梵鐘の国



礫川全次さんが、
高田保馬の歌と、
同じく高田保馬の大戦末期の金属の供出によって除夜の鐘が聞けなかった話を
紹介されていた。

戦争中は大寺でも鐘の供出はまぬがれず、
近隣の鐘の音の他に、
大晦日の夜の除夜の鐘の放送がなかった時期があったそうだ。

各地の除夜の鐘の音を継いで放送することは、
戦前からあったことを私ははじめて知った。
考えてみたこともなかった。

(現在の『ゆく年くる年』の中に聞く鐘の音のようなものだろうか。)
思えば、それは、
現代より戦前のほうがふさわしかった。



礫川さんがブログ記事で紹介された高田保馬の文によると(※)、

“数年まへまでは大晦日の晩、除夜の鐘の放送があつた。私も其夜には、各地から送らるる放送の鐘の音をきく為に深夜まで本をよんでゐた。年の少い子どもたちを間際になつて起しもした。足許〈アシモト〉の知恩院のかね、百万遍のかね、遠くは上野寛永寺、長野の善光寺、近江の三井寺、越前の永平寺など方々の鐘の限りもない音色が次々に伝へられて来るのを、緊張弛緩の感情の波をうねらせながらにきいてゐた。”


“仏教の信念がどれだけ実生活を支配してゐるか、それにはいろいろの見方もあるであらう。けれどもかつてのその隆昌の形は今もなほ、此鐘の音に残つてゐると思つた。しかしふりかへつて見ると、日本の全国が一面からいふと鐘の国であり、仏教の国である。”


戦争が終わって70年近くたった。

今、戦争による鐘の供出がなくても、
人々から鐘の音は遠くなった。

仏教からも、
天(あめ)の下、国土と人々の隅々まで満たす除夜の祈りからも、
静かに鐘の音を聞く敬虔な心持ちからも、
遠くなったんだろう。


何事もなければ数百年はほとんど変わらない音を鳴らす鐘。
戦争と、人の心の変化と、どちらが鐘の音を消すのかなと思った。


(※)1/31 どなたの引用かわかりずらかったかと思い少し追記いたしました。




・2012-12-20 梵鐘の音 除夜の鐘
代々寺院の梵鐘を作ってこられた鋳物師の方が、
つく鐘の「ごーーー~~~~~んーー…」の音は、
仏の御恩(ごおん)の音を連想されるような音にとおっしゃっていた。

古典を見ると、梵鐘の音は、
清らかさの極まる音として日本人の耳に響いてきたようだ。




梵鐘の響きと無私
・2013-01-10 中世芸能の発生 450 除夜の鐘 清め祓い 大乗の音
かつては、
年の明ける前の大晦日の夜に、
清らかな除夜の鐘の音を隅々まで響かせて、

自然も土地も(国土草木)人も清まって、
新しい年を迎えようとしたこと。

それは古来の習俗からやがて神道につながった祓い清めの意識であり、

仏の御恩を国土に満たそうとした日本の仏教の、
大乗の意識でもあり。

しかし現代では、祈りはごく個人的なことがほとんどで。

他者や自然を祈ることは、個人を祈ることと同じことだと思うのだけれども。

どこへいってしまったんだろう。

除夜の鐘の音に、かつてあった、大乗の意識を聞いていた。




・2012-12-19 中世芸能の発生 449 類感とダジャレと伝統文化
梵鐘の音に聞く、日本人の類感的思考。
by moriheiku | 2012-12-23 08:00 | 音と笛のまわり
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