中世芸能の発生 392 檜を使ってきた歴史 狂奔




つづき


檜(ヒ ヒノキ)は、
庶民の家屋や燃料としてではなく、
宮(宮殿)や寺社といった宗教性を帯びた高級で大規模な建築の建材として
多く用いられてきた。

檜は建材として優秀で、木の質が日本人の好みによく合う。


建材として使われた檜の出土の推移を見ると、
金属製の道具の登場と普及によって檜の伐採加工が容易になった頃から、
建材としての檜の利用が一気に増したような印象がある。

他の自生する木同様、檜の性質はそれまでに知られており、
記紀にも宮(宮殿)は檜で建てることと記されることとなった。
当時の人々にとって、最高のものを使って建てる、ということだっただろうと思う。

まだ政治と宗教が溶けあっていた時代だから、
物(例えば檜も)にある優れた性質は、
それ自体強い力でありめでたいものであるという意識が重なって、
そのような物を使うことで使う人にその効果が及ぶことが期待されていた。
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2010-10-03 中世芸能の発生 357 檜扇(ひおうぎ)の民俗
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花



宮(宮殿)だけでなく、
時代が下って宗教施設として屋代(社)や寺が建設されるようになると、
位の高い寺社も建設に檜が使われるようになった。

伊勢神宮の御神木、御樋代木に檜が用いられているように、
奈良に都の置かれた古代には
すでに檜は神の寄るのにふさわしい木とされている。


私は、古い詞章や歌に見られるように、古い民俗思想では、
神聖さを感じられていた樹木は照葉樹が先あるいは中心だったと思う。(檜は針葉樹)

またこの原始的で根源的な感覚の根元にあるものは、
樹木の旺盛に茂ることに感じられる横溢する命、生命力へのあこがれだったと思う。
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは



それが、
古代建築の法隆寺なども含め寺社建築に針葉樹の檜が用いられていったことには、
古来の樹木に旺盛な命を見た類感的意識とともに、

広葉樹に比べて曲りや節が少く効率的で耐久性があり美しいといった、
檜の建材としての優秀さ、人にとっての優秀さが重ねられた、
ある意味人為的なものがあったと思う。



日本人が檜に執着してきたことは、狂奔と見えなくもない。

天武天皇の時代から始まった神宮の定期的な遷宮に、
どれほどの檜が必要だったか。

中央集権が進んだ時代には、
宮(宮殿)に類するものであった各地の官衙の施設や直轄の寺社の造営に、
檜が使われた。

宗教は、屋代(社)を持たなかった時代から屋代(社)を作る時代へ移り、
宗教施設に檜が用いられた。

仏教の導入普及により、数多くの檜造りの寺院が造営された。


檜は新しい建築に必要とされるばかりでなく、
災害や相次ぐ戦乱、大火で焼失した建物の再建に大量に必要だった。

例えば平家による南都焼打による寺社の再建、たとえば東大寺大仏殿の柱だけでも、
年を経た檜の大木がどれほど必要だったか。

(源平の乱のあった平安時代から鎌倉時代にかけてすでに各地の檜不足は深刻だった。
東大寺の勧進の長をした重源自身が全国各地を飛び回るとともに、
高額の懸賞米を付けて杣人に報告させたそうだ。
どこかでふさわしい檜が見つかると、
生育場所である山中の急峻な高地から檜を伐採し運び出すためのルート作りから、
数年単位で檜の伐採が行われた。

重源は宋で身に付けた土木技術があったとのことで。
行基の古来から、つくづく勧進僧・勧進聖という人々の技術力、
人々を束ね事を進行させるプロデュース力には目をみはる。
かつての勧進僧、勧進聖という人々のありようにとても興味をひかれる。
・2008-09-25 中世芸能の発生 29 勧進聖 自然居士
・2010-05-10 中世芸能の発生 305 勧進と芸能 )



山林の荒廃と檜不足から、
檜の伐採と使用は古代から厳しく制限されてきた。

しかし檜の需要は増え続け、江戸時代になると、
武家の屋敷に用いる檜は何割までとするとかそういうことになったのだそうだ。

檜の山に対する藩の管理もなくなる明治になると、
それまで利用が認められていなかった一般庶民も
財力があれば自宅の建設にも檜を求めるようになった。



木に命の横溢を見、命を尊重して用いるのであれば、
こんなに檜を伐りはしない。

檜に対する執着のような狂奔は、
その原型にあった自然の命の横溢と尊重を忘れてしまった行為にも思われる。


現在では、膨大な数の檜が必要となる遷宮に、
なぜ植林して檜を利用してこなかったのかと議論される。

わざわざ木を植えるという発想がなかったというのも見かけるけれども。

私は、これについては、
人の手のかからない自然なものに強い自然のチカラが宿っているという
古い思想があったからだと思う。

一番「チ」の溢れるものを使う思想だ。
・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取
・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花

現代では、なぜ植林して用いなかったのかと不思議に思われるほど、
かつて、人工でない自然物に感じられていた、
自然の命の力への尊重や祝福を忘れてしまっているのだろうか。


優れて美しい檜に対するあこがれは、わかるけれども、
うつろうものなのだから、
自宅を檜で作らなくてもいいんじゃないと思ったり。



檜を用いることへのあまりに偏った狂奔の結果、
すでに天然の檜が得られない今、植林の檜を用いるものだが。

自然のチカラの横溢をうつそうとしたかつての
檜の利用の目的とは違うものになった。





吉野の修験道の本山の金峯山寺の本堂は檜造りではないそうだ。

焼失からの再建の折り檜が調達できなかった背景もあるのでは
という推測も聞いたことがある。


修験道の原型として原始的呪術的な素朴な民俗信仰があると考えられるが、
修験道は、その古来の民俗信仰が、
人の願いを叶えるものとして呪術的に発展した宗教であるように思われる。

現代の修験道は、
自然の中で修行する自己啓発のようになっている部分もあるように見えるけれど、
修験道のはじまりには、
自然の霊威を身につけ働かせようとする呪術的色合いの強い宗教だったかと思う。


論理的哲学的な要素の濃い思想(仏教)が入ると、
相対して、古来の原始的呪術的な信仰は古ぼけてつまらないもの賎しいものに
なっていった歴史の経緯がある。

その道筋と同様に、
論理的思想による救いというより
呪術的実践的に人々の願いを叶える利益(りやく)の傾向の強かった修験道は、
論理的思考や社会的体系を持った宗教からは一段賎しく低く見られることがあったが、
同時に、実際の効果による救いを求める人々に
広く支持されてきた歴史があったのではないだろうか。


奈良時代の修験道の開祖役行者をはじめとして、
かつて修験者山伏に土木技術や医薬の知識に長けた人々が多く居た。

土木技術や医薬の知識と実践と、
祈祷など人々の願いを叶える呪術は、
利益(りやく)という面で同じことだっただろう。

したがって、
自己啓発としてでなく、
宗教としての修験道は、
祈祷や験力や利益なしではありえなかったと思う。



檜が宗教性を帯びた高級な建築物の建材として用いられてきた歴史を思う時、

吉野の修験道の寺院金峰山寺の建材に様々な木が使われているというのは、
檜の調達ができなかったからかもしれないけれども、
針葉樹の檜に先だって広葉樹照葉樹に命の横溢をみていた古い民俗の名残のようにも見え、
檜を用いなかった庶民性のあらわれにもみえる。


私自身は、
吉野周辺の山が人口林の針葉樹ばかりであることや、
吉野山を桜ばかりにすることも、
それが歴史だからと思いつつなんだか違和感を持つ者だけれど、

もし修験道の方々が、檜を使いたいと思われるとしたら、
それはすでに修験道が命の根源から離れ、
根元を忘れてしまったことだと思う。





・2011-05-19 中世芸能の発生 390 檜(ヒ ヒノキ 桧)



檜扇(ひおうぎ)の民俗
・2010-10-03 中世芸能の発生 357 檜扇(ひおうぎ)の民俗
・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ
・2010-10-13 中世芸能の発生 359 衵(あこめ)扇 信仰の変質
・2010-10-14 中世芸能の発生 360 お雛様の檜扇
・2010-10-15 中世芸能の発生 361 武官と木簡と檜扇
・2011-04-10 中世芸能の発生 386 ヒノキ
・2009-08-16 中世芸能の発生 187 和琴
私の知る古い和琴は、
縄文から弥生時代にかけてのもので、本体はスギ類。ことじはカエデ。
ただし各地で多く出土している和琴の木とその割合は私は知らない。
正倉院に納められた和琴はヒ(檜 桧 ヒノキ)。


・2011-06-03 中世芸能の発生 393 檜と日本文化



・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは




木(キ)
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)
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・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型




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・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術
・2008-05-14 香と薬 02
・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ



・2011-03-17 森林と国土
・2010-08-02 土地本来の植生の回復 鎮守の森
・2010-08-04 中世芸能の発生 336 比叡山延暦寺の植樹




・2010-02-20 中世芸能の発生 287 ヒロメク 蛇 剣
ヒノキ 「ヒ」の「キ」



古来の民俗 つまらないもの
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの



・2009-07-06 中世芸能の発生 165 捨身




・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然



つづく
by moriheiku | 2011-06-02 08:00 | 歴史と旅
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