明治政府のとったこの方法は、 現在、遺跡調査の面でも、多くの問題を生んでいる。 例えば出雲の神原神社古墳。 神原神社は庭荒神谷遺跡、茂岩倉遺跡のほど近くにある。 社殿下は古代の古墳だったことはもともと知られていた。 昭和40年代に、 隣を流れる河の堤防工事のため本殿を移すことになり、本格調査が入った。 そーしたら、卑弥呼が魏から銅鏡を受けとったとされる年の銘が刻まれた三角縁神獣鏡が出た。 ああ、びっくり。 日本に2枚だ。 神社ってそういうところに建てられたりしてる。 石上神宮の禁足地の調査など心情的にはびびるし正直抵抗感がある。 ただ明治に、数多くの誰のものかもわからない古墳だったものを、 むやみに天皇陵に指定していったために、 一切の調査を入れることもできなくなったのも事実。 調査できないから残念、ではない。 畑になってしまっていてもよかった。 上から塗ってつぶしたという事実こそ残念。 歴史のぼかしでもある神話よりもひどい。捏造だ。 天皇陵は、古代史とは別の、ある歴史と人間の一側面を、 逃れようもなく語りながら、目の前に存在している。 天皇陵に限らず、都合よく塗り替えられる前の素直な姿を、 いつも見るようにしたい。 あと付けでない、もともとの姿を。
by moriheiku
| 2006-10-20 08:01
| 歴史と旅
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