神仏習合 01



身体を通して感じられるオリジンは、
ひとつは、仏教によって体系立てられた。

体感だけだったものが。

言葉にならなかったそのものが、
言葉によって、ある形になる。


また、そのものは、
言葉によって、新しい視点を持ちはじめる。


言葉に置き換えていくことは、
体感だけでは得ることのなかった新しい枠組みが
次々目の前に現れ出でる、
目の覚めるような面白さがあっただろう。



体系化、論理化することで、
深く思考された。

言葉の中で疑問が生じ、
それを思考し、定義づけし、新しい視野を開く。

そのように思考を深めながら先へ進んだ。



神道は、教義も経典も持たないそうで、
原始的な自然信仰の気配が残る。
その上に哲学的な論理体系を持った仏教が乗る。

神道あるいは古い民俗信仰、自然信仰は、仏教に覆われた。

しかし窒息することはない。


古い民俗信仰、自然信仰が、
仏教の側から、仏教の言葉で、論理化されたということだ。

オリジンは遠く生きている。



神仏習合の思想、
神と仏は現れ方が違うだけで同一と見る本地垂迹に、
齟齬はないのだ。


2008/06/22 オリジン
2008/06/23 体系化
2008/06/24 比叡山 千日回峰行



つづく







by moriheiku | 2008-06-26 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
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