中世芸能の発生 433 太い水流


つづき


何年か前のある禅僧の方のインタビューを見た。


インドで生まれた禅が東へ伝搬したルートは概ね二つある。
大陸の南側を通ったものと、大陸の北側を通ったもの。

日本の禅は、大陸の北側を通って伝わったもの。

インドの仏教は各地の信仰や文化と混ざりあいながら世界へ広がった。

日本に伝わった仏教や禅は、
昔の中国や朝鮮半島の国々などの文化や思想の混ざった仏教で、
それが日本に来て日本の文化風土と混ざって育ち、
日本の仏教になった。

チベットの仏教には、やはりチベットに根付いた仏教のありかたがある。



禅は究極には、心を自由に保つこと、ではないかなと思うけれど。


禅の状態に近づく方法として、日本では、
日本人にとっては馴染みの背筋の通った座禅スタイルが代表される。

現在中国の座禅は、時にはうちわをあおぎながらゆったりと座り、禅に近づく。


インタビューでお話されていた禅僧のお坊様は、
アメリカで禅の普及につとめられた方。

お話によると、
アメリカの禅(ZEN)は日本からアメリカへ伝わった禅で、
日本の禅と兄弟の禅なのだが。

日本の禅が仏教(宗教)とワンセットで、
いわば出家や僧侶の禅であったのに対して、
アメリカの禅は出家や僧侶ではない一般の人々にとっての禅であること。

そこに、禅の可能性をご覧になっている。

禅と宗教が重なっていた日本ではついに為し得なかった禅というものを、
アメリカの禅が実現してくれるのではないかと期待している、
とお話しされていた。



この禅宗のお坊様は、
禅の本当に深い場所、本質をご覧になってお話されているのだと思った。

ご自身の宗教にも知識にもとらわれない、

禅そのものをごらんになっているのだと思った。





中世からの宣教師の記録に見るように、
日本の仏教では、
キリスト教の神も異国の神も仏や如来の化生(というか仮の姿)と考えてきたところがある。
(神仏習合もそうした考え方のひとつ)

ただ一つの神を信じる宗教の人々にとっては許しがたい解釈だろうけど、
ともかくそういう考え方はされてきた。

こうした考え方は仏教に限らず古来の信仰にも見られる。

何かのあらわれとしての仏、
何かのあらわれとしての神々、
何かのあらわれとしての草花、
何かのあらわれとしての様々のもの。
という視点。

喜びや悲しみも、何かのあらわれの上に咲いて散る花とする。

時々に対立はありつつも、
何かのあらわれとしてのものの姿であるということは、
いつの時代もどこかで意識されてきたのだと思う。


神仏習合が
どちらかを低く見ることにつながった部分があったのは残念なことだったけれど、
姿の奥のそのものにおいて高低などない。

許しと相互の尊重にもつながる考え方と思う。

そして、
とらわれのない心の自由にもつながる考え方と思う。






私達は、自分達の生きる時代におけるある物の意味を通して、
いつもその深い底に、本来の性質に、
流れつづけている太い水流に、
常に触れているのではないだろうか。
そこにふれて、心身は動く。
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷




・2008-09-26 水波之伝
このお能の作者が最も心を動かしているのは、
山神でも楊柳観音菩薩でもなく、
作者の心を動かしているのは、
峰の嵐や 谷を駆け下る水の音、滝の音だと思う。
それはきっと古い芸能の根元だと思う。





私も深い本流を見ていたい。







西行や作仏聖の心象。

木や石や土の中にもともとある仏を彫り出すあるいはとりだす。
自分が仏を造形するのでなく。
・2009-08-17 中世芸能の発生 188 作仏聖 円空 棟方志功

うつろうものの奥の仏法を詠み出す。
一首詠み出でては、空の中に一体の如来の形を造る思いをする。
・2008-12-16 本来空





つづく
by moriheiku | 2012-04-07 08:00 | 歴史と旅
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