中世芸能の発生 107 「賊」  兵(つわもの)の道




つづき


賊、って・・・ ←タイトルの  
武、兵、賊、殺伐としたことばばっかり並んで
日記の字面がちょっと・・・。

しかし、ここを省いては中世芸能はわかんないわ。
がんばれ私!(どしてこんなことしてるのかわかんないけど)




朝廷に武芸で仕える武士(軍事貴族)でなく、
公・国・家に組織された兵(つわもの)でもない、

やはり武器をたずさえ、殺生を生業にして世を渡る人々、
山賊や海賊がいた。



ここでは武士と兵(つわもの)を合わせて武士と呼ぶとして。


山賊と武士の違いはあまりない。

『殺生と信仰 武士を探る』では、
山賊と武士の違いは、
宝物を求めるか所領を求めるかの違い、
と述べられている。


一例として『男衾三郎絵詞』。絵巻。

軍事貴族的な雅さを持つ兄、吉見二郎と
荒々しい武勇に生きる弟、男衾三郎という、
対照的な武士の兄弟がいた。

兄の吉見二郎は、
大番役で上洛の途上、山賊に襲われて落命した。

その場面に描かれている山賊の、名乗り、出で立ち、合戦方法は、
武士と何ら変わるところがない。

また男衾三郎と吉見二郎は、対照的な兄弟であるが、
どちらも本質は武士、
戦い方を知る兵(つわもの)であることではやはり同じなのだ。



また別の例、
『吾妻鏡』の、畠山重忠のエピソード。
※畠山重忠:平安時代から鎌倉時代にかけての鎌倉幕府の御家人。

“ 総じてみれば、その行動や性格、姿において、山賊の多くは武士と変わるところがなかった。ここで思い出されるのが畠山重忠が謀反を疑われた際に語った言葉である。「重忠の如きの勇士は、武威に募り、人庶の財宝などを奪取って、世渡の計らひをなすの由、若し虚名に及ばば、尤も恥辱たるべし」と語っていたが、そこに見える、武威に募って人の財宝などを奪い取り、世を渡るという武士の一面こそ、山賊の行動に認められるものであろう。
 所領を恩賞として求める兵や武士に対して、彼ら盗賊は宝物を求めたのであった。”


畠山重忠自身の言った
「重忠の如きの勇士は、武威に募り、人庶の財宝などを奪取って、世渡の計らひをなすの由」


武器を携え力で人庶の財宝などを奪って世を渡る。

重忠はそれを、むしろ誇っているようにも聞こえる。
力で人庶の財宝などを奪い世を渡ることは、
兵(つわもの)の、確かに持つ性質の一面だった。


このように兵(つわもの)の間には、
独自の倫理観「兵(つわもの)の道」ができていた。

“合戦やその他の交流を通じて、兵の間には「兵の道」と称される独自の倫理が成長していた。3話の源充・平良文の二人の兵は「兵の道を挑」んで合戦を行っており、無用な戦を避けるために一騎打ちの勝負を行っている。9話の源頼信は「兵の道に付て、聊(いささか)も愚かなる事」はないと称されており、事実、平忠常の乱を鎮めたのであった。兵の道を尊び、それに遅れをとらない独自の倫理と行動が成長していたのである。”

“兵には人々を従わせるに足る威力があり、それは兵の「心ばへ」によるものであった。”



武器を携え、力で人の財宝を奪い、それを使って世を渡るという
兵(つわもの)の考え方は、
現代ではすぐには理解しずらのではないか。しかし、

文献に残る山賊や海賊の発言にふれると、
なるほどと思う。


現代とは違うものの見方を、自分に掘り起こす日々。



参考:五味文彦『殺生と信仰 武士を探る』



つづく
by moriheiku | 2009-04-15 08:01 | 歴史と旅
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