新京を建設するにあたり、木材の調達は、大きな問題だった。 思い立って、2泊で、私が行くところといえば奈良。 まず、恭仁に。 奈良に入る前に、また立ち寄った。 春に、かつて恭仁京の置かれた加茂町と木津町、山城町が合併し、 恭仁は木津川市になっていた。 恭仁京跡は、ならのみやこ平城京から北へ、 ひと山越えた山の後ろ(山背国・山城国)にある。 恭仁宮のあった場所の町名は、 現在は、京都府木津川市例幣となった。 いきなりハナシが飛ぶものだけど。 町名にもなっている“例幣”は、 天皇が神社(神)にささげる幣帛。 ヌサ、ミテグラとも言う。 本来は、さらに古い時代からのもので、 神へのささげものを言う。 百人一首でおなじみ、菅家(菅原道真)の歌、 このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに の「幣(ぬさ)」もそれだ。 旅の途中通りかかった土地。 歌の意味は、 この度の旅は、幣を用意しおりません、 幣として紅葉の錦を奉げます、土地の神様お受とりください、 というようなもの(略しすぎ;;)で。 自然の中の紅、黄の紅葉の錦が 言葉のリズムと合わさって美しい幣となって目に浮かぶ。 流されて鬱々として楽しまず、死んで怨霊となる前の。 順風満帆な頃の菅公の歌だった。 さらに脱線したままつづく。 関連日記 2006年10月28日 恭仁京と大伴家持 2006年10月29日 恭仁の家持と紀郎女 ─── <夕食> ──── ・ ・ ・ ・ ・ ─────────────
by moriheiku
| 2007-10-20 08:00
| 歴史と旅
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