クスノキ

上までヤマフジが巻き付いて、
今時期は木の表面にたくさんのヤマフジの豆が下がってる
大きなクスノキを見上げた。

立派なクスノキ。
無数の葉を濃い緑に茂らせているクスノキ。


この木の前でこの木が立派だと感じるのは、
ヤマフジのような別の木に体を貸すことに犠牲や奉仕を重ねるからではなくて、

まず、ただただ、
ねじれのある太い幹、大きく張った枝
無数のつややかな葉をつけているクスノキに、命の力の発揮を浴びる心地だから。

立派だなあ。すごいなあ!

感嘆するし、圧倒的なすごさにこわくもなるよね。



樹木の多かった日本では、
巨樹は、命の力の発現そのもので、
人は巨樹に、圧倒的な祝福感と畏敬の念を抱いてきた。

宗教が形作られていくと、
こうした特別な木には標(シメ)を張って祝うようになっていった。

このパターンはもちろん巨樹に限らない。
今も自然物を対象にして多く見られる。




私たち(日本人)の信仰の根元は、
教義から始まっているのでもないし、
タブーから始まっているのでもない。
教祖から始まっているのでもない。

取引がはじまりでもなく、約束がはじまりでもなく、
ただただうした自然の実感が根元にあって、

それに社会性や形式、様々の宗教の衣をまとって分岐していったものが
いまに至るまで古来の日本の信仰のかたち。



あちこちでこうした木々に穴をあけて、
薬剤を流しこみ枯らす思いは何だ。
by moriheiku | 2013-08-13 08:00 | 歴史と旅
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