楽と祭祀 10 柿本人麻呂



つづき


三十六歌仙の一人、柿本人麻呂は、
持統天皇の頃に活躍した宮廷歌人。
宮廷の神事や儀礼の場で詠まれる格調高い歌を多く残した。


柿本人麻呂は、三輪、纒向(巻向)に縁が深い。
人麻呂の歌には、三輪や巻向周辺の地名が数多く登場する。


昔は天皇の心に代わって歌を作ることには意味があり、
ただ代作ということでなく、みこと(御言)をのる(宣る)。
「のりとごと」伝える意味があった。
同時にそれを奉げる。

神事や儀礼の場で大歌を詠む柿本人麻呂は、
その専門職のような立場だったと思われる。



奈良時代は、宮廷の神事や儀式に、
雅楽寮の楽人が楽を奏した。

楽人は、例えば笛なら笛、と専門化した。
雅楽寮には神事や儀礼に詠まれる大歌のことばを作る専門の人たちがいて、
柿本人麻呂はそのことばの集団のさきがけで、
代表的人物だったと思われる。

やがて国風歌舞(くにぶりうたまい 日本古来の歌と舞)を管理する
大歌所が独立した。

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【大歌】 おお‐うた〔おほ‐〕  (Yahoo!辞書 大辞泉)

1)宮廷の神事・宴遊などにうたわれる歌。
2)唐・韓などからの外来の楽に対して、日本古来の楽。
  風俗歌・神楽(かぐら)歌・催馬楽(さいばら)など、
  大歌所(おおうたどころ)で管理・伝承されたもの。
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三輪周辺は祭祀の土地で、
三輪山の西に、
楽人の居住地である楽戸郷(がくとのさと)があった。

雅楽寮の中のことばを担当する者として、
柿本人麻呂は三輪や巻向周辺に縁を持っていたのかもしれない。


柿本人麻呂は実在の一人でなく、
人麻呂集団が居たのだという説は根強い。

このことは、朝廷の神事や儀礼時の
ことばを作る専門集団がいた可能性から示唆される。


つづく
by moriheiku | 2008-11-13 08:00 | 歴史と旅
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