中世芸能の発生 42 よろぼし 弱法師 妖霊星 しんとくまる



つづき


「しんとくまる」の物語は、説経節や浄瑠璃になっている。

お能では「しんとくまる」は「弱法師」という曲(演目)だ。
「弱法師」は「よろぼし」と読む。

お能(謡曲)の中で「よろぼし」は、
盲目で足も弱ってよろめいている姿から呼ばれた名とされる。

“又われらに名を付けて。皆弱法師と仰あるぞや。げにも此身は盲目の。足弱車の片輪ながら。よろめきありけば弱法師と。名づけ給ふはことわりなり。”
参照:半魚文庫 UTAHI.半魚文庫



マンガ『妖霊星』近藤ようこ(作)は、
“説経節「しんとく丸」を借りて描いた死と再生の物語。”
(単行本の帯の言葉から) 

しんとくまるの伝説とは違う内容だけれども、
伝説の設定をベースにして描かれている。
主人公は陰山長者の娘。
当時の風俗が絵で見える。田楽法師らも。

出てくる場面は少ないけど、
肢体が不自由な者のアジールとしての四天王寺、
それがよく描かれている。


このマンガのタイトル『妖霊星』にあてられた字は、古く、意味の深いものだ。

『太平記』の高時の田楽の条にあるそうだ。
(すぐ『太平記』で確認したらいいのに、見ないまま打ってる 汗)

『信太妻の話』折口信夫
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併し故吉田東伍博士は、弱法師(ヨロボフシ)と言ふ語と、太平記の高時の田楽の条に見えた「天王寺の妖霊星を見ずや」と言ふ唄の妖霊星とは、関係があらうと言はれた事がある。其考へをひろげると、霊はらうとも発音する字だから、「えうれいぼし」でなく、「えう(ヨウ)らうぼし」である。当時の人が、凶兆らしく感じた為に、不思議な字面を択んだものと見える。唄の意は「今日天王寺に行はれるよろばうしの舞を見ようぢやないか」「天王寺の名高いよろばうしの舞を見た事がないのか。話せない」など、言ふ事であらう。「ぼし」は疑ひなく拍子(バウシ)である。白拍子の、拍子と一つである。舞を伴ふ謡ひ物の名であつたに違ひない。此も亦白拍子に伝統のあつた天王寺に「よろ拍子」の一曲として伝つた一つの語り物で、天王寺の霊験譚であつたのが、いつの程にか、主人公の名となり、而もよろ/\として弱げに見える法師と言ふ風にも、直観せられる様になつたのである。
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『太平記』の北条高時の田楽の条にある「天王寺の妖霊星を見ずや」。

鎌倉幕府の執権 北条高時は、
政務をおろそかにして田楽と闘犬に興じたと知られている。
天王寺は四天王寺のこと。

“白拍子に伝統のあつた天王寺に「よろ拍子」の一曲として伝つた一つの語り物で、天王寺の霊験譚であつたのが、いつの程にか、主人公の名となり、而もよろ/\として弱げに見える法師と言ふ風にも”

よろぼうし。「ぼし」は拍子(バウシ)。

語の転化は、他の説経節にも見られるもので、
ああそうかと思われる。



日本の密教は雑密の上にあり、
陰陽道道教の影響が濃く、星を祀る。
※北辰信仰…北極星、北斗七星を祀る。妙見信仰。

平安時代、密教は国家鎮護の役目を得て、王権と密接であった。
有験の天台の僧など、
帝の病平癒、皇子の誕生など盛んに祈祷していたもので、

やはり貴族も、肥大した浄穢観念の影響もあり、
吉凶だ物忌みだ何だとまあ盛んに星まわりを気にしていた。


白拍子の伝統のあった天王寺(四天王寺)の語り物「よろぼうし」に、
太平記で「妖霊星」の字があてられたのも、
密教的、中世的、その時代らしく思われる。


・2008-06-10 弱法師
・2008-06-10 俊徳丸伝説
・2008-09-26 中世芸能の発生 32 能『弱法師』



白拍子
・2009-02-13 中世芸能の発生 69 遊女と女房文学
・2009-02-10 中世芸能の発生 66 遊女の転落
・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
・2009-02-12 中世芸能の発生 68 読経と芸能




つづく
by moriheiku | 2008-10-15 08:00 | 歴史と旅
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