阿弥陀信仰 雲中供養菩薩

 
平等院鳳凰堂内部は拝観時間が決められていて、
一定人数が集まると係りの方と一緒に一斉に堂内を見学する。

自由に堂内を見てはいられない。
一度の見学者数は多く堂内を動けず、
説明をうかがいながら見ることはできなかった。
しょうがないかな。

雲中供養菩薩のうち約半数は壁からはずされていて、
数年前にできた敷地内の別の展示室に展示されている。
双眼鏡は忘れてきてしまって、お堂の中の運ちゅう供養菩薩は間近には見れないけど、
展示室の運ちゅう供養菩薩は目の高さで拝見できる。



阿弥陀堂は内部は、もとは、天井も壁も柱も、
極楽浄土に咲いているといわれる花、宝相華の絵で
埋めつくされていたそうだ。
現在は退色しており、一部分が堂内に復元されている。

これが繊細で、繊細で。
少々大ぶりな印象のものも多い仏画の五色の花のイメージを、
良い意味で裏切るもの。


阿弥陀様は阿弥陀印を結ばれ、穏やかでやわらかく優雅な姿。
奈良時代の仏の姿とは違う平安の人々の求めた仏の姿だ。


雲中供養菩薩は、一体一体、雲に乗り、
あの世へ旅立つ人々を阿弥陀如来とともに極楽浄土から迎えに来る仏たちの造だ。

楽器を持ち、阿弥陀如来を称える楽を奏で、舞を舞う。
この軽やかな姿の御仏が大好き。

なんか3Dで見えるのよね。
関節が動くのが。それぞれが指先までなよやかに動いているさまが。
奏でる音、乗られている雲のなびくさまが。




黄金に輝き阿弥陀如来を飾っていたはずの天蓋、光背、台座は、
修理のため取り外されていた。

そのため普段よりお堂の中はずいぶんがらんとしているのだろう。
それでも、このお堂は、
臨終のきわに立った時には阿弥陀様と多くの仏様が雲に乗って来迎し、
極楽浄土へ導いて下さることを願った当時の人々の思いをうつし、
その思いがあふれている。

ここは救いを求めた平安の人々が夢見た浄土の世界。
極楽浄土をこの世に表現した現世の中の別世界だ。




藤原氏。日本の歴史から切り離すことなどできない氏族。
自らの血も流したし、たくさんの血も流させてきた。

平安時代の阿弥陀信仰の流行は、末法思想の影響が大きいけれども、
それでももしかしたら一族に、罪の血の自覚があったかもしれない。
なかったかもしれない。

権勢を誇りながら、どこかで地獄に落ちると怯え、
切実に往生を願い仏にすがったことがあったかも。


お堂は今は箔も落ち色も退色している。けれども
極楽浄土にいるような気持ちになれる。
ここには、何時間でも居られそう。



阿弥陀如来による救いを願った当時の貴族らは
いよいよ亡くなる間際になると床に、
屏風に描いた来迎図を据えたそうだ。

雲に乗り仏たちが迎えに来る画。

来迎図は装置だった。

来迎図の中心に描かれた阿弥陀如来の手元から五色の紐を伸ばして、
紐の反対側の端を旅立つ人の手に握らせて、
いまわの幻を見させた。
臨終の苦痛を減らした。

送る人も旅立つ人も共に極楽浄土への旅立ちを願いながら
死に向かった。
あの世へ送った。


私は無宗教者だがどうしても手を合わせてしまう。
どうしても。どうしても。どうしても。なんで?



私が死ぬ時。
もし幻を見る余裕のある死であったなら。

その時は、一瞬でいい。
雲に乗り来迎する仏たちの姿を見たい。

まばゆい色と、多くの仏たち、
宝相華の花が匂いこの世のものでない音楽を幻に聞いて、
死に至る喜びの中に一瞬立ってみたい。

と、そう思った。
by moriheiku | 2006-11-09 08:00 | 歴史と旅
<< えむごー 攻勢編 平等院へGo! >>