中世芸能の発生 136 優しい誤解

つづき


日本の仏教は、権力者や高級僧侶、文化人相手の上部構造と、
庶民信仰をもとにした下部構造の二つの流れがあったと五来重は述べた。


仏教教理(哲学)というものが権力者や高級僧侶、文化人に向けられているのに対し、
説話は無知な大衆に向けられている。

王朝文学が貴族、文化人のものだったのに対し、
『今昔物語』は民衆のものだった。


“ 日本仏教の上部構造は、国家や貴族とむすんだ伽藍と、講経法会と荘園から成り立っていた。それはほとんどインドや中国仏教の直訳、もしくはそれを手本としようとした。それに対して奈良時代もしくはそれ以前から、庶民信仰に根を下ろした聖・優婆塞の担った下部構造の仏教があって、寺も法会も荘園もなく、もっぱら遊行(歴門仮説、零畳街衢)と唱導(妄説罪福之因果)と勧進(強乞余物)で民衆に接触した。それが仏教説話となって伝承され、発展して仏教文学の主流を構成したのである。”


“ 仏教文学の一方の主役をなす聖・優婆塞にも諸依(しょえ)の経典がなくはなかったのであるが、それは誤解と曲解だらけであった。しかしその誤解は庶民信仰化と日本化のための誤解であって、日本仏教そのものが、インド仏教や中国仏教を基準にすれば、「誤解仏教」なのである。”




官の正式の僧でない僧尼たちが民衆の間に入り、
神仏の霊験や不思議を物語り演じ、民間に仏教が広まった。

官の正式な仏教に接する機会のない当時の大多数の民衆と仏教の接点は、
“「経を負い、鉢を捧げて、食を街衢(がいく)の間に乞う」半僧半俗の僧尼から説経を聞くだけであった。”

(『寺社縁起からお伽噺へ』五来重)


庶民信仰としての仏教は、
日本化された仏教、
さらにはこの人たちによって曲解された仏教なのだった。


その誤解は庶民信仰化と日本化のための誤解であって、

人々を作善勧進へいざなうために半僧半俗の彼らが語るものは、
厳密な教理の解説でなく、
英雄の話や、欲や愛憎の物語など、庶民の身に近い物語だった。
物語は節をもち、歌であり、舞であり、劇であり、絵がついて、
庶民に切実に求められ、さまざまな形で広まっていった。

半僧半俗の彼らは、中世芸能の担い手でもあった。


参考:『寺社縁起からお伽噺へ』 五来重



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つづく
by moriheiku | 2009-05-28 08:00 | 歴史と旅
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