草の息



人から発せられることばは、不思議なもので、
同じことばを語るにも、
実感のある人から出たことばは、
響きにその実感が映っている。


万葉の人々の生活は、自然に近かったので、
万葉の人々の口から出ることば(歌)は、
そのまま草の息、はしる水音、流れる風だ。
その歌が自然をうたうものでなくても。



時代を経ると、
このことばの自然はしゅうっ、と減る。


歌の洗練は、
自然のうつったことばとは別ことで、

私は自然がとても好きなものだから、
自然の息のようなことばを愛す。



結局私をなぐさめるのはいつも自然で、
すべての問いと、答えは、自然の内にある。


歴史を知らなくて、ひとつづつたどってみるけれど、
そこにもとめているものは知識でなく、
そこにある実感。


体感。
身体に実感をよぶこと。
身体の感覚を起こすこと。

歴史をたどって
自然を身体の中に起こす
遊びだ。








・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語



・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元



・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木



あそび たまふり
・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽






息 「イ」+「キ」   木

「キ」とは
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)

「イ」とは
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花






・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。
by moriheiku | 2009-03-01 08:00 | 言葉と本のまわり
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