中世芸能の発生 116  『武士はなぜ歌を詠むか』




つづき


『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)を読んだ。
きょーれつに面白かった。


中世から近世にかけての武家政治と和歌の関わりを、
事実の積み上げと史料の復元によって、著者が浮き上がらせる。
すばらしいなー。



私は、なぜだか中世芸能のルーツをたどっていて、
その中でなぜか歌(和歌)も追うことになっていて、
その点でもこの本の内容は示唆に満ちていた。


しばらく前から考えていた、
武士が辞世を詠むことについては
『武士はなぜ歌を詠むか』ではふれられていなかったけど。


武家政権と歌道の関わりの中に、
古代からの歌の聖性のしっぽがまだ見える。

そして、古代の聖性が薄らぎ新しい価値観が確立していく過程が、
中世から近世の武家政治と歌の関わりの中に見える。




本全体の構成は目次や本の販売サイトなどの商品ページでわかる。
関東を中心に、
宗尊親王、足利尊氏、太田道灌や歌道師範たちの活動がとりあげられ、
武家政治に和歌がどのように関わってきたかが明らかにされている。

鎌倉将軍の宗尊親王の時代と人生は、そういうものだったかと胸を打たれた。
また兼好を含む和歌の師範の有りかたを少し知って、
当時の遁世者の生き方のひとつをリアルに感じられた。

でも書ききれないし、
基本的には古代に興味があって、
で中世芸能の発生をたどってるこの日記では、
『武士はなぜ歌を詠むか』から、
過去に遡って芸能に深く関わる、と印象に残ったところだけを記録。
※そのためここで抜粋する傾向に偏りあり。



中世には、
“和歌を創作し鑑賞するという文学行為は、個人のうちで完結しない。”

“歌人は、文学感はもちろんであるが、政治的信条や立場を同じくするグループに所属し詠歌した(これが歌壇の最小単位である)。そして題を得る、構想を練る、添削を受ける、料紙に記す、作品を読み上げる、といった一連の行為は、すべて一定の作法故実、そのグループで通用するルールにのっとったものであった。”


“文字として遣った和歌はおおかた題詠歌であることになる。そのために中世和歌と言えば、誰もが似たような表現でひたすら同じテーマを詠むだけの退屈な文学、というのが決まり文句であるが、和歌とは古今・後撰・拾遺の三代集によって選び取られた素材と泳法を基盤とし、その枠内で見出した少量の美を、やはり王朝時代の雅語によって表現するものだから、すぐそれとわかる個性などむしろあってはならないのである。敢えて言えば、決まった筋書きのもとに演じられる神事や藝能に近い。”



私は昔の歌が鑑賞される時、
現代の文学的感情的な見方で取り上げられることには、
ものすごく違和感を持っていた。

歌だけでなく諸々についてそう感じる。


“すぐそれとわかる個性などむしろあってはならないのである。敢えて言えば、決まった筋書きのもとに演じられる神事や藝能に近い。”

これは本全体では小さな部分だけれど、
中世の歌の鑑賞に、
忘れられていた視点をあざやかに提示されていると思う。

こうした歌の見方は、
歌の鑑賞ではなく史料としての見方のように思われることもあるが、
これは当時の歌の持つ一面であって、
当時の人々が何に価値を置いていたかの、
視点の提供。



参考:『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)






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つづく
by moriheiku | 2009-04-22 08:00 | 歴史と旅
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