地形を旅した 蟻の熊野詣



つづき



紀伊半島。木の国。

半島の外からやってき人々が、
谷の細い川筋をたどって、深い山岳を分け入った。

気候の変動期も過ぎて、
陸、海、川、地形は現在の姿に近くなった頃。


果て無く続く峰々、
南の突端は太平洋に落ちる。
その先は見渡す限り海。黒潮の洗う土地の植生。


その人々の目的は丹生(金属)だったのかもしれないし、
違うものだったかもしれない。


山岳は異界で、根の国(*)にも思われて、
半島の高い山々の、深い緑の、細いはざまを行く筋は、
まるで地中を通う蟻の、巣の、
筋のように感じられたのではないだろうか。


この人たちの行動は、道に印象付けられて、
この人たちの痕跡が残る場所に蟻通の名が残った。

やがて、その人たちと似た人々の痕跡のある場所も、
蟻通の名で呼ばれた。


と、ここ紀ノ川沿いで空想。




「蟻の熊野詣」とは、
蟻の行列のように人々が連なるほど盛んだった
熊野詣の様子と言われるけど。


きっと、
もっと古い、
深い半島のイメージと、
蟻の筋のような道の記憶が重なっている。





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↓こちらは海の道を、“蟻通(ありかよ)”った人々。


“柿本朝臣人麻呂の筑紫国に下りし時に、海路にして作れる歌二首”
のうち一首。(万葉集 304)


大君の遠(とお)の朝廷(みかど)と蟻(ありかよ)通ふ
島門(しまと)を見れば神代し思ほゆ

大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

(訳)大君の遠い朝廷として官人たちが通いつづける海路の、
   島山の間を見ると神代の昔が思われる。

                 参考:中西進(著)『万葉集』 


島の間を通る海路。
人麻呂は、瀬戸内経由で筑紫へ向かうとこなのねー。


(追記)この海路は下記かな。歌の景色がしっくりするから。
※2008-12-13 古遠賀湾の水の路




・2008-11-13 楽と祭祀 10 柿本人麻呂

お能 『蟻通』
・2008-08-11 テレビ能 「蟻通」 04
・2008-08-11 テレビ能 「蟻通」 03



つづく
by moriheiku | 2008-12-12 08:00 | 歴史と旅
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