中世芸能の発生 441 八つ墓村 フォーク 伝統芸能



つづき


BSで横溝正史シリーズの再放送がされているのを、
録画して見てる。

数十年前のドラマシリーズで、
主演金田一耕助役の古谷一行さんがつるつるしてる。

故人も含め今も馴染みのある役者さん方が大勢出てたのね。

原作と違う個所もあるけど、
例えば『犬神家の一族』一作だけでも五話完結で、
横溝作品の多さから、まだまだ先は長いぞーって楽しみ。


今そのドラマシリーズの『八つ墓村』を見てる。

『八つ墓村』には妙蓮という人物が出てくる。
村人からは濃茶の尼(こいちゃのあま)という通称で呼ばれている。
(同じ尼と付いてもお寺の梅幸尼さんじゃないほう。)

濃茶の尼は三十年近く前に家族を殺されて以来、
少し精神をおかしくしてしまった。
一連の事件を八つ墓明神の祟りじゃと言う。


この濃茶の尼の服装は、白装束に杖を持った巫女姿だ。
髪は蓬髪。胸に大粒の数珠を懸けて、杖を持ち、薄汚れている。
中世の絵や浄瑠璃、説経節の中にも出てくる巫女たちの姿が思い出される。
大社(神社)に定着した巫女でなく、放浪の、道の者である巫女たちの方に近い設定。

現代では巫女の装束は、白い衣に緋(赤)袴姿を想像されることも多いと思う。
この作品を書いた横溝正史の時代(昭和前期中期頃か)には、
濃茶の尼ような巫女的人物の姿の記憶が、人々の中にまだ生きていたのだ。
またこのドラマが作られた時代がずいぶん前ということも関係しているのだろう。


聞いた時は驚くけれど、年配の方々のお話を聞くと、
昭和の前半には、祈祷する拝み屋さんだったり
祠を祀る人だったりして生計を立てているこうした女性は、
町や村に一人くらいはまだ居たのだ。
なんというか少々あやしげというか、常民に軽視されている、
しかしそこの一員である人。

『八つ墓村』はこれ以降も映画やドラマになった。
しかし濃茶の尼は装束も含め原作のイメージから離れ、無用にイメージを膨らまされて、
もとのリアリティーを失っていった。

肌に近いリアリティーが横溝作品を面白くしていると思うので、
濃茶の尼を「祟りじゃ~」と叫ぶキャッチーなアイコンとしてだけで使うことは残念。


妙蓮、濃茶の尼という名前。
南無妙法蓮華経、尼。
仏教的に聞こえる名でも、濃茶の尼の装束は巫女姿であることは、

ずいぶん古い時代からの民俗信仰における巫女的性質を帯びた、
あるいはそれを期待された女性の系譜そのまんまだ。


濃茶の尼の宅へ金田一耕介と警部が入る。
電灯が付いたままだから濃茶の尼は昨夜のうちに殺されたとみられる。
日本刀で刺さったまま絶命している濃茶の尼の後方に祭壇がある。
祭壇には紙垂が下がった標がわたされており、神前に供え物と榊が見えた。
天井にわたされた縄には髪の束がいくつも吊るしてあった。彼女の呪具のひとつ。

濃茶の尼が首に下げている長い数珠などに見えるのは、
はるか昔列島に広く行われていた、
命を活発化させまた鎮める行為であるタマフリにつながる原始的な民俗(習俗)と
その素朴な呪術の展開、
そこに道教など大陸の呪術が重なり、仏教が重なりしてきた道のりだ。


巫女の系譜は記録に残るところでは卑弥呼からということになるけれども、
もちろんそれ以前から広くあった習俗(民俗)だ。
この列島に広く行われた信仰、巫女の習俗は歴史につれてどんどん分岐し、
細分化していく。
遊女、采女、官女、斎宮、
(神聖な場所に社を建てて神を定着していった後は)宮(社)付きの巫女、
傀儡女、白拍子、歌比丘尼、占や祈祷をする歩き巫女、八百比丘尼、他々。

卑弥呼の時代から随分時代も下ってからの記録も多い高級な巫女としては、
皇祖神、伊勢の神(天照大神)を身に付け、
御杖代となって放浪した倭姫など、多くの巫女が挙がる。

それより他の、所属する社なく祈祷呪術占する放浪の、道の者となった多くの巫女は、
小さな箱に自身の信じる神となる形代を入れて歩いた。
仏教が広まり巫女にも仏教の習俗が入るようになると、
巫女たちの持つ神の形代は仏にもなり、
巫女たち自身も仏教の名を持つようになっていった。



昭和に撮影された横溝小説の、濃茶の尼の姿形は、
仏教の尼というよりは、神道の巫女というよりは、
昔からの、常民とは異なる立場の者である印だ。

民間信仰(民俗信仰)の系譜の人々の実態は、
純粋な仏教者ではなく神道の人でもない。
(まして国家神道の人であるわけがない。)
ただ神聖(とうの昔に賤しいとされていたけれども)であるということが
その骨にある。
(小説の筋とは関係ないけど、
正式な寺の尼僧である梅幸尼との対比が興味深いわって思ったことだ。)


遊女(遊行婦女)、傀儡女、白拍子、歩き巫女、占する女性たち、
巫女の装束をして小栗を乗せた山車をひいた浄瑠璃の『小栗判官』の照手姫のような女性たちが
どういう立場の人々であったかは、
ごく近年の横溝の濃茶の尼からもたどられる。

斎宮や、氏の神を祀る氏族の女性たち、額田王のような立場の女性、
猿女君、桂女、官女、女房、
古代の倭姫や、もっと古い時代の巫女的人々のありようも。

そうした古来の巫女的人々の立場の変遷と凋落も。


濃茶の尼が特におそれ信じているものは八つ墓明神。
明神という民間信仰と神道と仏教の習合したものであることは、
あたりまえだけれども、いかにもこうした人物らしいことだ。

小説が書かれた当時は。自然にそれが書かれて、
当時の読者たちはそれを何も違和感なく、当然として受け入れていたことに、
横溝の執筆当時の社会には巫女的立場人々の命脈が
現実としてまだほのかに生きていたことが見える。





日本の宗教というと、
現在は仏教と神道のふたつが代表に挙げられる。
現代では民間信仰(民俗信仰)はなぜか忘れられがちだ。
(身の回りにまだまだ生きているのに)

しかし私は、やはり日本の宗教は、
民間信仰(民俗信仰)、仏教、神道の三つだったと思う。

中でも民間信仰(民俗信仰)は、
古来途切れることなく、生活の深部に広く生きてきた。

民間信仰(民俗信仰)は、体系化された神道の一部に昇格もし、
仏教と融合して仏教の一部になった。その逆もある。
神道や仏教の名を得て、塞の神が社に祀られる神になったり、
それが地蔵に変わっていったり、虫やらいや松ばやしの風習になったりと。
そのため民間信仰(民俗信仰)は、仏教や神道と思われていることもある。

民間信仰(民俗信仰)は
信仰の土壌を失って消えていったものが無数にあるけれども、

それらは生活に近い、命にごく近いものだから、
消滅しきらず現代まで生き延びてきた。


それは、フォーク folk 。



伝統芸能は、芸術になって、
個人の芸に夢中みたいに見える。

スポーツとしての相撲のように。


それが現代のあり方なのだろうと思うし、
もちろん個人の芸に胸を打たれたりもするけれど、
私自身は、個人の技や力量を帰着点にする見方に興味がない。



私は、古いの芸能の中に、
この土地に、無数の命をくりかえし、長い時代の隅々にまで根を張ってきた、
血のような水脈とその源を、ただ聞きたい。





・2009-07-28 中世芸能の発生 180 古代の女性の宗教的側面
・2012-06-30 中世芸能の発生 436 近代までの女性の聖性の水流について

・2012-06-30 中世芸能の発生 437 卑弥呼 巫女 猿女 斎宮 遊女 女房 比丘尼 静御前 出雲阿国 親鸞の妻
・・・インドの仏教では成仏しないとされる女だけれど、
日本で最初の正式な出家者が渡来系の司馬達等の娘であったことは、

司馬達等の家系が渡来系で大陸の仏教と親しかったことと併せて、
日本の古来の習俗である、たとえば天皇の娘である斎宮に象徴されるような、
氏の神など祭る巫女的立場の女性のような女性の立場があいまって、
仏に仕える神聖な者として
娘がふさわしいとされた部分があったのではないか。

卑弥呼は、特別なたった一人の巫女的人物だったのでない。
それ以前もそれ以後も多くいた巫女的立場の女性たちの一人。
記紀神話の天鈿女命(アメノウズメノミコト)は、かつて無数にいた彼女たちの象徴。

卑弥呼について語られる時、女性の天皇について語られる時、
なぜ無数の彼女たち女性の流れが一切語られないのだろう。

現代のここから歴史をふりかえる時、これほど連なって見える無数の彼女たち。

それは、はるか遠くからごく近年まで、
分断しないひとつの水流であったのに。




杖の神聖
・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗
漂流の、歩き巫女たちの椿の杖。物詣の装束の杖。お遍路の杖。お能の弱法師の、盲目の杖。仏塔の心柱。神宮の心柱(刹柱 真柱)。天の沼矛。ひもろぎ。金剛杖。錫杖。

柱や杖にある(あった)神聖は、
古来の原始的ともいえる横溢する樹木の生命力の神聖で、
時には、サチ(獲物の生命力)を獲得したような強い力の道具のイメージや、
みあれ・ヨリシロといった神の概念、渡来の柱・杖の概念、
かつて王門に立ち並べた聖標の面影や、仏教教思想などが重ねられていったものだと思う。
その時々で、最も強く出ている表面の意味は変わるけれども、
底は共通している。






民俗芸能。伝統芸能。

血のようだ
・2010-05-10 中世芸能の発生 305 勧進と芸能

・2011-01-10 中世芸能の発生 377 突端の花




・2012-09-01  国と民俗 自然風土



関連リンク後で張り直し



つづく
by moriheiku | 2012-08-02 08:01 | 歴史と旅
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