中世芸能の発生 70 世阿弥と紀貫之




つづき


貴族や権門が白拍子を妻にしたように、
こうした背景を持つ遊女を妻の一人に持つことは、
地位にはつながらないが、恥ではなかった。



紀貫之は、平安時代の初期から中期にかけて生きた人。
紀貫之の母親は、宮廷の内教坊に勤める人だったといわれている。
貫之は幼い頃、「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」(内教坊のあこちゃん)
と呼ばれていた。

※内教坊
雅楽寮に属す内教坊は女性の楽や舞を司る機関。
内教坊の女性は、宮廷の儀式や行事に参加していた。


宮廷の行事に、良家の子供が舞い手をつとめることがあったが。
古い貴族紀氏の子、貫之は、そうした子供の舞い手の一人で、
舞を習うため内教坊に出入りした、そのため
「内教坊の阿古久曽」と呼ばれたのではないかとも言われる。

ともかく紀貫之は、
『古今和歌集』の選者で、その序を仮名文字で書いた人(仮名序)で、
仮名で『土佐日記』を著した人。

なんと言っても貫之は
それまで女房ら女性の使う文字だった仮名の使い手。
内教坊に勤める女性や女房に近かったのだ。



お能に、紀貫之が登場するものがある。

紀貫之より優れた歌人はいたのに、
なぜ中世のお能原作者の世阿弥は紀貫之をとりあげたかという疑問を
見かけたことがある。

紀貫之の母が、芸能を仕事にする身分の低い者で、
そのことに賤視の対象でもあった猿楽者の世阿弥が共感したからだろう
という考え方を見たことがあるが。
私は、それはあたらないように思う。



紀貫之の生まれたのは平安時代初期。
京が奈良から京都へ移って、そんなに時が経っていない。

平安時代初期は、
猿楽(お能)が完成した室町時代ほどに宗教と芸能は分離しておらず、
まだ芸能者はそれほど賤視の対象になっていなかった。



紀貫之の紀氏は昔、
ヤマト王権が併合した国の一つ、紀の国の長の家系。
政教一致の時代には、紀氏は紀の国の政治と宗教を司った氏族だった。

紀の国の隣国奈良の、
大和猿楽の出身である世阿弥には、
そのような古い記憶も親しいものだったかもしれない。



他の歌人ならどうかしら、、例えば藤原氏の
藤原定家は・・・優れた歌人だけれど芸能というイメージじゃない。

例えば在原業平、合うわ。この人はお能に登場してる。
宮廷の女房小野小町も。

壬生忠岑、この人は歌の人、芸能って感じの人じゃない。

紀貫之は、やっぱり芸能に合うと思う。
芸能には華がないと。

遠い昔の紀氏の背景もよく合う。



世阿弥が、その猿楽(お能)の作品中に紀貫之を登場させたのは、
紀貫之にシンパシーを感じていたからではないだろうか。

そこには、
紀貫之に流れていると感じられる、
その昔はあった、芸能の聖性への共感があったのではなかろうか。



遠い時代の芸能の呪術的宗教的な背景。
アメノウヅメノミコトのように、
マフリ、タマシヅメして命を揺り動かした呪術的宗教的芸能者も、
中世には河原者と賤視されるようになった。


世阿弥の生きた室町時代には、既に賤視の対象となっていた芸能者の
遠い筋を、
まだ芸能の聖性が生きていた時代に生きた紀貫之に
重ねて見たのではないかと思う。


こんなこと、
お能の映す様々の、
ほんのひとかけらにすぎないけれど。




供御人
・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人


紀貫之
・2008-02-01 「仮名序」カナを使う意味
・2008-07-30 芸能の発生 古代~中世 06 和歌と祝詞 蟻通
・2008-07-30 芸能の発生 古代~中世 07 和歌と祝詞 蟻通


「あめつちをうごかす」和歌 (by紀貫之 仮名序)
・2008-07-28 芸能の発生 古代~中世 03 和歌とよごと
・2008-07-29 芸能の発生 古代~中世 04 和歌と祝詞


原始的な生命観
・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実



つづく
by moriheiku | 2009-02-14 08:00 | 歴史と旅
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