中世芸能の発生 398 今様即仏道 命の際(きわ)



つづき


こうして後白河院は『梁塵秘抄口伝集』巻第十で、
十重二十重に、自身の今様の価値を語る。


それでも私は、
後白河院が院自身の今様の追及を仏道になぞらえていることに納得はできない。

「法華経八巻(やまき)が軸々(ぢくぢく)、光を放(はな)ち放(はな)ち、二十八品(ほん)の一々の文字(もんじ)、金色(こんじき)の仏(ほとけ)にまします。世俗文字(せぞくもんじ)の業(ごう)、翻(ひるがへ)して讃仏乗(さんぶつじょう)の因(いん)、などか転法輪(てんぽふりん)とならざらむ。」

一心に今様をすることが仏道となる。
今様をすることは、迷いを断ち極楽往生を叶えるものだ
という理解につながる有名な一文。

今様即仏道。

当時の人々が盛んに行った価値の転換が、ここにも結ばれる。


“世俗文字の業、翻して讃仏乗の因、などか転法輪とならざらむ”
狂言綺語(※)である文字の業を、
仏法を讃えるものとし仏法に至る契機とするという白楽天の詩をして。




後白河院は傀儡女(くぐつ)、遊女(あそび)と親しく交流した人だけれども、
梁塵秘抄口伝集で以下に言う、

“遊女のたぐひ、船に乗りて波の上に浮び、流れに棹をさし、着物を飾り、色を好みて、人の愛念を好み、歌を歌ひても、よく聞かれんと思ふにより、外に他念なくて、罪に沈みて菩提の岸にいたらむことを知らず。それだに、一念の心おこしつれば往生しにけり。まして我らは、とこそおぼゆれ。法文の歌、聖教の文に離れたることなし。”

遊女の類は、船に乗って波の上に浮かび、流れに棹さし、着物で着飾り、表面的なはなやかさを好み、男の愛情を求め、歌を歌っても、うまく聞かれようと思うばかりで、他には思いいたさず、罪に沈んで仏の悟りの岸に至ることがない。そのような者であるのに、今様で一念をおこせば極楽往生が叶う。まして私は、極楽往生しないはずがないと思う。法文歌(※広く仏法を歌う今様)や経典の文言から離れたことがないのだから。



これは平安の当時すでにあった遊女たちへの賤視のあらわれだろう。


私は、
後白河院は、自分を騙し切れただろうか、
と思う。


なぜ後白河院は『梁塵秘抄口伝集』巻第十で、
十重二十重に自分の今様の正統性、
自分の価値を語らなければならなかったのか。


巧みに言葉をつくし語った自分の正しさを
人は丸ごと信じると、
院は信じきることはできただろうか。


鋭い批評眼を持ちながら、
院は自分自身への疑問は持たなかったのだろうか。



『梁塵秘抄』の歌謡集に収録された今様歌や、
いくつかの書籍に断片的に記されて現代まで残った今様歌。

澄み上るような歌声だったというそれらは、すでに声ではないけれど、

当時生きた遊女や傀儡女が歌い歌いして、
時に応じて歌い替えしながら自分自身のものにしてきた歌は、
今は文字ではあるけれど、美しく苦しく胸に響いて聞こえるようだ。


後白河院は、大変巧みに素晴らしく今様をされたのだと思う。

しかしこの人は命の際(きわ)にいない人だ。

いや、人は誰でも命の際に立っているのだが、
後白河院は命の際(きわ)にいる自覚を持たない人だったと思う。
幽閉脱出幾度も目に見えてその際(きわ)に居たのに。


仏教では罪であった狂言綺語の文字技や芸能も
仏の道につながることができるのだ、という
こうした価値の転換は、

仏教思想において罪の人々となった
救われない命の際(きわ)の自覚に居る人々にとっての、
やむにやまれぬ救いの道であったはずだ。



今様の歌詞の文字の中に残る遊女の声は、
罪の自覚、命の際(きわ)の輝きとなって心の水を揺らす。


梁塵秘抄の口伝集にそれはない。

後白河院は仏法に自身の今様を重ねながら、
最後まで今様と自分の流へ執着している。


思想を都合よく使い我執を飾り正当に見せる努力に見える。
それこそ狂言綺語に見える。



院は、自分の欲を仏道になぞらえることで、自分を騙しきれただろうか。

自分は罪の対岸に居るのだと、とすっかり信じきれただろうか。


口伝集の中に見える欲を飾り立てて蓋をするより、
我欲を自覚し、欲の道を歩くことが、
仏につながる道ではなかったかと思う。


後白河院によって『梁塵秘抄』と今様歌の輝きの断片は残った。


ただ、院が、
ご自身のことば通りに迷いを断ち、悟りと往生に至るその方法は、
それほどに執着しつづけた今様と、自分自身への執着を捨てることだったと思う。





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即ち仏徒であるということの、根拠と自覚のことばだ。
この歌は、当時の、矛盾の中に立つ多くの人々の願い。




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by moriheiku | 2011-06-09 08:00 | 歴史と旅
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