身体を通して感じられるオリジンは、 ひとつは、仏教によって体系立てられた。 体感だけだったものが。 言葉にならなかったそのものが、 言葉によって、ある形になる。 また、そのものは、 言葉によって、新しい視点を持ちはじめる。 言葉に置き換えていくことは、 体感だけでは得ることのなかった新しい枠組みが 次々目の前に現れ出でる、 目の覚めるような面白さがあっただろう。 体系化、論理化することで、 深く思考された。 言葉の中で疑問が生じ、 それを思考し、定義づけし、新しい視野を開く。 そのように思考を深めながら先へ進んだ。 神道は、教義も経典も持たないそうで、 原始的な自然信仰の気配が残る。 その上に哲学的な論理体系を持った仏教が乗る。 神道あるいは古い民俗信仰、自然信仰は、仏教に覆われた。 しかし窒息することはない。 古い民俗信仰、自然信仰が、 仏教の側から、仏教の言葉で、論理化されたということだ。 オリジンは遠く生きている。 神仏習合の思想、 神と仏は現れ方が違うだけで同一と見る本地垂迹に、 齟齬はないのだ。 2008/06/22 オリジン 2008/06/23 体系化 2008/06/24 比叡山 千日回峰行 つづく ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
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