとイタくて、
普段は自分を触りたくないとっても冷たい自分の指先を、
ずっと顔にあててる、あれから数日間。
(冷たい手、こんな時は便利。)

市に行っている時、髪を後ろでひとつに束ねていたから、
顔は、目の周りだけ白くて、あとは耳まで赤くなっちゃった。

この時期の日焼け。
毎年毎年、この時期、懲りずに、こういうイタイことになる。
もー。






by moriheiku | 2012-02-15 08:01 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 427 厄除けのおまんじゅうの分配


つづき


その市(イチ)の立つ日は、そのあたりの人々は、
神社で神様に捧げたお米が使われてるっていう
食べると厄除けになるというおまんじゅうを食べるのがならわしだそう。

春のはじまりに、このおまんじゅうを食べて、
今年一年を無病息災で過ごせますようにという願い。



これは、お祭りに使った松明(たいまつ)の火や、火の粉や、
燈心のようなものをいただいて帰ったり、

聖なる水とされるお水を汲んで飲んだり、

神社で神様に捧げたお酒や贄など神饌を
皆で分配したりするのと同じことで


神聖なイノチのチカラに満ちたものをいただいたり身近に置くことで、
そのチカラが伝染することをと願うもの

その結果厄が払われる。
神社のおふだやお守りもこうしたもののひとつ。


ありがたいもの、おめでたいもの。
神聖なチカラに満ちたものの感染を期待する、
古~い時代からの呪術的な行為。

日本では現代もマジカルな行為が身近にいっぱい。


自分の身体の痛いところと同じ場所を撫(な)でて不調の軽減を願う撫で仏も、
仏の姿ではあるけれども、
仏教以前の、身体的な実感からつづいてきた呪術的な行為の系譜にある。


我欲を捨てることで苦しみを逃れるという論理的な宗教の理論の中に、
宗教以前のマジカルなものへの期待と行動は生き続けている。
それらが習合したものが日本の宗教の形になっている。


現代では呪術というとおどろおどろしいものをイメージされることが多いけど、
ここで言う呪術は、
抽象的な神を媒介として願望の達成を祈るというような
比較的新しい宗教的な祈りというよりは、
神を媒体とせずそれ自体に直接はたらきかけようとする行為にもとづくもののこと。
まじない。


強い名を付けて、丈夫な強い子に育ちますように、とか、
美しい名を付けて美しい子になりますように、という行為も、
ここでいう呪術的行為のひとつ。

ぴちぴちした人の近くに行くとぴちぴちした気持ちになったり、

爽やかな土地に行って、晴々したり。

やさしい音におだやかな気持ちになったり、

良い香をきいて、リラックスしたり。

うるさい音の中でいらいらしたり、

山野で獲れたての、活きのいい食べ物を食べると
元気になるような気がしたり、

そうした身体的行為に基づくものが、
哲学的抽象的な宗教以前の、呪術的意識の基本として今もあると思う。



現代人にも日常的な、
ありがたいもの、おめでたいものにあやかろうという行動は、
そういった古い時代からの身体的感覚に基づく行為と基本的にかわらない。


で、市に行って、ありがたい厄除けのおまんじゅうをいただいて、
みんなで分けて、楽しかった☆


ついでに私だけこっそり日本再体験気分も満喫。



ありがたさの伝染

・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ

・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術

・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす

お相撲さんにさわったりすることも

・2010-09-24 中世芸能の発生 356 横綱と神木





・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型

・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)


・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音

・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙)


・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰

・2008-06-03 自然と我 06




古い時代における神聖とは、生命力・霊力の強さをいう。
清浄・タブーの神聖観念はそれよりも後。
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは

日本の芸能は祝福(寿ぎ)の系譜。
横溢するチカラにあずかって、
イノチのゆさぶり、イノチを活発化しようとした呪術的行為(タマフリ)の系譜。




市(イチ)のこと
・2012-02-12 中世芸能の発生 424 市(イチ)
・2012-02-13 中世芸能の発生 425 市(イチ)のイ
・2012-02-14 中世芸能の発生 426 道(ミチ)のチ



つづく





by moriheiku | 2012-02-15 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 426 道(ミチ)のチ


つづき


漢字より前からの古い時代の「チ」の音を含む語、例えば

「ミチ」(道)、「チ」(血)、「チチ」(乳)、「ヲロチ」(大蛇)、「イノチ」(命)、

等々は、

「チ」の音のあらわす種類の性質を内蔵するという感覚に基づき
「チ」の一音節を語根としたことば。


「チ」は チカラ の チ  命は「イ」の「チ」。
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花



古い時代からのことばの音の印象は、
古い時代の、共通する一音節の音を語根として含む語をいくつか並べてみると、
それらに共通する性質がいっそうよくわかり、
一音節自体の音の性質も理解できる。

例えば、「ヨ」の性質を含むもの。「ヨ」の性質。
世 代 夜 黄泉(よみ) 常世(とこよ) 詠む(よむ) 寿詞(よごと) 暦(こよみ) 
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ



語の語根となり様々な語を形成している特徴的な一音節の
「イ」「チ」「二」「ヒ」「ヨ」等を含む名詞、動詞、形容詞、接頭語、神名等を見ると、

文字より前の、古い時代の人々が、
何を神聖視してきたかがうかがえる。

それは固有物でない、
性質(昔の人にとっての霊質)であったと理解される。




「ホ」   花の穂 稲穂  祝ぐ(ほぐ 寿ぐ) 言祝ぐ(ことほぐ) 誉む(ほむ)
・2008-08-13 「ほ」を見る。




「チ」「二」「ヒ」  一音節  固有名詞にならないもの  土橋寛 
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感


「ヒ」
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの




「ヒ」のこと
・2010-02-17 中世芸能の発生 284 ハタ ヒレ
・2010-02-18 中世芸能の発生 285 ヒ ヒル ヒヒル 蝶
・2010-02-19 中世芸能の発生 286 ヒレ ヒラ ヒレ有る骨柄
・2010-02-20 中世芸能の発生 287 ヒロメク 蛇 剣



「キ」のこと
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)



「ニ」のこと   匂う(ニホフ) 丹(ニ) ニフブ(和ぶ 柔和) ニコニコ
・2010-02-13 中世芸能の発生 280 ニフ 土地
・2010-02-13 中世芸能の発生 278 ニコニコ ニフブ 笑む



古代における神聖とは、横溢する生命力・霊力の強さ
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは




・2012-02-12 中世芸能の発生 424 市(イチ)
・2012-02-13 中世芸能の発生 425 市(イチ)のイ
・ 2012-02-15 中世芸能の発生 427 厄除けのおまんじゅうの分配





・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視





つづく






by moriheiku | 2012-02-14 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 425 市(イチ)のイ

つづき


古代の市(イチ)は、ミチ(道)を通って、
文物や人やさまざまのものの交錯するところで、
イノチやチカラのあつまるところと考えられた。

「イチ」(市)の語を構成する「イ」の一音節は、元来、
生命力・霊力の横溢する状態を意味。

その「イ」の音のイメージは、
たとえば「厳(いつ)」「いかし(厳し)」の語に今も感じられるように、
たけだけしいほどの自然の生命力の横溢。

古い時代の人々はそういう性質や力を霊威・神威と考えて、
「イ」のような性質を表す一音節が
神聖なものをあらわす語に用いられていったと考えられる。


「イ」を語根とすることば
----------------------------------------------------------
いか・し 【▽厳し】 (大辞林)
(1)霊威が盛んである。神秘的な力に満ちている。
(2)たけだけしい。荒々しい。

いつ 【▽厳/〈稜威〉】 (大辞林)
(1)神聖であること。斎(い)み清められていること。
(2)勢いの激しいこと。威力が強いこと。
----------------------------------------------------------

いつ・いち【厳】 → 「いちはやぶる」 → 枕詞の「ちはやぶる」

例えば厳島(いつくしま)神社のある厳島(いつくしま)は、
「イ」の横溢する島。とことばの音から感じられる。
・2008-10-03 中世の人の感性




元来、日本の「イノリ」(祈り)とは、
抽象的な神に敬虔な願いを捧げるような新しい祈りでなく、
「イ」を宣(ノ)る強い行為であったこと。
・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り

このように古い時代の「イノリ」は、
強い行為によって効果の伝染を期待する身体的実感を元にした行為で。

それは、自分から分離した遠い抽象的な神などの存在に祈るものでなく、
イノリの対象が自分とつながっているという、
自他が分離していない、したがって伝染する、という
身体的実感に基づくものであったことがことばからもわかる。


他、「イ」の性質を含む行為の例  斎(い)む 忌(い)む 祝う 呪(いは)う
・2010-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ
・2010-02-07 中世芸能の発生 271 イハフ言葉 イハフ行動
・2010-02-08 中世芸能の発生 272 マツル
・2010-02-09 中世芸能の発生 273 イム




「チ」
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花


「ホ」  花の穂 稲穂  祝ぐ(ほぐ 寿ぐ) 言祝ぐ(ことほぐ) 誉む(ほむ)
・2008-08-13 「ほ」を見る。



「ヨ」  世 代 夜 黄泉(よみ) 常世(とこよ) 詠む(よむ) 寿詞(よごと) 暦(こよみ) 
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能



「ニ」   匂う(ニホフ) 丹(ニ) ニフブ(和ぶ 柔和) ニコニコ
・2010-02-13 中世芸能の発生 280 ニフ 土地
・2010-02-13 中世芸能の発生 278 ニコニコ ニフブ 笑む
・2010-02-13 中世芸能の発生 277 住吉のハニフ(黄土)



「チ」「二」「ヒ」   一音節  固有名詞にならないもの  土橋寛 
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感



・2012-02-12 中世芸能の発生 424 市(イチ)
・2012-02-14 中世芸能の発生 426 道(ミチ)のチ
・ 2012-02-15 中世芸能の発生 427 厄除けのおまんじゅうの分配



イの印象を意識する時、

イ・・イカリ(怒り) イカリって、、こわいね。

リアルに感じる。



つづく








by moriheiku | 2012-02-13 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)