恭仁京01 ヌサ ミテグラ



 
新京を建設するにあたり、木材の調達は、大きな問題だった。




思い立って、2泊で、私が行くところといえば奈良。


まず、恭仁に。

奈良に入る前に、また立ち寄った。


春に、かつて恭仁京の置かれた加茂町と木津町、山城町が合併し、
恭仁は木津川市になっていた。

恭仁京跡は、ならのみやこ平城京から北へ、
ひと山越えた山の後ろ(山背国・山城国)にある。


恭仁宮のあった場所の町名は、
現在は、京都府木津川市例幣となった。





いきなりハナシが飛ぶものだけど。

町名にもなっている“例幣”は、
天皇が神社(神)にささげる幣帛。
ヌサ、ミテグラとも言う。

本来は、さらに古い時代からのもので、
神へのささげものを言う。



百人一首でおなじみ、菅家(菅原道真)の歌、


 このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

 このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに


の「幣(ぬさ)」もそれだ。

旅の途中通りかかった土地。
歌の意味は、

この度の旅は、幣を用意しおりません、
幣として紅葉の錦を奉げます、土地の神様お受とりください、

というようなもの(略しすぎ;;)で。


自然の中の紅、黄の紅葉の錦が
言葉のリズムと合わさって美しい幣となって目に浮かぶ。

流されて鬱々として楽しまず、死んで怨霊となる前の。
順風満帆な頃の菅公の歌だった。



さらに脱線したままつづく。





関連日記

2006年10月28日 恭仁京と大伴家持

2006年10月29日 恭仁の家持と紀郎女





─── <夕食> ────







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by moriheiku | 2007-10-20 08:00 | 歴史と旅
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