美しいこと



バレエダンサーの首藤康之さんは、
以前はご自身の身体を酷使していたそう。


ご自身の身体に対しては、黙って踊れ、という感じで、
まるで道具のように接していたそうだ。


身体のどこかに負担をかけたり酷使して動いていたので、やはり痛い部分が出てくる。
痛い部分が出てくると身体が縮こまり、すると精神も縮こまって、
自信の持てない時期もあったそうだ。


しかし怪我をきっかけに自分の身体を尊重するようになり、
身体の声を聴くようにして、
身体の構造を知りながら、自分の身体と対話しながら動くようになると、

とても自由に楽に動けるようになり、
毎日の地道なレッスンもとても楽しくなったとのこと。


首藤さん。
「僕と僕自身の身体っていうのは男女のカップルみたいなもので、色んな喜びも訪れれば、色んな危機も、倦怠期のような危機も出ます。人間には出会いや別れがありますけど、僕自身この身体を持って生まれた以上、最後まで僕自身の身体と付き合わなければいけないので、良い関係を築いていくことがとても重要になってくると思います。」


「おかしいかもしれないんですけど24時間自分自身の身体のことばっかり考えていると言っても言い過ぎでないと思います。電車に乗っている時でも座っていてああどちらの尾骨に体重がかかり過ぎているなとか、均等じゃないな、と考えたり、ほんとに身体のことばっかり考えてます。」



首藤さんのお話しされている映像で、私にとって印象的だったのは、

「自分の理想の身体という、身体の標本みたいな、生まれたてのシンプルな身体に戻していきたいです。」

とおっしゃっていたこと。


ずっとバレエをしてきて、色んなところに負担をかけて、
骨が変形してきたり色んなところが曲がって、
生まれたての身体ではない。

それを少しでもケアして、ほんとにシンプルな身体になって、
シンプルな生活を送りたいです。と。


首藤さんの声は、そういう音をされている。




運動選手やバレエダンサーのケガは一般にもよく耳にする。
そこから引退した話、または復帰した話も、聞く機会は多い。

それでも、いくら聞く機会があったとしても、
ケガの経験は個人的な体験で、
人は「大丈夫」とか「復帰できるよ」と言っても、
本人の不安や、焦りや悲しみを感じることは、誰も肩代わりのできないことだ。

過去の人のよく似たいくつかのサンプルがあったとしても、
個人の味わう経験を取り除いてしまうことはできない。


しかしこうした体験を通してその人からあらわれるものは、
借りものの思想をつなぎ合わせたものでない輝きがあり、
私はそれをとても美しく思う。


かつて他の人が似たことを言ったことがあったとしても、

ことばの意味よりも、
エセでない、いつわりのない、
心身の一致したその輝きを美しいと思う。






首藤さんが24時間自分自身の身体のことばっかり考えているというのは、
ある方向から語れば、もしかしたら
ちょっと変わっているということになるのかもしれないけれど、

それは人間的な偏りでなく、
人がそれぞれの道をたどって何かに至る道の、
この方にとってのまっすぐな道なのだと思う。



男性のバレエダンサーの高いジャンプや目の覚めるようなキレ、
強い華に心をうばわれるけれど、

20代のころよりジャンプや回転はそんなにできないとしても、

こうした人たちの作りあげてきた身体の筋と表現、
生まれたてのシンプルな身体に戻していきたいという心は、
とてもきれいだ。







・2009-03-01 草の息
by moriheiku | 2010-09-03 08:00 | つれづれ
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