ミニチュアール



今私が住んでいるあたりは、
まるで歴史のミニチュアールのようだ。


海側から陸を見渡すと、
遠くまで山筋がつづくのがよく見える。

すこしかすみのかかったあのもっとも高いピークは
今もこの地方では知られた霊場である山。

あちらの尾根から分かれ、あちらとあちら方向へ延びていく尾根。
これらはかつては日本中に存在した修験の時代には
とそうあるいは回峰のあった山筋だ。

尾根筋の一つは海岸に続く。
護岸された合間に岩肌ののぞく海岸と島に、
はるか遠い海洋信仰と、かつての海の修験の跡がみえる。


あそこの海岸から川筋を遡ると、
私の住んでるあたりになって、

この川を隔てて向こうは、空気が違う。


この川の渡りあたりには、古代の国の施設跡があり、
それよりさらに古い祭祀跡が出る。

川向こうの丘というか山というか、そこからはかつての修験の山筋。

川を渡った山(丘)は、ある時代には密教寺院があり、
かつ死者を葬った風葬の谷があった。

その山(丘)の
すっごくコンパクトな仏教の○十○箇所めぐりの場になっているあたりは、
昔の民俗信仰の死者を送る無数の幣を立てた場所だったと思われる。


あそこの山から伏流水が扇状に注ぐ丘の下の、渡りのあのあたりは、
里と他界である山をさかいする、
禊(みそぎ)の川、禊の場所だっただろう。

遠い時代の、国の施設と祭祀の場所の重なりが出土や、
現在の寺社からも推測される。

ここあたりは古い時代には神聖な力のある場所と考えられていたのだろう。


傾斜や空気、土地を、
理屈でなく身体で体感できるのがいいのだ。



あの尾根筋の山に入ると、
奥の集落には土地の広さや人の数に対して多すぎるほどの古い寺社がある。
それらの寺社や今はないけれどもその跡から、
原始的な信仰以外にも、
たとえば戦乱で熊野修験が衰えたのち、
白山や御嶽他の修験が隆盛したリアルな経過なんかも肌でうかがえる。

今年、流しで平地にやってくるお店の基地がここにあるのを見た。
有名な大原女や桂女花のように、
花を売り鮎や薪を売りに山を下ってきていたかつての山人の生活を
現代に感じた。

現在ではここから車ですぐに街に下りることができて、
実際住んでいらっしゃる方々も、街中の会社へ通っている方も多いと思うけれども。
大原女や桂女花の里のような山人の暮らしは、
ただ街の人々から見てうるわしい鄙の習俗でなくて、
生活を建てる実際であったことを感じる。




もちろん、たとえば風葬の地であった京都の東山があれだけ宅地化しているように、
主要駅のある私の住んでいる場所あたりも宅地化している。
またこのあたりを歴史的な街としての視点で見られることはほとんどない。

それでも、古代の道があり、路地が残り、
辻々にこれでもかと道祖神やお地蔵様?があるのには
引っ越してきて驚いた。
いったいどれだけあるの。


私はこのあたりの古代から中世までを幻に見ているけれども、
実際のところこのあたりは、それ以降の歴史の方が
変化に富んで濃密で面白いところだと思う。


つまりここにあるものは、各地にあるもの。

ここにあったものは、全国いたるところにあったこと。


この土地の良い点は、
海だけでなく、山だけでなく。
いろんな時代、いろんなものが、万遍なく、
ミニチュアールのようにあること。

そしてそれを立体的に体感できること。



定住志向のない私は、たまたま偶然、ここに住むことになった。


この土地を見渡すと、

現代の土地に重なって、
海岸から陸、さらに内陸へつづく山岳の地図が同時に浮かぶ。


私の住んでいるところからは、
駐車場と川を越えて、
電線のない広い夜空が見える。





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by moriheiku | 2009-08-29 08:00 | 歴史と旅
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