中世芸能の発生 165 捨身



つづき


修験道が目指すところに捨身があった。

捨身は、仏教的には、
供養や衆生救済などのために、自分の身を捨てること。(大辞泉)


これは、もっと、 こう、 原始的な感覚では、
自然と自然に内在するものとの一体化だっただろう。


人も自然の循環の一部である実感の、
宗教的な理解の展開ではないだろうか。



修験道では捨身は明治まであったそうだ。

五来重『修験道の歴史と旅』によると、

“捨身は投身、入水などで江戸時代から明治までおよび、その最後は明治十七年(一八八四)に那智の大滝に禅定の姿勢のまま捨身した林実利行者で、当時の有栖川宮から役の行者に次ぐ「大峯二代の行者」の称号を贈られた。この捨身は捨身と入水を兼ねたものであるが、ほんらいの捨身は人の近づけない断崖から身を投げて、肉体を自然の中に消滅させることであった。しかしこれによって霊魂は神通力を得て永遠に生き、衆生済度が自在にできるという意味の和讃を林実利行者はのこしている。”五来重『修験道の歴史と旅』


肉体を自然の中に消滅させること。
わかる気がする。



本来死んで神として祀られようとか名利ではなく。

自然との一体化は身体の求めるものだし、

生命力の強いことが何よりもあこがれだった昔には、
捨身は、循環する自然の生命力そのものに溶け込み、それになることだっただろうし。

自然が人々の生存と直に結びついていた時代には、

自分自身が自然の一部、自然の力自体になることで、
人々を助け見守るものになろう、
という思いが持たれたことだろう。

そこにいたるために、
命がけの激しい修行を求められたのかな。



奈良に都のあった頃、
大宝・養老律令の「僧尼令」にすでに焚身捨身の禁があることから、
捨身の起源が古いことと、

同時に、新しい思想にふれる人々にとって、
捨身を認められない新しい考え方が
浸透してきていたことがわかる。



捨身のような行為は、たぶん、
古来の民俗信仰つまり原始的な思想信仰、
未開の呪術や迷信の時代と密接だったため、

捨身の考え方は供犠にも近しいし、

新しいグローバルな広がりを持つ仏教思想など取り入れ、
世界にも開けた新しい国をめざす政権には認められないものだったのでは
ないかと思う。


【供犠】 (大辞泉)
神に、いけにえを供える宗教的・呪術的(じゅじゅつてき)儀式。
また、そのいけにえ。きょうぎ。



参考:五来重『修験道の歴史と旅』






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「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。




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by moriheiku | 2009-07-06 08:00 | 歴史と旅
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