中世芸能の発生 133 俗の土壌



つづき


『日本霊異記』は、記録に残る最古の説話集。
平安時代初期にまとめられた。

編纂したのは私度僧、優婆塞だった景戒で、
後に薬師寺で公式に出家した。


景戒は、当時の官僧の、
正式な出家前に一定期間山林修業が義務ずけられていた人ではなく、
優婆塞としてあった人らしい。


ともかく『日本霊異記』は、
官の認める正式な僧でなく、名の残らない僧尼たち
(私度僧、優婆塞、優婆夷、聖など)によって、
民間に語られた物語(宗教説話)を集めたもので、
国家に禁じられた罪福の因果応報も説かれている。

優婆塞たちの布教、勧進に用いられた。

名の残らない僧尼らの経験は、また
景戒自身の経験でもあっただろうと思う。




官の正式の僧でない僧尼たちが民衆の間に入って、
神仏の霊験や不思議を物語り、民間に仏教を広めた。

官の正式な仏教に接する機会のない当時の大多数の民衆と仏教の接点は、
“「経を負い、鉢を捧げて、食を街衢(がいく)の間に乞う」半僧半俗の僧尼から説経を聞くだけであった。”(『寺社縁起からお伽噺へ』五来重)




「経を負い、鉢を捧げて、食を街衢の間に乞う」半僧半俗の僧尼たちによって説かれた
民衆にとっての仏教は、
インドの正式な仏教でなく、
日本の民俗信仰と融合した日本化された仏教なのであって、

そのため、民間に伝わる説話やお伽噺、あるいは芸能に、
仏教を民間に根付かせるための宗教者たちの工夫や、
当時の民衆の宗教意識を見ることができる。




日本の仏教は神道のように感じられることがあると聞いた。
優婆塞らが問いた原始的な自然信仰、山岳信仰や神道、道教や陰陽など入りまじる
日本の民衆にとっての仏教は、

インドや大陸から見ると正式な仏教といえないかもしれないが、
当時の大多数の人々にとっての真実だった。





中世芸能は、こうした宗教観の上に開いている。

純だから崇高、ではない。

中世芸能は、
俗だから普遍。

ではなかったか。



現代、平曲(平家物語)や猿楽(能楽)に、
仏教の高度の教理や思想をあてはめることで、
高く見ようとするものを見かけるけれども。
現代的な価値感にすぎない。

また中世には、神話の密教的大改編(いわゆる中世神話)と同様の動きが、
都市部の芸能にもおきており、ある種哲学的な思想が付加された。
(中世神話(神話の中世的改変)に象徴されるものは、
時代をひろくおおったまるで一大ムーブメントのようだ。)

しかし中世の一般庶民にとっての芸能は、
いまだ古いままの芸能の意味を保っていた。




私は、中世芸能の深み(すごみ)は、
中世意識の総体であることの深みにあると思う。


土地に根付いて命を繰りかえしてきた庶民の歴史と、決して切り離せないもので、
その広い土壌があったから生きつづけ伝統となった芸もある。


伝統芸能は、今では外気や光を遮断して、
重い扉の金庫の奥にいるようなものも中にはあるけれど。

本来はただ一つきりの貴重な玉の希少性を尊ぶような性質のものでなく、
人々に深く浸透して広く一体となる性質のものだったと思う。





中世芸能はたったそれきりのまれに咲いためずらしい花ではなくて、
人々の命、自然の命、生活や経済、宗教、
あらゆるものを通ってひらいた花だと思う。

血のようだ。





参考:
 『寺社縁起からお伽噺へ』 五来重
 『中世神話』 山本ひろ子






・2010-05-10 中世芸能の発生 305 勧進と芸能
血のようだ




勧進と芸能  芸能の世俗化  芸能から芸術へ
・2013-08-22 中世芸能の発生 455 貨幣 勧進 大仏造営




私度僧
・2008/09/14 遊行の僧


結晶
・2009-05-23 水晶


総体であること
・2009-03-05 中世芸能の発生 82 和歌と宣託 紀貫之
・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実



勧進
・2008-09-25 中世芸能の発生 28 勧進
・2008-09-25 中世芸能の発生 29 勧進聖 自然居士



民間に入った僧たち
・2008-09-18 中世芸能の発生 16 空也上人 踊念仏の原型 
・2008-12-29 中世芸能の発生 45 忍性 利他
・2008-09-08 中世芸能の発生 08 山岳信仰の系譜 優婆塞 私度僧
・2009-01-02 中世芸能の発生 49 中世仏教の衆生救済




芸能の根元
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2010-04-08 中世芸能の発生 303 日本料理 湯屋 湯聖(ひじり)



芸能者 仏法の柔らげ 
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教



・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語



説話集、今様歌、などにみる殺生肉食と仏教思想のきしみ  
・2013-02-07 中世芸能の発生 451 『ぼくは猟師になった』 殺生 肉食 イオマンテ
著者の千松さんは若手猟師さん。
猟をする暮らし。狩猟についての目線。

『ぼくは猟師になった』についてと、
説話集、今様歌、猿楽能など、古典や史料の中に見る、
日本の古来の肉食と、
新しく入ってきた仏教思想の殺生肉食の戒の狭間のきしみについて。





つづく
by moriheiku | 2009-05-25 08:00 | 歴史と旅
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