粟田真人と雅楽 波の端の光



つづき


粟田真人が代表をつとめる遣唐使が帰国し、
唐から「皇帝破陣楽」という曲を伝えた。

唐へ出発する前、粟田真人は、
忍壁皇子や藤原不比等らと共に、
「日本」という国を整える法律『大宝律令』を編纂に関わった。

その大宝律令によって、
治部省内に雅楽寮が置かれた。


粟田真人と雅楽、粟田朝臣真人と笛の関係は、
私にはそれしかわからない。

新田次郎の小説『笛師』、
笛師の前にどうして粟田真人の幻があらわれるのかな。
2009-01-08 『笛師』 新田次郎

「皇帝破陣楽」は、雅楽の中で特別な曲かもしれない。

雅楽と粟田真人に、
能楽と秦河勝のような関係があるのかしら。
いつか、めぐりめぐってふと、知る時がくるかも。



ちょうど今、笛は「楽」を習ってる。
「楽」は、雅楽の舞楽を写した曲なのだって説明を読んだ。
「皇帝破陣楽」は、武舞。
雅楽の武舞の曲は好きよ。





粟田真人は、この国のかたちをつくる仕事をしていた。


歴史の中で、人の生(せい)を見る。

歴史の動きの中で、
歴史に名の出てこない多くの人々の生を感じる。

歌から、音から、物から、
それらを生んだ無数の人々をおもう。

戦乱の続いた中世のことなど少しかじればなおさら。
現在周囲の人たちの喜びや苦しみに接すればもっと。



ときどき、

人の人生は、
砂浜に寄せる波の端の、光のように思われる。

日を反射してきらきらきらと輝いて消える。

拾い集めることなどできない。無数の一瞬の光。

それは、むしょうに愛おしい気がする。
そういう時、誰かの喜びも苦しみも、
大切にしてあげたいと思う。





遣唐使
・2009-01-11 遣唐使のこどもたち
・2009-01-10 粟田真人 「日本」の名のり
・2009-01-12 山上憶良 早く日本へ大伴の御津
・2009-06-28 中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』
・2009-06-05 中世芸能の発生 140 聖典
・2009-09-02 中世芸能の発生 195 『神の嫁』折口信夫
by moriheiku | 2009-01-13 08:00 | 歴史と旅
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