遊行の僧



つづき


聖(ひじり)、遊行の僧の多くや修験道の優婆塞、
後の密教につながる山岳系の宗教者たちの記録は少ない。

こうした人たちは官が出家と認めた僧でなく、
私度僧だった。


山岳信仰の世界は、
最澄空海が登場し雑密が密教としてまとめられるまでは、
新しい思想で国をまとめようとする国家と
相容れない部分が多かった。

そのため、遊行の僧や山岳信仰系の世界は、
正式な記録にほとんど残ってこなかった。

空海すら官の認める公の得度までの、
在野の頃の足取りは
はっきりしていない。



昔の私度僧や優婆塞たちは山野で修業していたのだが、
山にこもっているだけでなく、
人々の間に入って広域に活動していた。






8世紀末から9世紀初頭に、
私度僧、景戒によってまとめられた『日本霊異記』を
読み直そうかな。説話集だ。
遊行の僧が活躍するおハナシがいっぱい。



中世社会は、こうした山岳系というか
山野で修業した人たちの系譜になる宗教者が広めた
宗教思想の上に開いたように見える。


僧たちや巫女ら宗教者の辻でする勧進、説経、唱導は、
やがて田楽、能楽など中世芸能に展開していく。



つづく
by moriheiku | 2008-09-14 08:00 | 歴史と旅
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