消防車 忠義 桜



母方の建物は古く、今も広い土間がある。
その土間の一角に、大型の古びた箱型に車のついたのものがもうずっと置いてある。
あれは何と聞いたら、
母が子供の頃にはもうそこにあったそうだ。
それは昔の消防車のようなもの。
大きな箱型の中に水を入れ、手押しの柄で水が出るしくみ。

母によると
あれが前回動かされたのは、江戸から明治に移ってそうたたない頃。
幕藩体制がなくなり新政府がはじまって、当主はここ地元に戻ってきていた。

ある日江戸(東京)で大きな火事がおきていると聞いた当主は、
江戸が、お上(かみ)が大変だと、
すぐに消火のためこの手動消防車?を押して江戸(東京)に向かったそうだ。

「行くまでに、火、消えてるって!」(私)

当主は○○街道を江戸へ向かった。

「舗装してない道を、この車輪(木製)で!」(私)

「そうそう。○○峠も越えてね。そのあと○○も越えなきゃいけない」(母)

ここから東京は遠いの。
箱型の中に水が入っていない状態でも、押すにはかなり重いだろうこの昔の消防の車を。
何日かかかるだろうに。何人で行ったの。一人?

けれど街道の途中○○あたりで、江戸(東京)の火が鎮火したことを聞きおよび、
当主はそこから引き返してきたそうだ。
また消防の車を押して(あるいは引いて)。

屋敷に戻った時、消防の車は土間のその位置に置かれた。
以来ずっとそこに置かれたままだって。長っ。


もとはこの周囲に火事がおきた時、消火に使うため用意された。
以降動かす必要のなかったことは幸い。

今となっては笑い話のようなかなしいような顛末を聞きながら
「アハハハハハ」と笑ったけれど、

それは現代の私ののほほんとした感覚だからってことも、同時に感じてる。


当時の忠義の心のせつなさ、まっすぐさを思う。
結果的に長く戦がなかった江戸時代、
歴史の本や情報で当時の断片を見ると、
お城勤めばかりでなく日頃は畑を耕したり内職をしたりして日常を過ごしていた武士たちでも、
心身と技を鍛えることをやめておらず、
武士とその家族も、いざ何かが起きた時には、
身を捨てる覚悟があったことを思う。



桜の花は、

春の農耕の開始と、良い実りへの期待と結びつき、
満開のめでたさであり、
流れる時の一瞬を生きて死ぬ、くりかえし流転する、人やものの命と重ねられ、
武士においては、表に出さない覚悟の花でもあり。

桜は時代を生きた人々の思いと結んで、多くのモチーフになってきた。

桜の原産地はどの国かで桜の文化の起源や優劣を競い言い募るなど、
文化とは何かの実感のまるでない、ピントの外れた行為だ。




江戸や明治の人たちは、
中でも年配の方々の口から聞けば、ほんの数代前。
昔のおとぎ話の登場人物でなく、隣で息をして、
笑ったり食べたり悲しんだり、日常を共にした人たちの話は、
今生きている人のことを話すのと変わらない、生きた人々の息吹きがある。




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