自然と我 04 古代の信仰


つづき

 
森羅万象にスピリットが宿るとか、

全てに神や仏が宿るとか、

そういう考え方は、時代が下ってからものものだろう。

自と他が分離していってからのもの。




分離していなければ


教義も経典も、崇拝の対象である超越者もない。



拡散して自と他の境をなくしている時、

畏怖するものは 対象 でないから。




分離していない主語のない世界。



強い自然の中にあれば、強くなる。

自然が弱まれば、弱まる。




だから里に居て、山から木をはやしたことは、

もとは強い自然から影響を受けようということだったんじゃないかなー。


それらをこちらへも響かせよう、伝染させよう、

とした。





・2008-06-03 自然と我 06

・2008-06-02 自然と我 05 デカルト




・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型


・2009-08-30 地続き




・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚

・2009-12-10 中世芸能の発生 262 はやし 分霊


・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは

・2010-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ

・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花


・2009-12-06 中世芸能の発生 258 マナ 原始宗教




神「を」祈る 神「に」祈る
・2010-08-25 中世芸能の発生 348 神「を」祈る 融通念仏
・2010-08-26 中世芸能の発生 349 神「を」祈る イ罵(の)り
・2010-08-27 中世芸能の発生 350 神「を」祈る 神「を」祈(の)む
・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願




・2010-07-01 ぜんぜん論理的じゃないこと
・2010-08-16 中世芸能の発生 338 メモ
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感




・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす




・2010-06-03 中世芸能の発生 318 息にわがする 息のように深く






類から個へ  類感の原始的呪術的な信仰から、救済の哲学のある宗教への移行
・2011-07-20 中世芸能の発生 401 個の意識と宗教
・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば
・2010-06-25 中世芸能の発生 332 類感から魂の概念への移行 翡翠(ひすい)
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感




・2013-02-06 日本の命の概念
日本の古来の命の考え方は、
大陸から入ってきた命の考え方とは違う。

大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。
(今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。)

古来の日本の命は、
その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。

したがって昔の日本では、山にも岩にも命がある。
滝も水の流れも、風も、命そのものだ。
光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も。


ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚がやがて、
日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、
仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。

かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、
古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。

したがって日本では、
森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、
岩にも木にも仏がいるという理解になっていった。
日本の信仰の流れ。




万葉集歌
・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。



つづく
by moriheiku | 2008-06-01 08:00 | 言葉と本のまわり
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