合わせない



つづく


目の前でビシバシ鳴る先生の拍子を聞かないように。
自分の心の中でリズムを刻んで笛を吹けるように。

そう思って、『神楽』は
メトロノームと心の中で一定のリズムを刻んで練習した。


でもお稽古では、特にある部分からどうしても合わなくて。
序の、3行目の終わりから4行目にかけてのどこかでうんとずれる。
それで5行目もずれる。

ここの拍は、きっと、そこまでのように一定じゃないと思う。
拍がわからないと掛け声がいつあるかも私にはわからなくて、
掛け声を合図に吹くこともできない。
序の3行目の終わりから4行目にかけての拍、知りたい。


でも私、この序の拍子は、
一番はじめに丸ごと覚えた実際よりすごく間の長短した拍の唱歌と、
自分がちゃんと吹けなかったために
いっそうずれまくったお稽古の序しか聞いたことがなくて。
実際にかなった良い例を知らないので、どこがどうずれているのかわからない。
それで、どこをどうしていいのか、ぜんぜんわからない。



毎回、序が合ってないと注意があった。
お稽古では一度だけ通して吹く。
吹き終わったあとは合っていないとおっしゃるのみで、
どの部分がどう合っていないなど具体的な指導はないため、
わたしはどこをどうしていいのかわからないまま、
ここが一拍短い?ここが半拍長い?と毎回別の間違ったことをして、
毎回できない。

ずっと神楽ならそれでいい。
完全にはできなくても、少しづつでもよい方へ向かえたらと思った。


吹きながら、わからない間違った、と思うと動揺して
いっそう息できなくなって悪循環になるから、
悪循環のもとを切りたいな。

いつも特にずれる序の3行目の終わりから4行目。
実際吹く時の拍子とメロディーを一度聞くことができれば、
まとめて解消できそうに思った。



それで、序の、
拍の間が、掛け声で伸び縮みしていない拍子と唱歌をうかがえたらと思って、
ある日先生に、
序がわからないのですが、序の、と言いかけた。

途端に、先生は、
鼓や太鼓を習わなければわからない、とおっしゃった。
そうか。と思って、わかりましたと答えた。


さらに先生は、
鼓や太鼓などができなければわかる訳が無いこと、
それなら鼓や太鼓を習ってくださいという話だということを
3度くらい繰り返しおっしゃり、

私はその度、わかりましたとこたえて、
先生が繰り返し話される間、
わかる訳が無いともうわかったから、
もうもう聞きたくない、聞きたくない、聞きたくないと思った。



鼓や太鼓を知らないこと、
どうしてここまでおっしゃるのだろう。
知らずに聞こうとしたこと、
どうして私はここまでばかにされているんだろう。

もう何年か何も質問していないと思うけど。
ひとつ言いかけたこと、どうしてそんなにイラっとされるのだろう。


わからないと言ったのは、先生を否定したのではないし、
ただ毎回できない部分を少しづつでも解決したいと思ったけれど。
質問以前にアウト。

こうした疑問は、ばかの考え休むに似たりで、
鼓や太鼓やお能を知りもしないでできないと発言すること自体、
どうせ、って感じのものなんだろう。

私の後ろに、先生がこれまで出会われたたくさんの
私のようなもののわからない者たちを御覧になってるのかもしれない。



先生方にとっては、生徒が何かひとつできてもできなくても、
同じできないに変わりないだろうけど。

私はできるようになりたいと思う気持ちをばかにされることはきらい。




ただ、先生はイラっとされながら、
大事なことをおっしゃっているのだろうと思った。

できない序を合わせようとすることの方がもっと不自然。
それよりも序はずれてしまったとしても、
序の後の出だしを合わせることの方が大事。
とおっしゃっていた。

もっと大事なこと。

それはきっと笛にすごく大事なことなんだろうと思った。
それは私にも大事なんだろう。



でも、毎回注意されたていた場所で、直したいと思った場所、
それは、わかるわけがない、鼓や太鼓などができなければわからない、って。


だまし討ち、いうことばが浮かんだ。

だまし討ちみたいに感じられた。

だまし討ち、なんていうことば。
時代劇の中で聞くようなことばで、
自分が、心の中だけでも使うなんて思わなかった。
こんな風に思うなんて。 自分がショック。

どうして私は、こんなことばを。

私は火を吹くように短気だ。悲しい。



痛い思いをしても、結局、知りたかったことはわからない。

もう合わせない。 と思った。
先生の拍子に。

なーんて、これまでも合ったこと一回もないけど、

なんていうの、、もう  汲まない。  かな。
聞かない。




笛のお稽古で浮かぶ笛を吹く時の問題点は、
やはり私の問題点で、

ひっかかる点は、
きっと私にとって大事なんだと思う。
(ああ結局聞いてる、聞かない、と思っているのに。)



逃れようのない切実な痛みに比べたら、
こんなことを痛い思うことがどうかしらと思うけど。

笛のお稽古ってすごく小さなことでもズタズタになる感じ。

痛い思いしないと、
私はものをわからないのかな。



つづき
by moriheiku | 2010-05-08 08:00 | 音と笛のまわり
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