文章について


読みたいブログを知った。
でも、削除はされていないものの、すでに終了していた。がーん。

研究者らしく分析的で平明な文で、
なによりその人の中を通って現れた内容にひかれた。


文章がどんなにスムーズでも、緩急を作れたとしても、それは技術だ。
技術が必要な場はある。
技術がなければならない場、技術を発揮し生かす場はある。
技術のある文章は凡庸なことも最後まで読ませる力がある。

だからか、技術に長けた人は、自分の視点に自信を持っていることが多い。

技術があって読ませているのと、
内容(視点)で読ませているのを混同されていることがある。

けどこの方のブログは、
技術と内容と両方あってすごいなー。


詩やマザーグースにあるような
言葉自体を楽しむ文、言葉遊びのような性格の文章も楽しいし、
ニュースやガイドのように、事象を文字というツールに置き換えて
伝えられる文章のすごさも読みがいがある。


日記文でひかれるものは、その人の中を通って現れたものが見えるもの。
それが文章の中から匂うように見えると、
読みづらくても、つたなくっても、がんばって読みたくなる。

書き手の我を見たいってことではなく、

自分というものをむしろ下に沈め、上澄みだけを残したもの、

一度その人の中を通り抜けてろ過されたものに心が動く。
我を沈めても“まんま”とはちがう景色が見える。



今日知ったそのブログは平明な文体で、
文章は、書き手をあらわす透明ながっしりした支えのようで。
より内容とその人らしさが浮き立っていた。

なにか、打てば打つほど屁理屈的に。限界ー。

私もものごとを説明できることばが組み立てられたらいいのになー。


ただ、すっと心に入ってきたの。
その人を通ったものが。
良いと思った。
by moriheiku | 2005-12-18 08:04 | 言葉と本のまわり
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