中世芸能の発生 145 唱導説経語りの流れ


つづき


『お伽草子』(御伽草子おとぎぞうし)の半分以上を、縁起談と本地談が占めている。

それらがもともとは唱導の説教「語り」だったことは、
文字となって残っているものからうかがえる。


たとえば「ぜんくわうじほんぢ」(善光寺本地 善光寺縁起)のおしまいに、

“(前略)此そうしを、一たびよむ人は、によらいにまい(詣)りたるにおなじ。しんずべししんずべし。

とあって、縁起の功徳文にあたるのである。お伽草子の大部分にある「此の草子を一度よむもは云々」という功徳文は、かつての縁起唱導の「かたり」が読み物本化されたときにつけられたもので、これのないもおはむしろ「かたり」そのものであったとかんがえられる。”



“たとえば「中しひゃうひめ」(中将姫)では、

 しかるあひた、一たびさんけい(参詣)のともから(輩)は、むし(無始)のさいしやう(罪障)をめつ(滅)し、九ほん(品)れんたい(蓮台)にしやう(生)し、けんせ(現世)にはむひ(無比)のらく(楽)をうけ、こしやう(後生)にはくわこくほつたんみやうとく(妙徳)を、えせしめ給へきなり。

とあって、『当麻曼荼羅』の縁起をかたる語り口もよくのこっている。”



仏法、経典を人々に説明するため、
身近な例に置き換えてわかりやすく語ったやわらげが、
説経唱導の世俗化・芸能化や「お伽草子」成立につながった。

この世俗的説経は、さまざまな芸能へ展開したのだが、
室町中期にはひとつには「古浄瑠璃」にかたちを整えた。


古浄瑠璃の「中将姫本地」の五段目に、
「当麻曼荼羅絵解(えとき)」の口上がそのまま残っているそうだ。

“まつ是成ていそう(体相)は、上ほん(品)上しやう(生)、是は中ほん、扨々(さてさて)このたん(段)は下ほん也。かく九ほん(品)とたてたるは、上こん(根)、中こん、下こん、うへに三つ、下に三つ、爰(ここ)をあはせて九ほんとあれ共、是はしやばのこんき(根気)をあらはす。忝(かたじけな)くもじやうと(浄土)にわうじやう(往生)いたしては、上中下のへだていさゝかもつてさら(更)になし、(中略)さて此ていそう(体相)は八くとくち(功徳池)をあらはせり。(中略)さてまた左へりにあらはしたるは、につさうくはん(日想観)、右のへりは十三ぜんてう(禅定)のぐはんもん(願文)のあらはし。(下略)”

笞(むち)をもって指しながらの絵解の語り口がよくあらわれているそうだ。
声に出して読んでみると、ああそうしていそう。

ちょっと寅さんの口上を思い出す。




この、奈良の葛城の、二上山麓の當麻寺(当麻寺)に有名な
中将姫と当麻曼荼羅の伝説は人気があって、
浄瑠璃、謡曲(猿楽、能楽)、歌舞伎の題材にもなっている。


中将姫が捨てられたのが、宇陀の雲雀山あるいは和歌山の
有田や橋本市の雲雀山だという伝説のバリエーションは、

そのまま、説経の語り手だった漂白の宗教者芸能者たちの足取りだ。



古い芸能に「そもそも」と、さかんに縁起本地が語られる。


浄瑠璃、歌舞伎、猿楽(能楽)などの筋が説経の流れにある。

その流れの上流に、勧進の唱導説経をした人々がいる。



参考: 『寺社縁起からお伽噺へ』 五来重





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つづく
by moriheiku | 2009-06-10 08:00 | 歴史と旅
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