中世芸能の発生 400 遊び 神楽 



つづき


昔、神楽(かぐら)はあそび(遊び 神遊び)と呼ばれていたけど、
この頃よくわかることだ。


万葉集や古い詞章の語に見る神聖とは、
生命力の横溢する状態。生命力の強いもの、こと。

昔は、わくわくして心身が楽しいことは、命をわかせて命を活気づけ、
生命力をよみがえらせること。
と考えられていた。



古事記、日本書紀など神話に有名な、
天の岩戸の前でアメノウズメノミコトが滑稽な踊り(神楽)などした記述があるけれど。

足を踏み鳴らし踊り騒ぐなど、にぎやかなことや滑稽なことなどするのは、
命をわかせて命を活気づけ、
天岩戸にかくれたアマテラスオオミカミの生命力をよみがえらせること。

広く行われていた古来の習俗・思想が、
神話に象徴的に語られていると思う。



祝福も、滑稽な芸も、
心身をわかせゆさぶり、生命力を活気づけるたまふりという意味で同じもの。

自然のイを神と概念する神の概念ができてからは、
それらは神を喜ばせる法楽とも考えられるようになった。

動作の大小の違いはあるけれど、
祭礼のおみこしと同じようなもので、
神の力と関わる人々の力を活気づける。

高足などの曲芸、流鏑馬や、目を見張るような才気(これも芸のうち)も
やはり同じく心身をわかせるもので、
こうしたものが祭礼で神仏に奉納されてきたこともうなづける。




世阿弥の『風姿花伝』に、

天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、天下常闇になりしに、八百万の神達、天の香具山に集まり、大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を始め給ふ(中略)、その御声ひそかに聞こえければ、大神、岩戸を少し開き給ふ。国土又明白たり。神達の御面、白かりけり。其時の御遊び、申楽(さるがく)の始めと

天の岩戸の天鈿女命(あめのうずめのみこと)のした「遊び」が
申楽(猿楽・能楽)のはじめと書かれた文がある。

世阿弥の生きた中世期は、
芸能の始まりはそう考えられていたと思われる。


この記述は、
その頃にはすでに賤視の対象ともなっていた滑稽な側面をもった申楽の、
由緒を正統付けるための記述でもあったと考えられるが、

これに先立つ平安期、今様の『梁塵秘抄口伝集』に、

神楽は、天照大神の天の岩戸を押し開かせたまひける代に始まり

ともあって、少なくとも平安期から中世にかけては、
芸能のはじめが天の岩戸の天鈿女命の「遊び」と考えられていたことがうかがえる。

つまり、古来のたまふりの祝福、同じく滑稽な芸や巧みな芸など、

心身をゆさぶり生命力を活気づけ再生させる呪術的意識のともなった
たまふりのあそびの行為が、
日本の古い芸能のはじまり近くにあったと思われる。




古くは巫女的立場であった遊女(あそび あそびめ ゆうじょ)たちが
現代に思う意味での遊女になっていった過程は「遊び」の水流。
「遊び」の意味の変遷と同じ。


江戸の遊女が、
自分たち遊女のルーツは天鈿女命(あめのうずめのみこと)と言っていたことや、
戦前くらいまであった正月の祝福の芸や滑稽な芸の風習からも、

遊び、祝福が芸能のはじまりないし根底にあるという認識は、
長く保たれてきたようだ。

しかし今では
そのことにさっぱり目を向けられないのは残念なことだ。


申楽(猿楽・能楽)の世阿弥の『風姿花伝』においては、

推古天皇の御宇に、聖徳太子、秦河勝に仰て、且は天下安全のため、且は諸人快楽のため、六十六番の遊宴を成て、申楽と号せしより以来、

ともあり、天下安全、諸人快楽の祝福と快楽をするのが申楽。
祝福、遊びをするのが申楽と書かれた。

ここの記述はよく取り上げられているけれど、なぜかここから、
申楽のルーツを聖徳太子、秦河勝に求めるものがほとんどみたい。

私は、こうした名前は、
中世期にかけて盛んに行われた故実を言う行為、
物事の由緒の正統性を意味づける行為の典型のひとつであって、
(中世神話の改編と同じ)

名前が意味を持たないわけではないけれど、
こうした名前はある意味契機や象徴や権威付けであって、

この部分の記述の核は、
身体に響く「天下安全」「諸人快楽」の方だと、私は思うけど。

「天下安全」「諸人快楽」それは、
ことほぎなど祝福と快楽、
つまり命を活気づけ、生命力をわかせる、
古くから広く行われてきたたまふりの「あそび」だ。


申楽のルーツを求めようとされる方々は、
なぜ聖徳太子、秦河勝の系譜ばかりを追うのだろう???

それはその時代の形であって、
底に流れる水流は、
別の箇所にアメノウズメノミコトの遊びとも書かれているように、
古来行われてきた、天下安全、諸人快楽につながった
古来の身体に響く「あそび」の習俗が本流だと思う。




あそび(遊び)。

記紀に記録される頃には複雑化し
さまざまに意味付けされる前のそれは、

音に自分の身体が響くように、
自然と人の結びついたところに生まれる、
心身に感じる素直な、素朴な感触と実感だったと思う。



あーん進歩なさすぎ。私。

何も知らなかったから仕方ないけど。

「あそび」ひとつにも、
すごく時間がかかちゃう。





・2009-08-01 中世芸能の発生 182 芸能の始め



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イノチを活気づける共感  花見 (山見、鳥を見ること、国見) の習俗
・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙)


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・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応


・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み


あそびの伝統 遊女(あそび) 巫女
・2010-12-12 中世芸能の発生 376 遊びをせんとや生まれけむ


・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
・2009-12-09 中世芸能の発生 261 たまふり たましづめ 鎮魂


・2010-12-01 中世芸能の発生 368 今様



『万葉集』に見る古代における神聖とは、
生命力の横溢。生命力が強いもの、こと。

・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは



・2010-12-01 中世芸能の発生 399 九州新幹線全線開通 祝福



「遊び」の奉納。
神仏をよろこばせたり脅したりして活気づけることで、霊威の強い発動が期待された。
そして、強められた霊威によって、人々の願望が成就することが願われた。
身体感覚の呪的・宗教的展開のひとつ。
・2010-06-15 中世芸能の発生 324 後戸 後堂 しんとくまる




・2008-08-13 「ほ」を見る。



天岩戸の前でアメノウズメノミコトが手に持った採り物について
・2011-04-19 中世芸能の発生 387 桐の花 自然という底流
神話のアメノウズメノミコトの採り物って結構時代が新しいものも混じる。
新旧入り混じっていて時代の変遷を感じられて興味深い。
鏡とか、金属だし。





・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。




・2013-02-06 日本の命の概念
日本の古来の命の考え方は、
大陸から入ってきた命の考え方とは違う。

大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。
(今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。)

古来の日本の命は、
その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。

したがって昔の日本では、山にも岩にも命がある。
滝も水の流れも、風も、命そのものだ。
光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も。


ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚がやがて、
日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、
仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。

かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、
古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。

したがって日本では、
森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、
岩にも木にも仏がいるという理解になっていった。
日本の信仰の流れ。



つづく
by moriheiku | 2011-06-19 08:00 | 歴史と旅
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