寄物陳思



人は、ものや自然に寄せて、心を述べることがある。

香る花のような人、とか。
氷のようなことば、とか。

草が風になびいてかたむいているように
私の心はあなたの方へなびいている、とか、

飛ぶ鳥に心を託して遠くに届いてほしいと思ったり、
ブルドーザーのように強引ね、とか。

でっかい熊を見てとあるプロレスラーを思い出したり。

自然の移ろいや建造物の風化に人生を見たり。

口に出さなくても、思うことがある。

こうしたものは万葉集の歌なら寄物陳思ということになる。



心情をものに例えてよむ。あるいは、

ものによって心情や情景が喚起される。


それはどこも特別なことでない、人の自然な感覚だ。


このふたつは似ているようで異なる。




私は、
物によって、心情や情景が喚起されることのほうを大切に思う。

その方が身体的。



だって自分の貧弱な心を、物にひとつひとつあてはめることに、
どれほどの広がりがあるというのだろう。





・2009-12-13 中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ




・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。




・2007-09-19 ヨリシロ

・2008-12-16 本来空


・2008-06-03 自然と我 06
・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰


・2009-03-01 草の息
by moriheiku | 2010-02-10 08:00 | 言葉と本のまわり
<< 中世芸能の発生 274 イノチ... 声の音 >>