水の輪



もうとてもここにはいられない、
どこかに行かないと。

帰りかけたけど、取って返した。


どこに行ったらいいの?どうしたらいいのかぜんぜんわかんないけど、
もうここはむり。


ぱーーーっと取って返して、
何が出るか分からないまま、口から出てくることばを言った。

ちゃんとお礼は言えなかった。

次の時にと思ったけど、めんどくさそうにされていて、
どうでもいいんだろうなと思った。




先月のニュース、南海トラフの揺れで、32万人死者の出る可能性とのこと。
震源別の津波到達予測の動画を見た。
私の住んでるあたり、真っ赤っかー(高い津波予測)。
とても助かるとは考えられない。
けど今更なので急にこわがることもない。

ここで学んだことの実りは、私を少しづつでも成長させて満たしてくれたし、
育ててくれたここで生きここで死のうという感じだ。


しかしもう一度、そうした気持ちを新しくすることは、
心の池に軽い小枝が落ちたような感じで、
水の輪が広がる心地。

水の輪は、色んな方向をちょっとづつ動かす。


ささやかなこの水の輪は、たいていは、
ことばにならないような毎日の実感の新鮮さや力を
見せてくれてることにつながってるんだけど、


中には波紋はネガティブなことにも及んでいて、たとえば、
ある人が、自分はここで自分を吐き出してきたからこれからもここで吐き出させろ、
というようなことを言ってこられたことがあったけど。

そうした寄りかかってくる厚かましさの噴出も、嗅ぎたくない、
(汚れを吐き場所にされるがわにとってその理由のどこに正当性があるのか理解不能)
と、はっきり思ったし、

善人のふりをして、生々しくかもし出されるいやらしさに接するのも、
もうごめんだ、とか、

世界人口70億人分の1人とはいえ、
その人のかもしだすものと接するのは私はいやなんだな、

なんてことも、思った。


こうした自分の汚さを見るのはいやなことだ。
しかしいいこともあった。
同じ場所にはとても居られない、と感じさせてくれた点ではよかった。




これからどうなるのかさっぱりわかんない。
どこへ行くのかもわからない。
悪い方向かもしれない。

それでもただ、動かなきゃいけない気持ちを作ってくれたことはきっとよかった。



どんな方向へ行くにせよ、

真っすぐな気持ちで、
興味のあることへ向かうことができる。

かけがえのないことだ。
by moriheiku | 2012-09-03 08:00 | つれづれ
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