中世芸能の発生 08 山岳信仰の系譜 優婆塞 私度僧


つづき

朝廷は、
官寺で学び官の戒壇を受けた僧でなければ、
正式な僧と認めなかった。

官の僧が寺外で活動することは、僧尼令で禁じていた。


日本の律令制は古代からの神祇信仰の体系を利用して行われており、
宗教を束ねることが、政治を束ねることであったため、
課税を免れるため出家や、官の手の届かない場での宗教的な活動は、
支配者側には不利益だった。

・2008-05-27 山岳信仰 01
・2008-05-27  山岳信仰 02



実際のところ、私度僧になるものは相次いだ。

私度僧 しどそう - WikiDharma


正式な僧でない私度僧の活動は、記録にほとんど残らない。
しかし私度僧の活動は活発だった。

私度僧の多くは山岳系修行者で、
各地を遊行する者だった。


奈良時代に、役小角が一夜のうちに各国を行き来した伝説がある。
山岳系修行者や私度僧らはすでにかなり広域に活動し、
山岳文化圏のようなものが形成されていたことが考えられる。


表向きは禁じられてはいたが、
私度僧が官とも交流があったことは充分推察される。

奈良時代、平安時代、中世にかけて活躍する役小角、行基、空海、空也、一遍、、
各地を遊行する僧たちのほとんどが、
自然信仰、山岳信仰の、古い信仰の系譜に連なる優婆塞、私度僧だ。




当時の遊行の僧らの宗教のベースに、
古来の自然信仰、山岳信仰の系譜にある雑密があった。

雑密は、古来の自然、山岳、民間信仰の神々と、
仏教、道教、天文などが結びついたもの。

官の仏教は寺院の外での活動は禁止されており、
観念的な傾向のものであるのに対して、
雑密は、薬、土木、呪術を含む実際的なものだった。

やがて空海が体系的な密教をもたらし
やはり山岳と結びつく。


自然信仰、山岳信仰、民族信仰の古い信仰の系譜にある私度僧らは、
実際的な技術を持って、里の人々の間に入って仏教を広めた。

神仏習合の思想を里に広めた。

その思想の上に、
中世文化の花が開いた。

つづく
by moriheiku | 2008-09-08 08:00 | 歴史と旅
<< 中世芸能の発生 09 神宮寺 中世芸能の発生 07 仏教思想の核 >>