葛城国と倭国 07


つづき


蘇我氏は、
古墳時代から飛鳥時代にかけて、
ヤマト王権の中で大きな勢力を持っていた。


やはりヤマト王権の中で力を持った紀・巨勢・平群・葛城氏などと同じ、
葛城系の豪族ではないかと推測されている


蘇我氏の古い系譜はどうも明らかではないけれど、
ただ蘇我馬子をはじめとする蘇我氏の先祖には蘇我韓子、蘇我高麗などが居り、
その名前からも蘇我氏と渡来系の人々との関係の深さを見ることができる。




日本で最初とされる仏教寺院は、飛鳥寺。
蘇我馬子建立の、蘇我氏の氏寺だ。
蘇我の血が濃い聖徳太子は、仏教をもって国を統一しようとした。


仏教の伝来は538年、
欽明天皇の時代に百済から伝わったと学校で習ったけれども。

蘇我氏、聖徳太子も、
公伝の538年以降いきなり仏教に傾倒したのでなく、

葛城国が根にあってか、
もともと仏教は近かったのだろう。




後に蘇我氏との争いに敗れる物部氏は、
ヤマト王権の祭祀を司どる立場でもあった。
物部と蘇我の争いは、そういう構図の下にあったと思われる。


ただ物部の石上からは剣(布都御魂)が出ており、
神話では剣(布都御魂)を使ったのは建御雷神。
雷の神は、武器、剣の神であり、物部は出雲とゆかりがある。
出雲とくれば安来のたたら(製鉄)だ。
雷は武器であり、水と雨。


それらを鑑みると、
蘇我物部の争いは、
単に神仏をめぐる争いということではなかっただろうが、
蘇我対物部は本論からはずれるため、今はここまで。



つづく





─── <夕食> ────







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by moriheiku | 2008-05-27 08:00 | 歴史と旅
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