カテゴリ:言葉と本のまわり( 304 )

古い音






この施設は日本語の古い発音を聞くことができる場所だったけど、

ある時から聞けなくなった。


そのまま何年も経って、

時々、また復活していないかな、と訪れてみるけど。

もうこのまま聞けないのかな。




本や少ない動画を頼りに、

古い発音を口に出してみるけど。

もう少し発音したい。体系的に知ってみたい。

まだ真剣度が足らないのだ。
by moriheiku | 2015-02-02 08:00 | 言葉と本のまわり

雨ニモマケズ  仏教と日本的思想と宮沢賢治


宮沢賢治「雨ニモマケズ」の、


・・・
東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ


は、
自分の人生を精いっぱい生きながら、

ホメラレモセズ クニモサレズ
特別な人でない、自然の、森羅万象のうちの一部であることを望んでいるものに
私には聞こえる。


この詩には、我への注視にとどまらない視点がある。

私は特に宮沢賢治のファンということはなく詳しくないけど。
この人の詩を文章を読むと、
個人からの視点と同時に、それをはるかに縦横にとりまく世界の視点があり、
この人は何か、ある執着を手放している人だという感覚を持つ。
(あ~~我ながらなんて非論理的ないいかた)

(手放している、は、ネガティブな意味でも、ポジティブな意味でもない。
ただそうあるということ。)

この詩には、我への注視にとどまらない視点がある。

篤い仏教徒の賢治にとってそれは、
仏の真理ということだったかもしれないけど。






他力本願
・2012-02-28 中世芸能の発生 430 他力本願 救い
・2012-02-27 他力本願
・2012-02-26 中世芸能の発生 429 樹幹流 他力を本願とすること
他力本願は、
よく誤用されているように人の力をあてにした近視眼的な自己の達成願望でない。
自分の人生を生きることの否定でもない。

他力を本願とするということは、
自分もまた自分の判断の範疇をはるかにこえた
めくるめくような相互の関わりの中にあり動いているのだという
強い自覚と、覚悟につながっているものだと思う。





遷宮  季節  細胞  くりかえす命への視点
・2011-02-16 中世芸能の発生 380 輪廻 遷宮 遷都
古い森は、内で絶えず死と再生をくりかえし更新している、常に新しい森だ。

昔の人が、春夏秋冬をくりかえしめぐる季節に、死と再生、イノチの継続を見、
日月の周期にくりかえすイノチとイノチの継続を見ていた。

草木や動物や、大きいものにも小さいものにも、くりかえす生と死の循環を見ていた。

現代の日本人は、
体の細胞は絶えず死んで生まれてをくりかえしながら
その人が保たれていることを学校などで習う。

細胞のことなど知らない昔の人が、
生と死をくりかえしてつづく命全体の循環を知っていたことの慧眼、
自然の全体性の実感を思う。

輪廻の思想は、こうした命の循環を
宗教的に解釈したものではないだろうか。

遷宮、古い時代の遷都も。




しづやしづ  ことほぎ  命の再生への祝福と呪術
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
 


・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ ヨミ トコヨ ヨム ヨゴト コヨミ
「よ」 ということば。
世 代 夜 黄泉(よみ) 常世(とこよ) 詠む(よむ) 寿詞(よごと) 暦(こよみ) 他・・

「よ」の音に感じられるのは「時」。

ただ「時間」のことでなく、
命とむすびついている「時」の感じ。

古い和歌や詞章に使われた「よ」には、
営々と栄えつづける時のイメージが重なっている。

ずいぶん昔の「よ」は、
現代のように時刻や、刻々と流れ刻まれる時間でない。

繰りかえし再生しつづける永遠の時のイメージで、

それは「命」のことだ。




古い時代の芸能。芸能者の役割。  ヨム人々 ホグ人々 芸能 ヨゴト 命の再生 和歌
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能

芸能のはじめ  アメノウズメノミコトの神楽  天岩屋伝説  太陽の復活 
・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽




古い芸能につらぬかれる、死と再生の物語
・2009-07-07 中世芸能の発生 166 死と再生の物語
・2008-12-31 中世芸能の発生 47 谷行(たにこう)

宗教における死と再生
・2009-07-06 中世芸能の発生 165 捨身
by moriheiku | 2012-09-09 08:00 | 言葉と本のまわり

ことばの発見




すみれの巻いたつぼみが咲きそう。

ああ、私は、よろこんでいるのか。




これをあらわすことばは、祝福。

このすみれは、祝福。








小さなことに心は動いて、
よろこんだり悲しんだり怒ったりして
毎日を過ごす。





花が咲いて心が動いたりうれしく思う心は、
意識はしてないけど、
私の命が、さまざまの命を喜んでいるからかな。

・2012-03-17 中世芸能の発生 431 春の野







ケヤキ。大樹の祝福。扇の神聖視。
・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ
樹木の祝福(生命力) → 扇の祝福 → 神のヨリシロとしての扇
に展開していったと思うこと。






ことばの発見。

かたちのないものが、ことばになって、
意味を持って外に出るよろこび。


また、ことばの発見は、意味を見つけるよろこび。
意味の発見。心の発見。
意味の固定化。本来からはなれること。






・2010-02-03 命の全体性
古い自然は、無数に関係しあい、常に更新し、常に再生している。
古い自然は永遠に新しい命なのだと。
ことほぎ。ほぐことば。






芸術の動機
・2012-03-24 中世芸能の発生 432 言語芸術論 芸術と芸能
講演中で吉本さんが、
言葉(芸術)は、自然と人の交流に生まれるって短くおっしゃってたこと。





対象をかかりに、ことばで、
透明に見える中からある部分をすくう。
と現れるある世界。
・2007-09-19 ヨリシロ






あー、こうして並べてみるとすっごくあやしく見えるー。なぜー。アハハハハ。



手に流れる水に水ということばを得たヘレン・ケラー。
どんなにうれしかったかな。
by moriheiku | 2012-04-08 08:00 | 言葉と本のまわり

中世芸能の発生 432 言語芸術論 芸術と芸能

つづき


夜、テレビをつけて、
「ETV特集 吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」
が再放送されていることに気がついた。

番組の終わりの方を少し見ることができた。

2008年の吉本さんの公演を主とする番組で、
2009年と2010年にも一部見たことがあった。



一般的に言われる、
人に伝わってこそ芸術、という考え方には、私自身は
昔からひどく違和感を感じてきた。

人に伝達する目的がなければ、
人は歌を歌ったり絵を描いたりしないかといえばそうでない。

一人でそうしつづける人もいるし。

芸術を生む衝動と、人に伝えることは、別のことと思うから。

人に伝えることがモチベーションになる人は多いということは私にもわかるけれど。



吉本さんの言語をと通じて芸術を語る言語芸術論においては、
言語の表出のしかたは、二通りある。

ひとつは、

・意思や情報を伝えるコミュニケーションとしての表出(指示表出)

もうひとつは、

・沈黙あるいは独り言としての表出(自己表出)

吉本さんは前者を「指示表出」、後者を「自己表出」と名付けている。


番組内の例えなら、

例えば、きれいな花を見た時、
人に「きれいですね」と言うのが「指示表出」。

対して、きれいな花を見た時、
思わず沈黙の中で心の中で思う、
あるいは独り言で「きれいだ」と言うことばが「自己表出」。


吉本さんは後者、沈黙に近い「自己表出」が、
芸術の大部分であると考えられる。



現代は表現手段や語彙も多いので、芸術も昔よりも優れていると考える人が多い。

しかし芸術の本質は、言語でいうならあくまでも「自己表出」の部分であって、

表現方法「指示表出」の部分は芸術を構成する意味があるけれども、
それは枝葉で、
芸術の本質は、言語でいう「自己表出」の部分にあり、
表現やサイズではかることはできない。


例えばドストエフスキーの長編小説と松尾芭蕉の俳句は、
言葉の分量や表現は大きく異なるけれども、
それをもってどちらが芸術的に優れているという判断はできない。


言語の幹や根は、
思わず心中に言うような、沈黙のことば、
限りなく独り言に近いものであり、

芸術の本質はそこなんだということを
吉本さんはおっしゃっている。



こうした吉本さんの言語芸術論は、
人に伝わってこそ芸術という考え方への違和感と合致して思われた。


私はポツポツと、一人ごとのように、芸能の発生をたどろうとしてる。
それは「芸術」の発生でなく、あくまで「芸能」の発生。

(芸能でなく)芸術の核は、
その感触を発しようとする強い衝動にあるのかもしれないなと、

それが芸術を芸能の違いのひとつ、

と、数年前の吉本さんをテレビの画面で見ながら思った。




前にこの放送を見た時には、
あたりまえのように自然に感じて通り過ぎてしまったけれど、
今回の放送を見て前より強く心を打ったことがあった。


講演の中で吉本さんが、
言葉(芸術)は、自然と人の交流に生まれるということを
短くおっしゃっていた。

自然は我々に影響するし、我々も自然に影響を与える。って。

歌や芸術のようなものだけでなく例えば学者の学問なども、
それを表に出さずに自分だけで思っているだけのものでも、
自然と我々は相互に影響し変化しあっていると。


こうした意識は万葉集中にもよく見られ、
万葉人もこうした意識を普通に持っていたし、

平安時代の古今和歌集の仮名序の、

“世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひい だせるなり、花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける、ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心 をもなぐさむるは、うたなり”
(自然が和歌を詠ませるし、また和歌は自然(天地あめつち、鬼、神)も動かす。人とものが相互に影響し合う)

も、

この自然と人が互いに影響を与えあっている古来の意識の系譜
(その変形したもの)と思う。


このように自然(と言うか森羅万象)と自分は共感し影響しあう(融通する)感覚は古くから、
あたりまえに日本人にあったものだけれども、
どうも現代では通じにくくなっているように思う。


この自然(時間や無生物も含む)と人の分離しない感覚は、
日本の思想や民俗のキーになる部分。

だから、吉本さんのようなかたが、
とても大切な部分だからと吉本さんがおっしゃったこのことが、
講演でもっと語られていたら、
と思った。


私は、自然(というか時間や生き物でないものも含む)森羅万象と、
その一部である人との共感をいつも思うから。



日本の文化を指でたどる時、日本のことばや音を聞く時、
いつもそこに帰結する。あまりにもワンパターン。






ETV特集 吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論

・2008-12-25 「ETV特集 吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」を見て
哲学は美しい

・2010-04-02 中世芸能の発生 299 ことばの発生と本質
ことばは、
情報の伝達のために生まれたのでなく、
ものと人との間の共感に生まれたと思う。
それが展開して、人と人の間の、
情報をやりとりすることばに用いられていった思う。
人と人の間に限らない、
ものと人の共感に、
人のことばの発生と本質があると私は思う。



身体と自然の接点に生まれる ことば
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感
・2010-07-01 ぜんぜん論理的じゃないこと
・2009-08-30 地続き




私には、ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化するもの。
大地を通って顕在化した植物と同じもの。と感じられる。
・2011-10-18 星を結ぶ線をひく




仮名序
・2008-02-01 「仮名序」カナを使う意味
・2008-02-01 「仮名序」和歌の背骨




数えきれないものが無数に互いに関係しあって自然の森は構成している。
自然と人は相互に共感し影響しあう中に居る。日本の自然感。
・2012-02-26 中世芸能の発生 429 樹幹流 他力を本願とすること




それとも別のときには、
対象について文字で打つときに、対象を、でなく、
腕の先や、指にある、空気感を、
字面へ乗せて、のぼらそうとしている。
字面に見える文字や文章の意味にはないものを打っている。
全部じゃないけど。たいていは。
・2007-09-19 ヨリシロ
・2007-09-20 芸術と信仰




信仰と芸術の相違。
西行と作歌。西行のような人々にとっての作歌、作仏。

一首詠み出でては、空の中に一体の如来の形を造る思いをする。
一句を思い続けることは、秘密の真言を唱えることと同じ。
・2010-05-20 中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合
・2008-12-16 本来空

作仏聖たちは、
木や棒にもともと宿る力というか、イノチというか、霊力というか、
神仏を見えやすくするので、
その造作はシンプルでいい。
むしろ、それは木や棒を生かす姿でしかありえない。
木に宿らない余計な装飾を加えることは、
その命を打ち消すこと。
木の中のイノチを掘り出す。無常を詠む歌の中の仏法を取り出す。
それは芸術でなく、信仰のわざであること。
・2009-08-17 中世芸能の発生 188 作仏聖 円空 棟方志功
表現よりも、その核を見い出すこと。



今様歌謡に見る。信仰と芸能、仏教と芸術の摩擦と習合。

狂言綺語の誤ちは 仏を讃(ほ)むるを種として 麤(あら)き言葉もいかなるも 第一義とかにぞ帰るなる 
・2010-12-01 中世芸能の発生 368 今様

・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教
・2011-06-09 中世芸能の発生 398 今様即仏道 命の際(きわ)
・2010-06-22 中世芸能の発生 331 罪業感 今様



つづく
by moriheiku | 2012-03-24 08:00 | 言葉と本のまわり

星座



ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化したもの。
たとえば大地を通って顕在化した植物と同類のもののように私には感じられる。

うまく言えないけど、このように
ことばのはじまりは人の外(そと)にあるという感覚を持っている人たちはたぶん居る。

ことばにこうした感じを持っている人は、
偉い学者さんや著名な方も、そうでない人々も、
生きている時代も、住む場所もさまざまで、
声を聞くことはないけれども
いつも色々な場所にたくさん散らばっていて、私も無数にいるその一人だと思う。


無数のその人たちを見ている。

空の星座の光を見上げるように、
決して届かない星々を結ぶ見えない線をひく。






吉本隆明さん、豊田国夫さん、土橋寛さん
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの



・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)



ことばと植物 ことばと自然風土
・2007-06-28 言語のレッドゾーン
・2010-08-31 生物多様性 言語の多様性
・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物




・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言




・2009-03-01 草の息
・2007-09-19 ヨリシロ
・2010-02-03 命の全体性
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷



とか言って、
でも私は日記(ブログ)以外では、ぜ~んぜんことばの人じゃないのだった。
by moriheiku | 2011-10-19 08:00 | 言葉と本のまわり

星を結ぶ線をひく



東北芸術工科大学文芸学科が、
<ことば>によって東日本大震災以降の世界を展望するシンポジウム
「はじまりのことば みつけだそう―3.11後の世界と言葉―」
というものを開催するそうだ。

東日本大震災以降の新しい世界を展望するために、もう一度〈ことば〉を原点として、世界の再構築を試みるためのシンポジウムだそう。


原発事故でバンドゥーラ演奏家のグジーさんのことを思い出し、
グジーさんの活動予定でこのシンポジウムを知った。

ウェブ上でシンポジウムのポスターを見た。
内容は私にはよくわからない(T T)。

ただポスターに印刷されていた〈はじまりのことば〉という詩(?)の中の、
“ことばが社会で生きるための道具になる前の時に戻ってから。”
というところが印象に残った。



幾度も書いてしまっているけど、私はことばのはじまりを次のように思っている。

文字のなかった頃、人はものや性質を言いあらわすのに、
その性質にふさわしい音(声の音・ことば)を口にした。

例えば丸く柔らかいものをあらわすのにギザギザという音は付けないし、
さらさらした感触ものにはさらさらという音をつける。

それはその感触にさらさらということばの音の感触がふさわしいからで、
ものの性質、ものの感触と、ことばの音の感触は一致している。

ことばは、さまざまなものと人の共感にある感触、印象の発露であり、
人の声を通したそのもの自体の表出。
ことばは音や色に近いものだったと思う。

そのことばの音は、ものそのものの本質に限りなく近い(近かった)。
そのものの音、そのものの色、そのもののことば。

私には、ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化するもの。
大地を通って顕在化した植物と同類のもの。
のように感じられる。

人はコミュニケーションのためにことばを発明したというのを聞くことがあるけど、
私はむしろ、そのものであることばの音が、
コミュニケーションのために用いられていった過程を思う。

ことば(日本語)の本来は、
ことばは「もの」と「人」の共感にある感触、印象の発露で、
そのものが人を通して顕在化したものであり、
はじめに伝達のために生まれたと思わない。





シンポジウムのポスターのことばから、私は私の中の、
はじめのことばにもどりましょう。ことばが道具になる前の、
という思いにもどる。

そこはことばの生まれることになったところであり、
ことばの生まれるよりずっと前から、人間よりも前からずっとあるところ。
私はいつもそこへ立ち返ろうと思う。



東北芸術工科大学の
「はじまりのことば みつけだそう―3.11後の世界と言葉―」の
ポスターで見たシンポジウムの内容は
私にはよくわからなくて、
私がポスターの詩から連想したものはその詩の意味とは異なると思う。

ただこのポスターの詩が、ことばを発見することからはじめようって、

“まったくのさいしょから、ゼロ地点から、はじめよう。
 はじめてことばを発してから、今までやってきたことを、もう一度、最初から。”

と書かれている数行には、震災で、
現実をことばのはじまりの時点から始めなければならないと思うほどの破壊があったことと、
そしてまたはじめようという決意が感じられた。





私には、
ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化したもの。
たとえば大地を通って顕在化している植物と同類のもののように感じられる。

うまく言えないけど、このように、
ことばのはじまりは人の外にあるという感覚を持っている人たちはたぶん居る。

ことばにこうした感じを持っている人は、
偉い学者さんや著名な方もそうでない人々も、
生きている時代も住む場所もさまざまで、普段そのことを意識することもなく
声を聞くことはないけれども
いつも色々な場所にたくさん散らばっていて、私も無数にいるその一人だと思う。


無数のその人たちを見ている。

空の星座の光を見上げるように、
決して届かない星々を結ぶ見えない線をひく。






・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音

・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視

・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)

吉本隆明さん、豊田国夫さん、土橋寛さん
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感


・2007-06-28 言語のレッドゾーン
・2010-08-31 生物多様性 言語の多様性

・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物

・2009-08-16 中世芸能の発生 187 和琴
・2010-04-04 中世芸能の発生 301 歌の音

・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承

・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言

・2009-03-01 草の息
・2007-09-19 ヨリシロ
・2010-02-03 命の全体性
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷



とか言って、
でも私は日記(ブログ)以外では、ぜ~んぜんことばの人じゃないのだった。
by moriheiku | 2011-10-18 08:00 | 言葉と本のまわり

ことばの出てくるところ


ことばに関するところに(も)、なぜか私の逆鱗が一片あるみたい。

本を読むのは好き。
夏休みの読書感想文に困ったって時々聞くけど、
私は学年全員の読書感想文を書きたいくらい。
毎日本を読んで感動や感想をつづっていられたらどんなに楽しいだろう~。

ただしこのとおり、文章力はない。
ほんとにただ、本の中のことばによって自分のどこかが動くのを、
ことばに書きたくなっちゃう、というだけのもの。
本の中の色や音を、ことば、字にかえる。

本から、色から、音から、自然やどこかから感じた心の動きをことばにしたくなる時、
もしも、人に通じるようにとか、うまく文章を綴ろうという心があったら、
私にも人に通じることばを持てたかな。

けど感じたことをことばにするのと、
人に通じさせることとは別のことなので、
その二つは結びつかないままきた。

たとえ夏休みに誰かの読書感想文を書かせてと申し出て、
書いたものを渡したとしても、
書かせてくれた人はそれを見て「こりゃあかん~」と、
夏休みの最終日くらいに自力で書くことになってたでしょう。ハハ。


それなのに、歌手の歌う歌の中に、ある文の中に、あるセリフ中に、
なにか胸のふるえることばのひびきに接した時、

私もそういう一片のことばが、指先から、唇から出たらと望む。

たったひとこと指先や唇を出たら、私は満足だろうと思う。





・2010-07-02 ソングライター



・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2009-08-16 中世芸能の発生 187 和琴
・2009-03-01 草の息



私の逆鱗 私はこういうところに突然怒るみたい。
我ながら、怒ることじゃないじゃないって・・・
・2009-09-08 言語美
・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物



・2007-09-19 ヨリシロ
by moriheiku | 2011-09-10 08:00 | 言葉と本のまわり

ことばのきれいな人



気軽な占い。
今年度の下半期を占う。

ことばのきれいな人と出会う、って。

なんだかめずらしい占いの結果で覚えてる。


美麗なことば遣いでも、丁寧でも、美文でも、声が良くても、
にごった心の発することばはにごっているから、


私にとってことばのきれいな人は、
ことばの音のきれいな人。


心のきれいな音のする、ことばの音の人と
出会うといいな。



チョーとかマジ、ヤバなんて使う私は、
そういう人とどこで出会うの。





ウタダヒカルさんが、ずいぶん以前、
良い言葉を自分の中に増やしたいので鴎外や漱石などをもっと読みたい
ということをおっしゃってた。


ウタダさんはアメリカで育って、日本語と英語をじゅうぶん知っている人。
ウタダさんのように日本語に客観的な視点も持てる人が、英語圏から見た時、
現代語に近いきれいな日本語は、
鴎外や漱石などの本の中に見えるのかな。
私は日本語しか知らないから見えないそういう視点で、
一度日本語を聞いてみたいな。



これからことばのきれいな人に出会うって、
もしかして本かも。


みずみずしいことばに会おう。







私はさ行が一番好き。すずしげ。その次はは行。やさしく上品。
・2008-08-13 さ行



・2009-12-13 中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは



・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2009-10-06 中世芸能の発生 211 ささなみの大津



・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 01



・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能



・2010-02-03 命の全体性



・2009-03-01 草の息



・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花



・2010-06-20 中世芸能の発生 329 祝福の系譜
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし




漱石とグールド
・2008-06-04 グールドの雲雀
by moriheiku | 2010-09-13 08:00 | 言葉と本のまわり

キーボード





キーボードでことばを打つことは、良い点がある。

手で鉛筆やペン、(あたしは使えないけど)筆で和歌を書くと、
文字の形や字面の美しさに気をとられて、形を書くことへ意識は分散する。


キーボードで歌を打つのは、ピアノを弾くのに似てる。
身体を通って、指先から歌が出てくる感じ。


キーボードで打った文字も字面は気になるし、
手で書く文と文体はかなり異なるけど。

それでもキーボードで打つ歌は、手で書く文字より
心と歌の間に文字のフィルターが入らず、
歌と心は直になる。


キーボードで古い歌を打つと、歌は音に聞こえる。
音に近くなる。

古い和歌は音が大事だった。
昔の歌をキーボードで打っていると、歌の調子が身体にうつって、
目で読みとばすよりペンで書くより、歌は心ととけあう。


キーボードで文字を打つと変換なんかする必要があって、
そのひと手間の時間が、ゆっくり詠んだ昔の和歌のリズムに似かよる。


ことばに文字(漢字)があてはめられていった万葉の時代、
あることばにどの漢字を使うかはまだ流動的だった。

それで文字を知る知識層でも、万葉仮名で書かれた歌を贈られた人たちは、
万葉仮名をある程度ひとつひとつ日本語に解読しながら歌の音を読んだでしょうから、
キーボードの文字変換の手間は、万葉仮名を詠み下す時間と近くなる。



キーボードで歌を打つと、
文字のフィルターの入らない
歌の調べ(音)が、身体に聞こえて、
なかなかいいの。


詠唱が一番でしょうけど。

キーボードで古い歌を打つのは、
ピアノで音が鳴るのに似ていて、楽しい。







・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2009-03-19 中世芸能の発生 88 詠の水脈


・2009-07-02 中世芸能の発生 161 思い兼ねる
・2009-06-28 中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』
・2009-03-26 中世芸能の発生 93 歌の展開


・2009-03-01 草の息
・2009-08-15 中世芸能の発生 186 朗詠調
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視


一首の中に、
漢文的表記と、
やまとことばの音に漢字の音を宛てた仮名的表記が混在してる
・2009-10-12 中世芸能の発生 217 ささなみの志賀さされ波




文字より前からある言葉は、
文字の意味でなく、音でとらえると、いろんなことが感得できる。
大きくとらえられ応用できる。

ことばを、
文字にせず、音としてとらえるとき、

知識としてでなく、
そのことばの含む重層的な感覚が、
体に染みて、透っていくようだ。
昔の人々の感覚も。

・2007-04-18 はやし


・2007-09-19 ヨリシロ
by moriheiku | 2010-09-01 08:00 | 言葉と本のまわり

生物多様性 言語の多様性


文字よりも前から使われていたことばは、
そのものをあらわすのにふさわしい音(ことば)がついた。

だから古いことばの音の響きに、私たちは、意識しなくても
そのものの性質を感じていると思う。



日本でも英語を共通語にしろという人が、
なぜ生物多様性、命の多様性の重要性を語れるのかと思う。

古くからのことばの一音に、
その土地の自然風土の情報と、
そのことばの音をつけ用いてきた人々の心と、
歴史の変遷が見えるのであり、
ことばの一音は自然風土であり民俗だ。

ことばの音は、
手に触れる物質ではないけれど、
ことばの音にある情報は情緒的なものでなく具体的なものだ。


ことばはもちろん土地や文化のすべてではないけれど、

世界中の各土地の、生物の多様性、命の多様性のあらわれ出たものが、
土地の言語であり民俗であるのに、

ことばを
ことばの一面である道具としてしか見られず、
土地の自然風土に生まれ、土地に根付き、
土地に適応して成長してきたことばを軽んじる人が、

滔々と生物多様性、命の多様性を語るのは、
うわごとに聞こえる。




・2007-06-28 言語のレッドゾーン

・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能

・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語

・2010-04-04 中世芸能の発生 301 歌の音

・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
by moriheiku | 2010-08-31 08:00 | 言葉と本のまわり