つづき 日本に仏教が伝わったのは、公式には538年、欽明天皇の時代とされることが多い。 (日本書紀では552年。) これは覇権に勝ったヤマト王権の記録から見たもの。 葛城国は、ヤマト国より朝鮮半島と近しかったと考えられる。 葛城には、古いたたらの跡(和鉄の製造跡)がある。 鉄の原料は朝鮮半島南部のものだし、 葛城には渡来系の人(帰化人)が多く住んでいた。 紀の川は外国とつながっていた。 難波が大陸と京をつなぐ海の玄関となったのは、 ヤマト政権が固まってからだろう。 ヤマト政権が国々を統一するより前に、当然、大陸の文物は葛城国に伝わっている。 伝わっていたのは人や、鉄などの資源だけでない。 文字、仏教道教、暦、他の文化や宗教も伝わっていたはずだ。 日本で文字が使われたことが確認できるのは飛鳥時代頃から。 口承の伝統があった。 しかしもっともっと昔、卑弥呼の時代には、 すでに倭国は中国に正式な使者を送りやりとりしているのだから、 少なくとも弥生時代後期には、 卑弥呼とその周辺は文字を使った。 葛城に渡来の文化が伝わり溶けこむのに、充分な時間が経っていた。 つづく
by moriheiku
| 2008-05-26 08:02
| 歴史と旅
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