バック・トゥ・バッハ



つづき


 
「バッハを弾くことは
 現実からの逃避ではない
 現実と向き合うことです

 私は最近思うのですが
 世界には
 悪事が はびこっています
 世界は崩壊寸前です
 富める者が 貧しい者を攻撃し
 それぞれの集団は
 互いを理解しようともしない
 話し合おうとする
 気配すらなく
 重視されているのは
 誰が強くて 宗教の正当性を
 証明できるかです

 ロッケンハウスで
 バッハを弾くことは
 逃避に見えるかもしれませんが
 違います

 バッハに至る道は
 万人のために存在する
 永遠の価値を
 見出すための旅路なのです」

(番組の字幕 一部)




演奏する人によってどのようにもなるバッハ。

のどかにも、ロマンティックにも、
貝のようにその世界に逃げこむこともできる。
卒業生の入退場の曲(経験済)にもなる。

練習する曲は、弦ならバッハ、ピアノならモーツァルトが楽しかった。


バッハも、クレーメルも、
宗教的なベースがありそれをはずすことはできない。

クレーメルの言葉もどこか宗教的表現にも聞こえるし、
特定の宗教を持たない私は、世界は崩壊寸前と思わずにいる。


ただ、
音楽を見出すことに魂を奉げて生きている、
ある演奏者たちの、
バッハの解釈に現れる演奏者の魂と、
その魂を通して現れるバッハの音楽の姿に胸を打たれる。

その人たち自身が音楽になっている。
 


 
by moriheiku | 2008-02-06 08:01 | 音と笛のまわり
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