中世芸能の発生 245 国作りの神




つづき


神楽声浪(ささなみ)の滋賀、大津の日吉大社は、
日枝山(比叡山)の琵琶湖側、磐座のある八王子山を中心に広がっている。

西本宮に大己貴神(おおなむちのかみ)、
東本宮に大山咋神(おおやまくいのかみ)がお祀りされている。

東本宮の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、『古事記』に
“此の神は近淡海国の日枝山の坐(ましま)す”と記された。
もともとの日枝の土地の神。

西本宮の大己貴神(おおなむちのかみ)は、
天智天皇が近江大津京に京(みやこ)を開いた時、
奈良大和の三輪山の神を勧請して祀られた神様。
大和王権の神で、
日枝の神よりあとに日枝の土地に来た。




先日「神楽声」「神楽」「楽」と書いて
「ささ」と詠ませる歌をあげていったうち、
天智天皇の死にあたって、石川夫人の詠んだ挽歌


天智天皇:
近江大津宮御宇天皇代 [天命開別天皇諡曰天智天皇]
あふみのおほつのみやあめのしたしらしめししすめらみことのみよ[あめのみことひらかすわけのすめらみこと、おくりなしててんちてんわう]


巻第二 一五四
ささ浪の大山守(おおやまもり)は誰(だ)がためか山に標(しめ)結ふ君もあらなくに (154)

神楽浪乃 大山守者 為誰可 山△標結 君毛不有國

(現代語訳)
ささ浪の御山の番人は、一体誰のために標を結いつづけているのか。もう君もおいでにならないのに。



ここに京(みやこ)を開き國を治めた天皇が、
いてもいなくても、

神楽浪(ささなみ)の近江大津京の背後の、神聖な日枝山に、
山守は今日も標を結う。

石川夫人は、そこに悲しみを見る。



この歌を読んで、私は、
山守は、京(みやこ)の置かれる以前から日枝の山の信仰を持っていた、
土地の神を祀ってきた人(人たち)だったかなと思った。

ヤマト王権が諸国をある程度統一してまだそれほど経っていない。
この歌の背景に、
国作りの途上とも言える当時の大和朝廷と諸国の関係が感じられる。

信仰でいえば、神祇(天津神と国津神)の在り方を思わせる。
相互の関係が悪いものでなくても。



ヤマト王権の王に近い石川夫人にとっては、
天皇が最高の現人神であったけれども、

天皇が亡くなっても、
土地の神は変わらずあり祀られる。


この歌は、次の高市古人(高市黒人か)の感慨の背景と
距離が近い。




この近江大津京に勧請された神は、
奈良の三輪山で祀られてきた大己貴神(おおなむちのかみ)だった。

三輪山周辺は幾代も古代のヤマト王権の王たちが宮を置いてきた場所で、
三輪の神はヤマト王権に親しい神だった。

次の天武天皇の時代から、ヤマト王権の頂点となる神は、
天つ神、天照大神に替わったのだと思う。


より象徴性の高い神へ。

その神を頂点にいただいて、
並び立った地方の一国から、列島の各国を統べる国へ。


兄の天智天皇と弟の天武天皇は、
同じ国の形を完成させようとしていたという点では一致している。
国づくりの仕事はリレーされていた。



・2009-01-12 山上憶良 早く日本へ大伴の御津
・2009-01-10 粟田真人 「日本」の名のり
・2009-06-28 中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』


・2009-10-23 中世芸能の発生 228 日吉大社へ

・2009-10-11 中世芸能の発生 216 神楽浪の大山守


・2009-10-05 中世芸能の発生 210 ささ 神楽声
・2009-10-06 中世芸能の発生 211 ささなみ


・2009-12-03 中世芸能の発生 257 しづのをだまき 三輪


つづく
by moriheiku | 2009-11-19 08:00 | 歴史と旅
<< 中世芸能の発生 246 翁 神... 中世芸能の発生 244 山の意... >>