つづき 「しんとくまる」の物語は、説経節や浄瑠璃になっている。 お能では「しんとくまる」は「弱法師」という曲(演目)だ。 「弱法師」は「よろぼし」と読む。 お能(謡曲)の中で「よろぼし」は、 盲目で足も弱ってよろめいている姿から呼ばれた名とされる。 “又われらに名を付けて。皆弱法師と仰あるぞや。げにも此身は盲目の。足弱車の片輪ながら。よろめきありけば弱法師と。名づけ給ふはことわりなり。” 参照:半魚文庫 UTAHI.半魚文庫 マンガ『妖霊星』近藤ようこ(作)は、 “説経節「しんとく丸」を借りて描いた死と再生の物語。” (単行本の帯の言葉から) しんとくまるの伝説とは違う内容だけれども、 伝説の設定をベースにして描かれている。 主人公は陰山長者の娘。 当時の風俗が絵で見える。田楽法師らも。 出てくる場面は少ないけど、 肢体が不自由な者のアジールとしての四天王寺、 それがよく描かれている。 このマンガのタイトル『妖霊星』にあてられた字は、古く、意味の深いものだ。 『太平記』の高時の田楽の条にあるそうだ。 (すぐ『太平記』で確認したらいいのに、見ないまま打ってる 汗) 『信太妻の話』折口信夫 ------------------------------------------------- 併し故吉田東伍博士は、弱法師(ヨロボフシ)と言ふ語と、太平記の高時の田楽の条に見えた「天王寺の妖霊星を見ずや」と言ふ唄の妖霊星とは、関係があらうと言はれた事がある。其考へをひろげると、霊はらうとも発音する字だから、「えうれいぼし」でなく、「えう(ヨウ)らうぼし」である。当時の人が、凶兆らしく感じた為に、不思議な字面を択んだものと見える。唄の意は「今日天王寺に行はれるよろばうしの舞を見ようぢやないか」「天王寺の名高いよろばうしの舞を見た事がないのか。話せない」など、言ふ事であらう。「ぼし」は疑ひなく拍子(バウシ)である。白拍子の、拍子と一つである。舞を伴ふ謡ひ物の名であつたに違ひない。此も亦白拍子に伝統のあつた天王寺に「よろ拍子」の一曲として伝つた一つの語り物で、天王寺の霊験譚であつたのが、いつの程にか、主人公の名となり、而もよろ/\として弱げに見える法師と言ふ風にも、直観せられる様になつたのである。 ------------------------------------------------- 『太平記』の北条高時の田楽の条にある「天王寺の妖霊星を見ずや」。 鎌倉幕府の執権 北条高時は、 政務をおろそかにして田楽と闘犬に興じたと知られている。 天王寺は四天王寺のこと。 “白拍子に伝統のあつた天王寺に「よろ拍子」の一曲として伝つた一つの語り物で、天王寺の霊験譚であつたのが、いつの程にか、主人公の名となり、而もよろ/\として弱げに見える法師と言ふ風にも” よろぼうし。「ぼし」は拍子(バウシ)。 語の転化は、他の説経節にも見られるもので、 ああそうかと思われる。 日本の密教は雑密の上にあり、 陰陽道道教の影響が濃く、星を祀る。 ※北辰信仰…北極星、北斗七星を祀る。妙見信仰。 平安時代、密教は国家鎮護の役目を得て、王権と密接であった。 有験の天台の僧など、 帝の病平癒、皇子の誕生など盛んに祈祷していたもので、 やはり貴族も、肥大した浄穢観念の影響もあり、 吉凶だ物忌みだ何だとまあ盛んに星まわりを気にしていた。 白拍子の伝統のあった天王寺(四天王寺)の語り物「よろぼうし」に、 太平記で「妖霊星」の字があてられたのも、 密教的、中世的、その時代らしく思われる。 ・2008-06-10 弱法師 ・2008-06-10 俊徳丸伝説 ・2008-09-26 中世芸能の発生 32 能『弱法師』 白拍子 ・2009-02-13 中世芸能の発生 69 遊女と女房文学 ・2009-02-10 中世芸能の発生 66 遊女の転落 ・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人 ・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』 ・2009-02-12 中世芸能の発生 68 読経と芸能 つづく
by moriheiku
| 2008-10-15 08:00
| 歴史と旅
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